2024年5月 必然的な邂逅

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発酵する日記
10月も半分すぎて、こうして5月の中途半端に書き残した記録を読み返すと、また新しい発見があって面白い。書き残したことばもわたしと一緒に日々変わっているのかも。
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1日
帰省1日目。
久しぶりに会えて嬉しいはずなのに妹と大喧嘩!


2日

いつものお気に入りの河原道。
ちょうど一年前の5月2日も、わたしはここへ来ていた。

一年前は、入社した会社の研修のために1ヶ月半の間帰省していた。

18で家を出てからこんなに長く実家にいたのは初めてだった。その1ヶ月半の時間は、自分の生まれ育った場所はどういう場所だったのか、故郷と再び出会い直した時間だった。例えるなら、景色にようやくピントがあったような感覚。生まれ育った場所に当たり前にあった、温かい縁、今まで気づかなかった美しい自然のこと、恨めしいものや憎んだ記憶、もう取り戻せない団欒のこと、そういう嫌なものも含めてふるさとのまるごとを、ここを離れた18の頃より愛おしく感じられた。

その邂逅は、大学卒業して働きはじめる自身の大きな人生の分岐点と相まって、かなり大きな世界の転回だった。一年前のGW中、コロナにかかってなお、恐らくほぼ毎日この土手に来ていた気がする。身体を思えば安静にして早く治すべきで、本当に馬鹿なことだと思うけれど、それくらいそのときは衝撃だったし、この土手でしか得られない安らぎと発見がたしかにあった。

今日もこうして、度々帰省の間この河原道に来て、ただ何もしないで景色を眺めている時間は、わたしにいまここを再び生き直す気力を与えてくれるなくてはならない時間。

懐かしい山の稜線と淡々と右から左へ流れていく川の水。水面ギリギリを飛び回る燕。時々水面から翻って時々尾鰭を見せる鯉たち。静かに流れる川面の下に躍動する生命の世界。新緑の季節、みどりが茂り、みずみずしい生命力に満ちている河原道。どんなに離れていても、目を閉じればそこにあったようにきっと思い出すことができると思う。

近くの川面をみていると、視界の左端で何かが泳いだのが見えた。
よく見ると、土手のブロックギリギリの川面を鯉がこちらを伺う様子で泳いでいた。わたしが少し右へ移動すると、追いかけるようについてくる、まるで犬のような鯉だった。魚もまた、犬や人間と同じにそういう生き物同士のつながりを求める命だった。そうしてその鯉と何メートルか一緒に泳いだ。


またしばらくすると、今度は視界の右端で人の存在に気づいた。
真っ白なパンツに赤いTシャツにサングラスの、洒落たルックのお爺さんがわたしと同じように、目の前の川と山の景色を見つめていた。

しばらく2人でそうしていると、
ここは気持ちいいところですね、とお互いの身の内話がはじまった。

おじいさんは普段は愛知に住んでいて、この地の温泉が好きでよく旅に来ていること、それから、昼に温泉に入ってからこの河原の芝生で昼寝をすることが旅の最高のルーティンであることを教えてくれた。

いつもは1人でこの景色を堪能しているけれど、今日は来てみると、珍しく先客がいる、同じようになんでもないこの景色をただ見ているだけの変人だな、と思って声をかけてくれたらしい。

それを聞いて、このひともわたしと同じようにこの河原の景色をとっても愛しているひとなのだと、なんだかほくほくとうれしくなった。

一通りお喋りをした後、「それではたのしんで」と言って、
おじいさんは、この後昼寝をするであろう、後ろの芝生の方へ消えていった。

誰か全く知らない人だったけれど、大好きな故郷の自然の山々やその間に流れる川、ほとりに湧く温泉のことを自分と同じように愛して足を運ぶひとの存在を知れたことがつくづくうれしかった。

また、そういうひとと、ここの地点で同じときに偶然に出会い、その美しさを分かち合えたことは、ほんとうに奇跡みたいだったと思う。

いつかまたあの場所で、あの鯉とおじいさんに会えたらいいなと思う。


3日
三日間の短い帰省を終え、東京へと帰る。
駅を出発した時の新幹線の車窓がいちばん美しかった。
夕日に照らされた雄大な信濃の山々。遠くからでも一目で見分けられる、堂々とした冠着山。いつも自宅から見える東の連山の稜線。遥か遠くに霞む高山連峰。
故郷に帰ると、こういう心に響き続ける景色とたくさん出会う。

