*mocchi*きょうだい児

20代後半になりました¦児童発達支援のしごとをしています¦就労継続支援B型に通う兄がい…

*mocchi*きょうだい児

20代後半になりました¦児童発達支援のしごとをしています¦就労継続支援B型に通う兄がいます

記事一覧

まだ見ぬ我が子に、きょうだい児の母として伝えたいこと。

もともと自分のことを話すのは苦手だけれど、 生まれてきてくれるであろう我が子に、特にどう伝えたらいいのかと、気がかりなことがある。 そのひとつが、兄のことだ。 …

きょうだい児の私、妊娠しました

ご無沙汰しております。 ありがたいことに読んでくださる方が増えていること、大変嬉しく思っています。 前回の投稿から随分時間が経ってしまったのですが... その理由…

きょうだい児の私は、涙を誘うのか考えた話。

「ドキュメンタリーの題材になってくれない?」 と、言われたことがある。 「◯◯(私)の人生、ドラマみたいだし、絶対泣けるのがつくれると思って」と。 障害のある兄の…

親から何も言われずに、私はきょうだい児になった。

私は、兄の障害を知らなかった。 まだたかが六歳くらいの私は、食事中、何の気なしに言ってしまった。 「私のお兄ちゃんって、どこか悪いの?」と。 その瞬間。 食卓が…

名前の由来と、兄と私。

私の心の中に、引っ掛かっていることがある。 それは、私の名前の由来を、母親も、父親も知らないことだ。 小学生の頃、たしか8,9歳くらいのころ。 自分の名前について…

きょうだいだから、恋愛はできないと思ってたけど、結婚してしまった。

こんな私が恋愛をしていいのか。 結婚を望んでいいのか。 兄が障害を持っていることは、いつも私に後ろめたさを感じさせた。 でも、そんな私も、今では結婚している。 …

「死に方」を探していた私へ(重たい話)

誰かの自殺を知るたび、悲しみと共に、心のどこかが疼く気がする。 それは、私にも必死に「死に方」を探していた時期があったからだ。 * 高校三年生のときのこと。 私…

「助けて」と言えなくなった日のこと。(ちょっと重ため。)

私の高校受験の前日。よりにもよって、緊張と共に過ごしていたあの日。 理由は覚えていないけど、普段に増して兄の調子が悪かった。パニックを起こし、家の中もひどい状況…

出来ないことのその先に

「お前の兄ちゃん頭おかしいよな?」 小学3年くらいのとき、兄の学年の人に突然囲まれて、問い詰められたことがある。 私は、どう答えていいかわからず、下を向いてしま…

コミュニケーションってなんだ

言葉でしか、行動でしか、相手への想いは伝わらない。 どんなに考えていたとしても、伝わるのはそのひとの言動。 当たり前のことだけど、言葉にして「伝えること」も、思…

眠っていたnoteを再開した理由

私には、これと言って得意なこともない。 すごく好き、と言えるものもない。 でも、好きな仕事をして、好きな人と結婚し、幸せな毎日を送っている。とってもあったかい日…

まだ見ぬ我が子に、きょうだい児の母として伝えたいこと。

もともと自分のことを話すのは苦手だけれど、

生まれてきてくれるであろう我が子に、特にどう伝えたらいいのかと、気がかりなことがある。

そのひとつが、兄のことだ。

****

きっと、誰でも、何らかのタイミングで、障害のある人と出会うんだと思う。

私は小学生と関わる仕事をしていたから、その出会いの瞬間を目にすることがたくさんあった。

こどもたちの反応によっては

「なんてひどいことを言うの?

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きょうだい児の私、妊娠しました

きょうだい児の私、妊娠しました

ご無沙汰しております。

ありがたいことに読んでくださる方が増えていること、大変嬉しく思っています。

前回の投稿から随分時間が経ってしまったのですが...

