子供の頃のピアノレッスン(後編)
これまでのお話
中学生
先生の暴言に耐えられず、あまりの怖さに泣いてしまった。暴言がエスカレートするだけで、恐怖でした。本当に悪魔でした。
母に何とか相談して先生を変えてもらった。
次の先生はとても優しく、小さな事でも褒めてくれる方でした。
言葉の遅れがあった影響で、学校の授業についていくのがギリギリだった私は、好きな音楽にしがみつくしかなかった。
この頃、足鍵盤をろくに使えず何の意味あったかわからないエレクトーンのグループレッスンを辞めた。今となっては判断が遅かった。
高校生
選択肢の激減
ピアノや音楽の楽しさを知り、音楽の学校へ行きたかったが、気づくのが遅かった。
某音大の学校説明会で教授(?)に鼻で笑われ、不快に思った母は「もうあんな学校は行くな」と激怒。
音楽の学校へ行くには、子供の頃からのレッスンとコネが重要らしく、その情報を知らずに学校説明会行ったのがまずかったようです。さらに噂で知ったのは、学費以外の課外レッスンや、チケットノルマ、数万~数十万単位のレッスン関連の謝礼があるから私には厳しいだろうと思い、進学には反対でした。
音楽が好きだから行けるわけではないと初めて知りました。
(普通の家庭育ちなので本当に知りませんでした。)
この頃はインターネットはあったようですが、家庭に普及されたのは少数派の時代だったと思います。当時はまだまだ情報収集が厳しく、噂や口コミが中心。携帯電話が普及された頃です。
※真偽はさておき、無理して音大進学して精神壊した例を最近見つけました。行かなくて良かった。我が家と自分が破綻するところでした。
高校の先生にも雑に扱われる
高校の先生のクソバイス アドバイスがいい加減で、音楽の専門学校を進めてきたが、そこはポップスやバンド系でした。作曲を強要してきたが、アイデアがポンポン浮かぶキャラではないので無理。楽譜の書き方を習っておらず書く自信がないし、ああゆうところは男子が多く馬鹿にされる可能性が高いと思い断念。とりあえず英語力だけつけようと決意。海外留学にはなんとなく憧れがあった。
最悪な中からマシそうなものを選び、普通の大学へ。
大学生
大学生になり、朝の身支度で聞いていたラジオ番組で、バロック音楽に興味を持ちました。これがやりたいと思ったが時すでに遅し。大学入学後に何かを楽しむのは時間的にも金銭的にも無理だった。
あの優しい先生のレッスンは、先生の退職で終わり(寿退社と思われる)、以降は年1回ペースで先生が変わった。レッスンでやりたい曲を否定された。イタリア協奏曲を「バッハはつまらないから違う曲にしよう」と言われてショックだった。他に先生が勧めてきた曲は本当に全く興味がなかった。
子供の頃からピアノ曲を知る機会が少なかったことが原因で、知っている曲が極端に少なく心から弾きたいと思える曲がなく、好きになれなかった。だんだんモチベーションが低下して辞めた。
ここまでのまとめ
親の価値観の違和感に気づかず、無理にグループレッスンとピアノの個人レッスンのセットに固執せず、早い段階から自分に合った個人の教室に移行していれば、選択肢が広がるし大人になっても苦労することはなかったのかもしれない。
次回はブランクから再開までです。