帰ってくるたびに故郷へのいとおしさが増していく。車窓のなか、瞬く間に過ぎていく無数の家々があり、ここに暮らす故郷に生きる知らない誰かのこととその暮らしが、母と妹の姿と重なって、なんだかとても愛おしかった。

いつになく、東京に戻るのが寂しく感じた。
茂る新緑を照らす満ち満ちた夕陽の景色があまりにもきれいで、余計に寂しかった。

新幹線の車窓から、田畑の緑の絨毯を照らしている夕陽の煌めきをみると、幼い日々に故郷の河原で思う存分駆けまわったときのうれしさを思い出す。
あの無限のたのしさと理由のない高揚感は、レイチェルカーソンが言ったような「ここへきてよかった」という生まれて来たよろこびの感覚だったと今ならわかる。

この世界の気の遠くなるほど長い、いのちの歴史。
この土地に人が住み始めてからでも無限にあるひとの生き死にの中で、なぜか、わたしという存在が21世紀のはじめにあの故郷で生まれ育ち、いまここの地点に存在している不思議。

夕陽に照らされた稲の絨毯をただ美しいと思っているわたしがいるように、たしかに世界とわたしはいまここに、当たり前に存在している。
気の遠くなるほど、ものすごい奇跡と神秘だ。
わたしはまだ、いまここに生きている意味も理由も、何者でどう生きていくべきなのかも、全くわからない。ただひとつたしかなのは、私たちの頭の上にはいつもどこまで続いているのかわからない空が広がってるみたいに、大きな大きな神秘と奇跡を抱えながら、今日もこうしてたしかに生きている、生きている事実だけだと思う。


5日 
今年のGWは、久しぶりにゆっくり家族と会う時間と決めていた。
GW後半は、おばあちゃんと父と日光温泉旅行。

日光山中禅寺で、根が地中に張ったままの立木観音に出会った。
樹木の生命力迸る観音の尊顔は、かつてこの日光を開山した勝道上人が大木から掘り起こしたという。
1000年以上前からこの土地の自然の生気に育ち、根を張り、この地をいまも見守り続けている。立ち枯れているというが、その像のなかたしかに息づくものがあることをひしひしと感じた。

また、湖のほとりで、かつて女人禁制の修験山日光に男装をして入山した巫女が神罰を受けて石になった「巫女石」という石片や、下山道でかなり山を下ったところで、女人堂を見つけた。ただ女性であるだけで、あの滝も湖も見ることなく、遠くのこの堂からのみしか参拝を許されなかったのは、どういう理由があったのだろう。


6日
YouTubeで音楽の動画を見漁っていたら、またも変なエルメート・パスコアールの動画をみつけてしまう。
驚異的な音楽感覚と身体性の極まったライブパフォーマンスは、全身の筋肉で楽器を弾くTerry Chest Drumとか、CrownCoreとかも、なんとなく同じ感じがする。心の底から尊敬しているひとだけれど、やっぱり絵面がめちゃくちゃ面白くて笑ってしまう。


7日
この1週間の連休で使っていなかった部分の思考をいきなりフル稼働したせいで、仕事が終わるとオーバーヒートしたみたいに思考が雑然として、見えているのに、何も見えていない眼になる。
昨日まであんなにそばにあった静けさに耐えられない。
いまにも切れそうな糸に縋るように言葉をこうして書いて、ようやく自分を保っている。やっぱりいのちのリズムというものはあって、人間は13時間も働くようにはできてはいない。

8日
ここまでで仕方ないっていう諦めではなく、ここまでにするっていう見極めが大事。

9日
疲れていても、遠野物語なら読めた。
遠野物語ってこんなに面白かったっけ?
話自体の面白さもあるけれど、たぶん文才の凄まじさによるものだ。その場で出来事に立ち会った人そのものになったかのようなぞくぞくする追体験の臨場感。
終始圧倒されつつページを捲る手が止まらない。

10日
今週は働きすぎた。金曜日の夜風が心地よい。
ほんとうのしあわせは、いい瞬間とくるしい瞬間の総体なのかもしれない。

11日
大好きな友人と上野へ𠮷原展を見に出かけた日。
この会社に来て良かったことの一つにはまず、彼女に出会えたことをあげたいと思うほどだいすきなひと。念願の吉原展を見て、18時に入ったカフェで閉店までいた。毎度彼女とならどこまでも話せると思う楽しさで、時間がいつもあっという間だ。