その理由のひとつが、まさにタイトル通り。

こんな私ですが、「妊娠しました」

***

結婚できない。

子ども産みたくない。

私には育てられない。

ずっと、そんなことばかり思っていました。

自分に自信がなく、親から愛されているのか

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きょうだい児の私は、涙を誘うのか考えた話。

きょうだい児の私は、涙を誘うのか考えた話。

「ドキュメンタリーの題材になってくれない?」

と、言われたことがある。

「◯◯(私)の人生、ドラマみたいだし、絶対泣けるのがつくれると思って」と。

障害のある兄のいる私は、泣けるドキュメンタリーにぴったりだと思われたようだった。

本来であれば、光栄なことだと思う。こんな私が取り上げてもらえるなんて、思っても見ない話だ。

でも。それでも。

そう頭ではわかっていても、私は喜ぶどころか、猛烈

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親から何も言われずに、私はきょうだい児になった。

親から何も言われずに、私はきょうだい児になった。

私は、兄の障害を知らなかった。

まだたかが六歳くらいの私は、食事中、何の気なしに言ってしまった。

「私のお兄ちゃんって、どこか悪いの?」と。

その瞬間。

食卓が凍りつき、父親からものすごい剣幕で言われた。

「そんなこと言うな」と。

その顔があまりに怖くて、わけもわからず、トイレの中でわんわん泣いた。

あの日、とんでもないことを聞いてしまったことだけは、よくわかった。



それから

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名前の由来と、兄と私。

名前の由来と、兄と私。

私の心の中に、引っ掛かっていることがある。

それは、私の名前の由来を、母親も、父親も知らないことだ。

小学生の頃、たしか8,9歳くらいのころ。

自分の名前について発表する授業があった。その前段階で出されたのが、親に名前の由来を聞くという宿題。

家に帰って、母親に聞くと、

これがまさかのまさか、

わからないと言うのだ。当然わかると思っていたのに。

そして、その後父親に聞いてみても、まさ

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きょうだいだから、恋愛はできないと思ってたけど、結婚してしまった。

きょうだいだから、恋愛はできないと思ってたけど、結婚してしまった。

こんな私が恋愛をしていいのか。

結婚を望んでいいのか。

兄が障害を持っていることは、いつも私に後ろめたさを感じさせた。

でも、そんな私も、今では結婚している。

そして、不思議なことに、兄と夫はなぜだかとても仲が良い。

私の実家に行くと、一緒にテレビを見たり、おしゃべりしていたりする。

素直に出せないけど、本当はとっても心が温まる瞬間だ。



でも、それは今だから、の話。

夫に初め

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「死に方」を探していた私へ(重たい話)

「死に方」を探していた私へ(重たい話)

誰かの自殺を知るたび、悲しみと共に、心のどこかが疼く気がする。

それは、私にも必死に「死に方」を探していた時期があったからだ。



高校三年生のときのこと。

私は死に方を調べ、実践した。

ビビリだったので、簡単には成功せず、より確実な方法を探し、行動はどんどんエスカレート。

最後の方は、口にできないほど気の狂ったことばかりして。

最終的に、病院の鍵つきの病室に入れられるという、人生で

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「助けて」と言えなくなった日のこと。(ちょっと重ため。)

「助けて」と言えなくなった日のこと。(ちょっと重ため。)

私の高校受験の前日。よりにもよって、緊張と共に過ごしていたあの日。

理由は覚えていないけど、普段に増して兄の調子が悪かった。パニックを起こし、家の中もひどい状況だった気がする。

きっと母も限界だったんだろう。

「もう、死ぬから」

そう言って、母が包丁を握りしめていた。

泣きながら、取り乱した様子で。

こういう場面は初めてじゃない。

でも、何となくその日、

「あ、これはやばい。」

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出来ないことのその先に

出来ないことのその先に

「お前の兄ちゃん頭おかしいよな?」

小学3年くらいのとき、兄の学年の人に突然囲まれて、問い詰められたことがある。

私は、どう答えていいかわからず、下を向いてしまった。

縦割り活動では、「◯◯(兄の名前)の妹はやめとこうぜ~」と仲間にいれてもらえなかったこともあったし、

帰り道、笑いながら石を投げられたこともあった。

とにかく、私の兄は同級生から疎まれ、その矛先は私にも向かっていた。

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コミュニケーションってなんだ

言葉でしか、行動でしか、相手への想いは伝わらない。

どんなに考えていたとしても、伝わるのはそのひとの言動。

当たり前のことだけど、言葉にして「伝えること」も、思うままに「行動すること」も苦手な私は、それがずっと悩ましかった。

でも大学生活の頃、いろいろな場所で出会ったひとたちが、そんな私に、コミュニケーションの方法はひとつじゃないと教えてくれた。

文字盤を使って、手話で、筆談で、点字で。

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眠っていたnoteを再開した理由

私には、これと言って得意なこともない。

すごく好き、と言えるものもない。

でも、好きな仕事をして、好きな人と結婚し、幸せな毎日を送っている。とってもあったかい日々だ。

そして、これからも、一生懸命生きていきたいと思っている。

それでいい。それがいい。そんな日々や、そんな自分を大切にできたら幸せだと思う。

だけど。

それでも。

時々思い出してしまうときがある。

心のどこかに残っている

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