2024年2月 日記のかたち、私のかたち
会社に勤め初めて間もない頃から、1日1記事、noteの下書き欄やリングノートを使って日記を書き始めた。
2月の頭、書き始めて10ヶ月が経ち、ずいぶんと日記が溜まってきた頃、くどうれいんさんの「本がひらく」での連載、「日記の練習」に出会った。
正確には、「日々を記録しようと思った自分の記録」という日記の捉え方に出会った。
小学生の頃、
日記の宿題で先生に叱られたことがあった。
毎日出さないといけない日記の宿題のページに、今日は特に何も書くことがないなと思って、「今日は特に何も書くことがない日でした。」と書いたら、
「どんなに平凡な日でも書くことはあるから書きなさい」と叱られた。
当時の私は、先生の言うことは世界の真実のひとつだと思っていたから、言われた通りに頑張って書いた。でも、あまり琴線に触れなかったことをそれらしく書いたときの、飴と間違えて石を舐めているような罪悪感を今でも覚えている。
先生の言うように、日々の些細な機微に目を見張る感覚は大事だけれど、その時の「書くことがない」という気持ちもまた、そう感じた自分の記録として価値があったと、くどうさんの連載を読んだいまなら思う。
「1日なにがあったか」ということ以上に、オチがあったりなかったり、書けたり書けなかったりする日々の総体を記すことが、自分自身の記録としてはリアリティのある記し方だと教えてもらった。
それは、少なくともこの1ヶ月の日記を書く上で、大きな道しるべになっていたと思う。
書けなかった日や不完全な記録もまた、自身のありのままの一部だと許容する考え方は、〈わたし〉をどのように捉えるか、という問いのひとつの答えでもある気がする。
いつも〈わたし〉の姿形を思い浮かべるとき、1番最初に思い浮かぶのは、生物の授業で顕微鏡の中から見たゾウリムシだ。時々なにかを見つけては食べたり吐き出したり、時々大きな虫にぶつかってはあっちに行ったりこっちに行ったり。周りの環境と共に、ふにゃふにゃ自分の輪郭を忙しなく変化させながら生きている。
日々世界の様々なものに影響を受け、また与えながら、いい日もあれば悪い日もある暮らしの中で、わたしも一刻一刻その輪郭を変化させて生きている。だからこそ、写真を撮るみたいに言葉によって、その時でしかない一瞬の自分の輪郭を捉えて、時々自分の姿形をたしかめてみたいのだと思う。
そうして溜まっていった日々の記録の集積の中にこそ、ほんとうの自分自身が見え隠れしている気がするから、1日ごとではなくて1ヶ月くらい溜まったものを眺めることが必要なのだ。
ああでもないこうでもないと言いながら、〈ほんとう〉を探して日々を書くことは、自分の森で迷子にならないための地図をつくることでもある。
その地図と、地図をつくる行為そのものは、ある苦しみの最中で救いや励みにもなったりする。
また、もっと気軽でシンプルに、そういえば昔こんなことを考えていたな〜なんて、時間が経ってからふと、不確定な自分のひと時の輪郭を味見する面白さは、日記を書くたのしさの原体験だと思うし、それが素直な記録であればあるほどそれを辿るよろこびも大きいはずだ。
入社してから今日までわたしが日記を書いてきたのは、たぶん、目まぐるしい変化への無意識の反動として、こうした自己探究の一過程であったのだろうと、1ヶ月分の「日記の練習」を書き終えたいま、感じている。
2024年2月 「日記の練習」
2月1日
2月2日
帰り道。新しい風の谷のナウシカ。ちょっと泣いた。
2月3日
2月4日
2月5日
ル・シネマで初めてノスタルジアをみた。
完成じゃない、続ける過程こそがいちばん大切だと知る。
2月6日
2月7日
2月8日
2月9日(金)
今日は久しぶりに早く退社することができた。
ここ1、2週間は恐らく入社以来最も働いている。
数ヶ月前までは、時計を見てはまだ14時、まだ16時じゃんと8時間の労働時間をとても長く感じていてけれど、最近は「もう18時?」と思いながら4、5時間残業している。自分でも恐ろしいくらいブーストがかかって時間も忘れて業務に熱中していた。