各々の仕事の悩み、職場でのハラスメントへの抵抗と連帯の方法、冬の文フリに向けてZINEの企画、それぞれの歌の作り方のちがい、小説家と随筆家、光る君へ、虎に翼云々、最近考えていることを思い思いに交換して、最後にわたしたちの未来の話をして別れた。

彼女も長女で家業がある。いずれ家業を継ぐか、継がぬか選択をせねばならない。それぞれの今後の選択の困難さ、せねばならないことしたいこと狭間でいずれがんじがらめになるのではという不安をお互いずっと抱えていた。
「身に科されているように感じる環境のなかでも、みずからでいる救いの道はあるかもしれない」と彼女は言った。
それを一緒に信じてくれる彼女のような人がいることが、どこかでわたしをその方向へ導く気がした。今日のここでの話を、わたしはきっとまたどこかで思い出すと思う。


12日
倫理思想のゼミ会。
昨日も非常に濃密な1日だったけれど、今日もまた密度の濃い1日だった。
「ネガティブ・ケイパビリティ」について恩師が講義をしてくれた。
新しく得る知識が、まさに自分のこととして深く感じられる瞬間が多くあり、講義のなか、幾度も胸に迫るものがあった。
特に、高村光太郎の<火星がでている>という詩
ここで得ていく倫理の思想は、その他の諸学に比べ自分の生に最も近いところにある。他者と共に生きる上でつまづく困難さや己の内の辛さと向き合い、また考え続けるための方法について、共に考える場があることはとても幸せなことだ。

火星が出てゐる。


   要するにどうすればいいか、といふ問いは、

   折角たどった思索の道を初にかへす。

   要するにどうでもいいのか。

   否、否、無限大に否。

   待つがいい、さうして第一の力を以て、

   そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。

   予約された結果を思ふのは卑しい。

   正しい原因に生きる事、

   それのみが浄い。

職場では、学問をしていたときと違って、生産性がひとつの指標となって、いかに早く合理的に一つの結論を出せるか、ということが求められることが多い。
結論の出ないような問いを、迷いながらああでもないこうでもないと、模索する過程こそ尊いということをいつでも忘れずに仕事をしたい。ただタスクを淡々とこなすのではなくて、色々な人たちとかかわりあいながら、失敗も含めて色々な経験をしながら、仕事の生産性に還元されない問いを持ち、問い続け、考え続ける態度を大切にしたい。



14日
規則ではなくて心遣い。
そっとトレーナーが教えてくれた。
しなければならないではなく、もっと積極的で開かれた他者への愛として、それを持っていたい。でないと、自分がされたことに気づかなくなってしまう。それを行えば、誰かにされたことに気がつけるしありがたく想うことができる。ちょっとずつ、そういう回路を増やしていきたい。

19日
夜風がさいこうに気持ちいい。
今日は遠い方のスーパーにした。

20日
仕事終わり、三軒茶屋のtwililightさんで、飴屋法水さん(朗読)と角銅真実さん(音楽と身体パフォーマンス)の衝撃的なセッション。
飴屋さんが開けた窓から流れ込んできた、生温い三軒茶屋の初夏、飴屋さんの少ししゃがれた声。角銅さんにわたしのたこくらげ〈聖電気2〉を見てもらったときのきらきらした笑顔のこと、私の手に吸い込まれるみたいにぽっと落ちてきた電球の一欠片、世界とごきぶりとひとつになったような感覚のこと。

22日
必要なのは不規則なリズム?
ほんとうになんで私たちは毎日毎日働いているんだろう。

23日
「お手伝いしましょうか?」と発していた。
今になってその言葉が間違っていた気がする。
その女性はわたしの顔を一瞥もせずに「大丈夫です」と言って、
今にも倒れそうな足取りで降りていった。
何かに捕まることがとても必要にわたしには見えた。でも、それは不要だった。
善意と思っていっているそれが違ったのだ。
わたしはあの場で、どうあるべきだったんだろう。
いまだにわからない。。


26日
今日は生活綴方さんが開催するかながわのブックマーケット「本は港」と、併催されているきくちゆみこさんと安達茉莉子さんのトークイベント、
「わたしたちにはからだがあった ― からだに意識をうつして過ごしてみると」へ。

