
明治文学を知る本
明治文学にハマっている私が、明治文学や明治文壇を知るために読んだ本の紹介。
伊藤整、瀬沼茂樹『日本文壇史』全24巻 講談社
私が明治文学を読み始めるきっかけになった本。
日本文壇史は、文学者たちの行動、彼らが発表した作品のあらすじ、それに対する当時の反応や批評などが、明治初期から時代を追って並べていくようなスタイルで書かれている。私が良いと思うのは、作家のスキャンダルなどに偏らず、あくまであったとされる事実を大量の資料を元に書いていること。また時代を輪切りにするような書き方なので、今ピックアップされている事柄と同年に他の作家たちが何をしていたのか、文壇で何があったのかなどが理解しやすい。24冊を読むのは大変ではあるが、それだけの価値はある名著だと思う。ただ元はもっと色々あるのではないかというところがあっさり書かれる部分もあり、たとえば中江兆民が北海道で「睾丸酒」という逸話を残したという記述はあるのにその逸話の中身は書かれていなかったりする。睾丸酒とは何なのか。
『日本文壇史』は漱石の死で終わるが、その先の大正文学史も知りたいという方には巌谷大四『物語大正文壇史』(文藝春秋 1976)が日本文壇史のスタイルに近く、おすすめ。
内田魯庵『新編 思い出す人々』岩波書店 1994
ここから3冊は、明治文壇を実際に知る作家たちが書いた本。こういった本の良いところは、その時代を体験した人の言葉で当時を知れること、同時代人の視点から文学作品の魅力や背景を理解できることだと思う。
内田魯庵は1868(慶応4)年生まれの作家で、明治20年代から活躍しており、近代文学の誕生と発展を体験している人物だ。尾崎紅葉の『金色夜叉』から明治文学に入った私としては、硯友社(尾崎紅葉らが始めた文学結社)について書かれている部分がとても興味深かった。明治23年頃に硯友社が文士劇の先駆けのようなことをした時に、観客の大半は若い女性で「紅葉さん」「漣さん」と喜んでいたという記述が、現代の推し文化のルーツを見るようで面白い。
また私は山田美妙の作品を新鮮で面白いと思ったものの世間での文学的評価が低いので不思議に思っていたのだが、この本で美妙の人気失墜の原因を分析しているのが参考になった。
他にも斎藤緑雨や森鴎外など色々な人が取り上げられているが、二葉亭四迷について特に詳しく書かれており、彼について興味がある人には良い資料になるのではないかと思う。
田山花袋『東京の三十年』 岩波書店 1981
自然主義の泰斗田山花袋が、少年期からの東京での暮らしと作家生活を振り返って書いた作品。大正5年にその前の30年ほどを振り返る形で書かれたものなので、硯友社の活躍から衰退、自然主義の勃興への流れという明治文学のサビの部分が、その流れの中にいた人物の視点から書かれるのが特色だ。また上野の帝国図書館に通ったり、ゾラやモーパッサン、イプセンに夢中になったりという当時の文学青年たちの様子がわかるところも面白い。東京の街の移り変わりが書かれているところも魅力で、当時の東京のことなんて大して知らない現代人でも、読んでいると思わずノスタルジーを感じてしまう。
ややセンチメンタルな読み味があるが、これは悪い要素ではなく、読み物として感情移入しやすいので、文学史的なものを読み慣れない人でも読みやすいのではないかと思う。本屋を回って歩いた丁稚奉公時代、丘の上の家での国木田独歩との出会い、ラストの空を飛ぶ飛行機など、印象的なシーンが多い。
正宗白鳥『文壇五十年』中央公論新社 2013
明治から昭和まで、長い期間作家として活躍した正宗白鳥が、自らの作家人生を回顧した本。白鳥は自然主義の作家として世に出たが、田山花袋より後の世代であり、性格の違いもあって花袋とは文壇に対する書きぶりもかなり異なる。
『当世書生気質』や『浮雲』は文学史に残る押しも押されぬ名作というイメージがあったのだが、白鳥が小説を読み出した頃(明治20年代後半か)には絶版になっていて手に入らなかったらしい。名作の受容にも紆余曲折があったのだということが実体験からわかるのが面白い。また、田山花袋の「蒲団」は今読んでもあまり面白くないのだが、『文壇五十年』を読むと「蒲団」に発表時どういう新規性があり作家たちにどのように影響を与えたのかがわかる。
正宗白鳥では『新編作家論』『自然主義文学盛衰史』などもおすすめ。というか白鳥の評論は何を読んでも面白い。白鳥の魅力は歯に衣を着せない物言いとニヒリスティックな視点で、たとえば「夏目漱石は、「生」(田山花袋の小説)を評して、満谷国四郎の油絵のようだと云ったそうだ。薄汚いという意味であろう」というように端的な表現で物事をばさばさ切り捨てていく。読み続けていくと癖になってくる切れ味の良さだ。
山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』柏書房 2019
この記事の中ではいちばん新しい、2019年に新刊で出た本。普通の文学史では取り上げられることのない「明治娯楽小説」についてまとめた、おそらく唯一の本である。実は明治文学にハマる前に読んだ本なのだが、図書館で借りて読んだらあまりに面白く、すぐ書店に走って買った。なので明治文学に興味のない人も面白く読めると思う。
私が明治文学に感じている魅力の一つに「現代あるような小説の型にとらわれない荒さ」があるのだが、明治娯楽小説はその辺が輪をかけてすごい。この本で紹介される作品は、「光り輝くヤクザが悪徳キリスト教団を討ち滅ぼす物語」や、身長と肩幅が同じ長さという特殊体型の豪傑が活躍する話、「雑で荒っぽい奴が暴れて人に迷惑をかけ続ける様子」が丹念に書かれる犯罪実録ものなど、怪作ばかりだ。ただでさえ明治娯楽小説というもの自体がめちゃくちゃなうえに、これを紹介する著者の表現が独特で思わず笑ってしまうので、外で読む時には注意してほしい。
日頃は目を向けられることも語られることもない明治娯楽小説だが、メインストリームの明治文学と合わせてこちらについても知っておくことで、明治時代というものの理解が立体的になったように思う。