でも、不思議といまそれを苦しくも辛くも感じていない。何もできず手持ち無沙汰で不安になっていた入社間もない数ヶ月前の自分を思えば、日々目まぐるしく時間に追われヘトヘトになりながらも、何かに夢中になっていること、熱中できていること自体が嬉しくもあり、今の状況をちょっと楽しんでいる自分もいる。「ネガティブを潰すのはポジティブではない、没頭だ」というオードリー若林の言葉を思い出す。
そんなわたしが金曜日の今日早く帰れたのは、いま一緒に仕事をしている一つ上の先輩が毎日残業している私に大丈夫かと声をかけてくれたおかげだ。先輩が声をかけてくれなかったら、わたしは火曜日に営業に見せるための企画書の初稿を(初稿なのに)完成させる勢いで書き上げようとしていたし、余裕で終電ギリギリまで仕事をしていた気がする。そんな私に、昨日見せてくれたレベルで初稿としては充分のクオリティだから大丈夫、最近残ってばかりだから他にタスクがあったら代わるから早く帰るようにと、その先輩は声をかけてくれたのだった。そういう気遣いに触れ、妥協点を見つけることも一つの能力だと気づいた。
実はその先輩は、2年目にも関わらず、わたしとは比べ物にならないほどの業務量を日々こなしている。来週明けの提案書のためにこの週末は返上しても出勤するときいた。しかし、それ程多忙でありながらも2年目にして、こんなに後輩の業務量を気遣ったり根回しができているのは、あまりに人が出来ていてビックリするし、来年のわたしは果たしてどれくらいできているのだろうかと不安になってしまう。(そんなに働く必要がないのは言うまでもないけれど)
こういう尊敬する人たちの気遣いや思いやりや優しさに対して、日々わたしはそれにどれだけ応えられているのかということが最近気がかりだ。それをしっかり受け止めて、自分なりの方法で感謝と行いを示していけたらいいなと思う。
早く帰れてウキウキの最寄駅からの帰り道、何か時間をかけて美味しいものを作って食べたくなった。
わたしにはいつも2つのスーパーの選択肢がある。
品揃えの良い大型スーパーとコモディイイダ。
最近のお気に入りはコモディイイダ。大型スーパーの方がより自分のニーズに当てはまるものを買うことができて便利だけれど、たくさんの商品の中、無限に類似商品があることに時々疲れてしまう。これは何もスーパーでの買い物に限ったことではなくて、ある程度選択肢が限られた環境の中から選ぶことの充足さは、度々感じる。
コモディイイダで、その日食べる長ネギと白滝としめじと豚肉を買って、余っていた絹豆腐と一緒にしゃぶ鍋をした。余分に買い溜めをしないで、その都度必要な分だけ買って使い切る豊かさもある。『Perfect Days』の平山の暮らしと、部屋の積読本たちを眺めながら最近気付いたことだった。
2月11日(土)
今日は、江戸川区に住む父と祖母と一緒に東京ステーションギャラリーで開催されている「みちのくの仏たち」を見にいってきた。獅子舞オタクの先生にこの展示が気になると話をしたら、「絶対行ったほうがいい」と強くお勧めされて招待券までいただいてしまったので、きっと私と同じにこの展示を楽しんでくれそうな2人を誘ったのだった。
キュレーターの陸奥の民間仏への強い愛と、このキュレーションに心底やりがいを感じていることが、キャプションの端端からひし伝わってくるいい展示だった。そして、実際にみる仏たちも、キャプションの紹介通りどれも抜群に個性的で面白く、愛おしい。
実際にこういう顔のガキ大将いるよなとか、これはちょっとうちのおばあちゃんに似ているなとか。仏たちはいきいきと非対称の生命力を放っていて、見ているこちらまで元気になってくる。
以前日枝神社の宝物庫で見た、左右非対称の獅子頭が放つ独特の精気と似ていた。今まで私が見てきた獅子頭は全て左右対称に造られたものだったから、(それが聖性や超越性としての獅子頭の造形であると思っていたから)そこでみた左右の眉毛や目の開き方、口の開き方が非対称な獅子頭の、生き生きとした生命力は衝撃だった。