和歌山の本屋さんである「らくだ舎」さんのブースで、日光参拝からずっと気になっていたテーマである、山岳信仰の「女人禁制」に関する本があったのでまず一冊買った。また、ずっと欲しかった恩師の恩師、竹内整一先生の『おのずからとみずからのあわい』が真鶴の本屋さんである「道草ブックス」さんのブースにあったのでこちらもレジへ。必然的とさえ思える買い時に巡り会えた気がする。とてもよい買い物ができた。

行きの電車のなかで、きくちゆみこさんのエッセイ集『だめをだいじょうぶにしていく日々だよ』の続きを読んでいた。

「焼き魚によくのっているピンクの細長い生姜みたいなやつ」が「はじかみ」と言うことを生まれて初めて知った。実は名前を知らないあいつ、他にもありそう。

カレーにとっての福神漬け、お寿司のガリ、ホットドッグにとってのクラッシュオニオンとレリッシュ、焼きそばや牛丼にとっての紅生姜などなど、薬味的存在が本体よりむしろ好きだという話にはとても共感。わたしも牛丼や焼きそばは、紅生姜なしでは食べられない。むしろささやかに添えられる彼らこそ、その料理を料理たらしめている大いなる構成要素である気がしてならない。

わたしたちには、からだがあった
トークイベントの最後の質疑応答の時間、ある女性が、「普段こういうイベントに参加したあと何か言葉にしなくてはと思うけれど、いま胸のあたりになにか言葉にできないあたたかい感覚が残っている、この事実を大事にしたい」と言っていたことがとても印象的だった。
いまここにことばを書き出していくことは、必然的になにかを捨てることでもある。
それでもことばにするのは、この内に生まれた「熱」のようなものを忘れたくなくて、忘れたとしてもことばによって思い出せることに期待しているからだ。それにことばにすることで、取り出して違う角度でまた眺められる。また、自分1人のことじゃなくて、誰かと共有できるかもしれない。100%それを表現できなくても、できるだけわたしの心で感じるありのままに近いものを目指して言葉にしていきたいと願っている。けれど同時に、ことばにならない多くのものをむりくり言葉にするのではなくて、からだを通して知覚する感覚として理解する態度も大切にしたいと思った。

「恐怖麻痺」
きくちさんが話していたこの「恐怖麻痺」のはなしはまさに最近わたしが悩んでいたことだった。
跳び箱を飛ぶ手前で、怖さから手足が急に止まってしまうみたいに私は話せなくなる。信頼していない相手に対して、失望されるのではないか、嫌われるのではという恐れから思考が硬直してうまく言葉がでない、身体が上手に使えない感覚。
この怖さを解きほぐすことをわたしははじめなくてはいけない。安達さんのいうように、世界に対して「むきみ」でいることが、私をきっとよい方向へ導いてくれる、そんな確信を持つことができた。
また、そうやってからだとこころがなるべく一緒である状態を、少しでも増やしていこうと思った。

からだとこころのバランス
わたしは新しい世界や世界の見方を知りたくて、本を読む。しかしほんとうに物事をわかろうとするためには、自身の経験のなかで体得しない限りには難しい、と最近よく思う。
お二人の話をきいて、わたしはたぶん身体感覚よりも、思考や言葉がずっとが前に出ていることを自覚した。もう少しからだの感覚に沿って、ひとつひとつのいまここの感じを生きることをするべきなのかもしれない。
大事なのはバランスだ。
おのずからのなかでみずからであるということが一体どういうことなのか、頭でわかるだけじゃなくて、体得したいと思った。動きたい、心の赴くままにいまここの体を感じて使ってみることをもっとしたいと思った。安達さんのように、人との対話やわかりあうことについて知るための迂路として、武術や謡などをはじめてみるのもいいかもしれない。


安達さんとの出会い
きくちゆみこさん経由で知ったイベントだったので、安達さんのことは今回はじめて知った。
物販では、生活綴方の店員さんの「わたしもこのエッセイで一緒に本棚作ってます」という、なんだかとても面白そうなおすすめもあって、『わたしの生活改善運動』という安達さんの著作を買った。かたち、色、大きさ、ページの質感、手の収まりの良さ、全てがトキメキの連続で、中身を読んでないのに手に取ってページをぱらぱらとしただけできゅんとする本だった。これから読むのがとてもたのしみ!
バックに入りきらないほどすてきな出会いがたくさん。本は港、いいイベントだった。



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