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ストリッパー現役時代のバレンタインデー興行の思い出
バレンタインデーなので思い出話しを… 🫠🤤
当時、現役時代も踊り子になる前も私はバレンタインデーチョコは『手作り』が男性は1番喜ぶ、と思い込んでいました。
なぜなら中高生当時に読んでいたティーン雑誌に必ずバレンタイン特集で手作りが正義という洗脳を受けていたからです。。
その刷り込みのせいで(笑)踊り子時代もある時期までは毎年バレンタインデー週の10日間は手作りチョコを用意して配っていました。
手作りに関する小話を3つ。良ければどうぞ。
池袋ミカドのバレンタイン週
現役時代、毎年配るバレンタインチョコレートは年配のおじいちゃん層の歯や顎の力を考慮して柔らかいチョコレートにしていた。
だが当時はまじで毎日作っても作ってもすぐになくなり、足りないのでミカド劇場のキッチンを借りて開演中にも作っていた。
キッチンで作ってると当時の糖尿病持ちのスタッフが「チョコ作ってるの?!」と言ってニコニコ様子を見にきていた。
「食べる?」と聞いても「糖尿でやばいから」と断るのだが、何故か俺も貰えるんだという感じの謎のテンションで毎回見に来ていた。
毎回「食べる?」「いや、糖尿だから」という不毛なやり取りのを3回くらいやったような記憶が。
食べられないのに、あのスタッフさんの笑顔が忘れられない。
元気かなスタッフさん。
新宿TSミュージックのバレンタイン
あとはある年のバレンタインデー前日の死にそうだった話し。
私は当時新宿TSミュージックに乗っていた。
その日は東京は大雪で電車は止まり、会社は早くの終業を促していた。
他の都内の劇場は営業を中止していたが、何故かTSは昔から大雨だろうが暴風だろうが関係なく営業をしていた。
お客さんはその事を当然知っており、県外から都内に会社へ通っている方は電車が止まり、地元の劇場がやっていないという理由で唯一営業しているストリップ劇場に集まってきていた。
大雪がどんどん積もってゆくごとに、劇場の人の数も増えていく。最終的にはお祭り状態になり大盛況だった。
テレビでは大雪警報ニュースが流れ、一大事になっていたがそんな世間とは関係なく劇場は潤っていた。
ニコニコの劇場と真逆に私は既にバレンタイン用のチョコレートの材料である生クリームを切らしていたので内心焦っていた。どうにか手に入れないと明日配るチョコレートがない。
0時頃、積雪は20センチほどでやばかった。しかし私は長野県出身で雪には慣れていたのでなんとかなると踏んでいたがその考えが甘かった。
自宅最寄駅の小田急線登戸駅に降り立つと積雪は50センチ程になっていた。そして、街頭がほぼないので真っ暗で一面雪でどこかわからない状態である。しかも吹雪のせいでますます前が見えない。どこだここ。
コンビニが数軒並ぶ通りに、だれかの足跡ならぬ筒状の足跡の穴に脚を入れて前進する。
寒い。
しかもタイミング悪くトイレに行きたくなってくる。ピンチである。一面雪でいつも見慣れている道が全く分からなかった。靴もビショビショでもう死ぬかもしれない。
コンビニが遠くの方でぼんやりと見える。
多分デイリーヤマザキだったかと思う。いつもなら閉まっているはずなのに、なぜかこの日は深夜の大雪の中で営業していた。
祈る思いで乳製品コーナーに行く。生クリームが2つあった。奇跡だった。これで明日お客さんから失望の視線を浴びせられずに済む。神様ありがとう。泣きそうになった。
どうにかして夜鍋で作って明日持っていく!という執念だけで、深夜2時から作り翌日の分を持って行った。
その日は土曜日だった。お客様、満員御礼で感謝。
本当に神様生クリームを取っておいて下さりありがとう。これでおじいちゃん達に恨まれずにすむ。
強烈な思い出だ。
初めてのバレンタインチョコ
そんな手作り洗脳に支配された、私が初めてバレンタインチョコを男の子に渡したのは高校2年の冬だった。
当時初めて付き合っていたクラスメイトの彼氏だった。彼はウェンツエイジさんと阿部寛さんを足して二で割ったようなイケメンであったが、少々の悪い遊びを覚え、友情を大事にする純粋な少年だった。そして彼は別のクラスにいる小さな大親友とつるんでいた。
そんな彼にぞっこん(死語)だった私は、彼に喜んでもらう為に家の奥に眠っている買ってから20年は経過しているであろうオーブンを引っ張り出し、人生初のガトーショコラ作りに挑戦した。
粉物は簡単なようで扱いが難しい。苦労しながら生地を作り型に流して整えた。
ちゃんと焼けるのか不安でしかなかったが、焼き上がりの見た目は何ら問題はなかった。
丁寧にラッピングをし、箱に入れて翌日ケーキが崩れないように気をつけて学校に持って行った。
彼は喜んで受け取り「帰ってから家で食べるね!!」と帰っていった。
私の2日に渡るミッションは終え帰宅し安心して夕食をとっていると彼からの家電が鳴った。
ニヤニヤの母親から電話を受け取ると彼の弾んだ声が耳に飛び込んできた。
「いやあ、まじで美味しかったよ。本当に嬉しかったよ。」
「良かった〜嬉しい〜」
「うん、アイツと一緒に食べて本当に美味かったよ。アイツも美味いうまいって喜んでたよ!本当にありがとう!!」
アイツって、アイツか。あの、大親友のアイツか!!!
食うな!!!
怒り心頭。
毎年バレンタインはこれらの出来事を思い出します。毎年劇場で300〜500個の手作りチョコを作っていましたが、あの週は自分は業者だと思って夜な夜な作って床で寝ていたのを思い出します。
懐かしい。
因みに今年は職場の社交辞令向けに買った38個入りチョコを結局会社に持っていくのを忘れて自分で食しています(笑)美味いねチョコ(笑)