みちのくの民間仏との出会いも、同様の驚きと発見に満ちていた。神性を象るとき、超越さを示す静的な雰囲気のある線対称の顔の造形よりも、左右非対称で生き生きと躍動していて、神なのか人なのかわからないような中途半端で不完全な顔の方が、返って人ならざるものの気配を濃厚に感じて惹きつけられる。
また、そんな造形に愛おしさとおかしさとを感じる一方で、都心のホワイトキューブの中では見えなくなっているそれぞれの仏をかつて取り囲んだ信仰空間、東北の厳しくも美しい自然環境や、その土地や人々の生業から立ち上がってくる、像に込められた農民たちの切実な祈りそのものを見逃してはならないと思った。
三途川十王堂、いつか行ってみたいな。
2月11日(日)
今日は、友人と麻布台ヒルズギャラリーで開催されているオラファー・エリアソン展へ行ってきた。
彼の作品からは、人智を超えた大きな自然の摂理に対する探求心とその神秘に対する深い敬意を感じる。この世界の理を、科学とはまた別の方向で解き明かそうとしている人だと思った。こういう大きな問いに向き合い考え続けている人の実践に触れると、自分もまた自分独自のやり方でこの世界の複雑さに向き合う元気が湧いてくる。
ただ、環境問題を提起するアーティストの展示が、麻布一帯の大規模再開発を続ける森ビルが新しく谷地を埋めて作ったビルのなかで行われたことはどういう皮肉なのだろう。木漏れ日が美しい社寺の森、まちなかを何気なく流れている水路、あるいは都心の斜面林などに感じる心地よさが微塵もないこの地区一帯に整備された「自然」。その嘘くささは彼の展示とともに刮目されるべきものだと思う。
展示の最後にあった片岡真実さんとの対談映像で、
片岡さんが”鑑賞者は作品の示す問題がとてもスケールの大きい問いだという印象を受けると思うけれど、その問いが個々人の実践とどのように結びつくことができると思うか?”と彼に質問した。彼は、”それはとても簡単なことで、あらゆることに「何故」を問いていくことだ”と答えた。
あらゆることに「何故」を問いていく、というのは、この世界を初めて見る幼子のように改めて世界を見つめ直してこの世界の「わからなさ」に再び立ち返る勇気ある営為だと思う。私たちは歳を重ねるにつれて、その質問が徐々にできなくなっている。
私たちの経験の積み重ねから形成される「当たり前」が、世界を再び純粋に眼差すことを度々蝕み、世界のわからなさや複雑さを許容することを難しくする。または、問い自体にそんなつもりはなくても、不満や異議申し立てとしての「なぜ?」として、面倒で厄介なものとして煙たがれることもあるし、「そんなこともわからないのか」と無知を責められる恐れと無知を恥じる心によって問いそのものができなくなる時もあるだろう。
それでもなお、素直にわからないことをわからないと言い、自分なりに「なぜ?」を考え続ける営みは、まぎれもなく尊い過程であるはずだ。
火の灯る蠟燭をついに対岸に届けたアンドレイのように、過程の尊さを信じて、明日も明後日もこの先も生きていけたら幸せだと思う。
2月12日(月)
会社の同期である友人と1日遊んだ。
西荻窪の北口方面の路地をぷらぷらあるきながら、
路上観察やトマソン、見えないものを見るまちあるきのおもしろさ、そしていま見つけた小さな風景たちについて語り合った。建築学科出身の友人の路上観察眼はとても鋭く、風景を面白いと思う着眼点が作り手目線でおもしろかった。2人並んで散歩をして同じ風景を見ているはずなのに、全然違う見え方をしていることが、すごいことだと思った。
また、パン屋の前にあったアヒルの置物が話しかけているみたいで可愛いという話から無生物にいのちを見出して愛を感じる不思議さについて一緒に考えた。例えば、戦士みたいなブリックパックの後ろ姿を可愛いと思ったり、「カニクリームコロッケ」にはない「キ」を憐れんだりする感覚のこと。無生物に命を見出したりそれをおかしく愛しく思う感覚は、いつもとても不思議な感覚だと思う。
荻窪をぷらぷらした後、角野栄子さんのドキュメンタリー映画《カラフルな魔女》を見るために吉祥寺へ向かったのだが、ここで、わたしのやらかしが判明する。
なかなか発券できないと思ったら、間違えて昨日の分のチケット2枚を取ってしまっていたのだった...
わたしはいつまでこういう間違いをしてしまうのだろう。友人は笑い飛ばして構わないと行ってくれたけど、払い戻しがないので本当に申し訳ないことをしたと思う。
代わりにわたしたちは《枯葉》を見ることにして、映画の時間までしばらくカフェで時間を潰した。くぐつ草のラムココアを飲みながら、友人からココアの凄さについて教えてもらった。なんとココアはめちゃくちゃ健康にいいらしい!あんなに甘くて美味しいものが健康にいいなんてしあわせだ〜
カフェの後は、吉祥寺のにじ画廊さんで、友人が好きだという作家さんの展示をみて、その作家さんと3人で、絵からそれぞれに見えるものやその違いについておしゃべりをした。最後の別れ際、「絵のことを色々話してくれてありがとう」と言われたことがじんわり胸に残っている。友人にきくと、お客さんとお話しするのが好きでずっと在廊している方なのだそうだ。別れ際、次こそ角野さんのドキュメンタリーを見ようねと、また会う日を決めて別れた。休日というのにヘトヘトだったけれど、胸がいっぱいの1日。
2月13日(火)
23時14分退社。
頭が痛い、、
2月14日(水)
久しぶりに目覚める前に明晰夢を見た。
かつて生まれ故郷にあったという、大ケヤキに会う夢だった。見たこともないくらい大きな木だった。
そのケヤキにはこの土地を切り拓いた先祖の神様の御魂が祀られているらしい。神社の札にある神様の名前には、「須」と「良」の字が入っていたことを覚えている。とても怖くて近づけなかった。
2月15日(木)
朝から財布を家に忘れて大遅刻。
まあ、そういう日もあるよね。
2月16日(金)
朝支度しながら、これ短歌になりそうだなと思ったら瞬間があったけれど、電車に乗っていざ書こうとしたらなんだったのか忘れてしまった。
今日のお昼は久しぶりに職場近くのお気に入りのお店でグリルチキンプレートを食べた。ここはサラダに加えて好きな前菜が1品選べる。ここのサラダは美味しくて大好きだ。しょっぱすぎず酸っぱすぎずちょうどよく食欲をそそるドレッシング。
今日の前菜はキャロットラペを選んだ。オリーブオイルと酢であえてあるが、バターとレーズンがほんのり甘くめちゃくちゃ美味しい。このお昼のおかげで午後の仕事を頑張れた。
仕事終わり、同じ部署の同期で一番仲の良い子が誘ってくれたブックバーで終電ギリギリまで飲んだ。
上間陽子も萩尾望都も茨木のり子も昭和元禄落語心中も、わたしが手に取った本も話題に出す作品も大体彼女は知っていて、その良さについて共に語り合えたのがとても嬉しかった。この子とならどこまでも話せると思う楽しさで、気づいたら24時だった。小走りで駅に向かった道すがらも楽しかった。
無事に終電に乗れたのだけど、今日のことをほくほくと思い返しているうちに降りる駅を過ぎてしまい、結局タクシーで帰った。なにしてるんだか。
今日は凍える寒さだ。
最近ようやく春の気配がしたと思ったのに。
2月17日(土)
また地元にいる夢を見た。
鎮守森の方から温泉地へ橋を渡っていた。橋の下から幾つもの宝船が川から顔を出して川下へ流れていく。頭まで水を被り、時々顔を出して。その橋はとても不安定な木の橋で、川に落ちないように妹と必死になって渡っていた。
この光景はいったい何なんだと夢のなかで呆気に取られていたが、昔の御柱祭は、御柱を川に流していたと聞くから、夢のなかで昔の土地の記憶をみてしまったのかもしれない。
母と熱海へ温泉旅行にきている。
母と親子水入らずの温泉旅行は初めてかもしれない。とても幸せだ。
大浴場に向かっているとき、
ふと、浴衣を着た母の後ろ姿をみて、その小ささにはじめて気づいた。
ちょっと泣きそうだった。
2月18日(日)
今日は宿を出て巨樹の座す来宮神社に行った後、鶴川にある母方の親戚のお家にお邪魔した。
母の父(わたしの祖父)の10歳上の姉には、母の従兄弟である4人の子供がいて、その1人が一昨年亡くなった。母は仕事のせいで葬儀にも参列できずにいたため、今月の休業期間を使ってお線香を上げに伺ったのである。
母は、家にあったその人の結婚式の時の写真と、若い頃その人と一緒に遊んだ頃の写真を、今日会う人たちに見せるために持ってきていた。熱海からその人のご自宅に向かう電車のなかで、その写真を見せてくれた。写真の中の少女時代の母の姿は今の母の性根からは想像できない程のあどけなさで、か弱そうに微笑む少女だった。今の母に至るまでに、どんなに苦労してきたか。
その方が亡くなる1ヶ月前、既に余命幾許もないことを告げる電話が母に突然あったらしく、見つかった時にはもう手遅れの末期の癌だったらしい。死期を悟り今まで世話になった人に一人一人に電話をかけて回ったのだろう。ものすごい覚悟だと思う。
最後は、自宅で家族に囲まれて看取られたと聞いた。母とは20歳くらい離れていたけれど、よくその人に可愛がってもらっていてずっと憧れの女性だったらしい。周りからとても慕われていた方だったそうだ。たしかに遺影のなかのその人は、とても聡明な感じがして、物心ついてからあったことはなかったけれど、とても懐かしい感じがした。
70代半ばの突然の余命宣告となった急死であったためか、まだご自宅には骨壷があった。子供が巣立った家に1人となった旦那さんたっての希望だという。旦那さんは、いまも携帯で彼女の写真を眺めながらご飯を食べているという。
帰り道、最寄り駅まで送ってもらっていた車の中、思い出話をしながら、ご夫婦で何歳差だったのかと母が旦那さんに聞いた。
すると旦那さんは、「2歳だったり3歳だったり、もう4歳になりました。」と答えた。
その言葉が、その日旦那さんから聞いたどんな思い出話よりもずっと2人の関係を温かいまま鮮明に物語っていて、じんわり胸に残っている。家族の繋がりの尊さと人が人を想うあたたかさを知る旅だったと思う。
2月19日(月)
2月20日(火)
仕事はハードモードで胃が痛い1日だったけれど、残業終わりの帰り際に、先輩と久しぶりにゆっくり趣味の話で盛り上がってたのしかったので良い1日だった。横断歩道もわたしが渡ろうとしてちょうど青になったし、電車もホームに着いた瞬間にピッタリきた。
2月21日(水)
2月22日(木)
2月23日(金)・祝日
今日は大学時代からのゼミ仲間で先生の大船にあるお家(4月で取り壊しになる先生のお祖母様が住んでいたお家)にお邪魔して一泊2日の音楽合宿。
1日の大半、音楽を聴いていた気がする。
創造性を合理的に紐解いていく気持ちよさと同時に、やはり感覚でしかないものが背後に濃厚に潜んでいることがとても面白く、音楽はミクロコスモスのようで、宇宙の大きな秘密の一端に触れてしまった気分だった。
2月24日(土)
翌朝、居間に差し込む朝日と一緒にお庭を眺めながらおしること抹茶をいただいた。
居間への陽の差し込み方、差し込む陽にリズムを与えるお庭の梅、陽を最もよく感じられるテーブルやソファの配置。空間に染み込んだ暮らしの瞬間の蓄積に触れる。ここに住んでいた方がここでの日々の暮らしを心底愛しんで続けてきたことがひしひしと伝わってくる。どんな高いホテルのスイートルームより、こういうお家の居間の窓辺で日々迎える朝が尊い。
また、2階の木戸から吹き込む穏やかな谷戸の風も、まだ澄み透った冬のつめたさをしていて気持ちよかった。耳をすませば、木々や鳥たちの囁きがきこえてきた。
そのあと、銭湯に行く道すがらで、『月白青船山』に出でくるような、大船の民家と民家の間にある道と言えない道、異界の入口の場所を教えてもらった。
わたしの生まれ故郷にも実家の近くの河川敷に秘密基地があったことを久しぶりに思い出した。左右に伸びる茂みの先には別の世界があると信じていて、その間に何回も飛び込んだのを覚えている。豚舎に行く千尋みたいに、何度も。
現実世界にありありと空想の世界を描いて、疑うことなくその実在を信じていたときの高揚感や好奇心の感覚を久しぶりに鮮明に思い出して胸が高鳴った。
また、同じ道すがらで、さいわいの語源が「咲き祝う」だと教えてもらった。
3月の終わりに、またここへ来ることができる。
春が一層たのしみになった。
2月25日(日)
2月26日(月)
23時半退社。
記録更新。
はじめて終電で帰った。
2月27日(火)
2月28日(水)
仕事を投げ出し、何が何でも見たかったOPNのライブに行き、帰ってきてから残された仕事をして3時くらいに寝た。今の体力を信じてできた馬鹿なことだった。
2月29日(木)
最近地震がめちゃくちゃ多い。
Twitterでは、スロースリップがほぼ確で起きてるから、M6規模の地震に注意しろとの投稿が3万いいねを集めている。みな、危機感は同じだね。
そんなことより、眠い。
日記書くより一刻も早く寝るべきなのに。
3月へつづく。