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『ある精肉店のはなし』を観てきました

前回のnoteから2年近く空いてしまいました。
その間のことも少しずつ書いていくつもりですが、まずは先日観た映画のことを。

『ある精肉店のはなし』……畜産・屠畜・精肉まで、つまり肉の生産から販売までを生業とする大阪の精肉店を営むご家族に密着したドキュメンタリー。地元の市民ホールで上映会と監督によるトークショーがあったので行ってきました。

(本編ほどではないものの屠畜時のほんの少しグロテスクな映像があります。苦手な方は心の準備をしてご覧ください。)

この作品は2013年11月29日(つまり5年前の1129の日)に公開されたものですが、例年この時期にリバイバル上映があるようで今年も東京と大阪を初め、各地で上映されるようです。
DVD化の予定がないそうなので興味のある方が劇場に足を運ぶきっかけになればいいな、と思ってこの記事を書くことにしました。
食べることが好きな方、あるいは職人技を見るのが好きな方にもお勧めです。

わたしがこの作品を知ったきっかけは、今回参加した上映会のポスターでした。この記事のトップ画像の右に配置してあるチラシと同じデザインです。その時は「少し気になる」程度だったものの、何となく印象に残っていました。
その後、市庁舎にある巨大スクリーンに映し出された予告動画に目を奪われ、上映会に行くことを決めました。見えたのはほんの一瞬だったけれど、スクリーンに映る、牛を捌く所作がとても美しかったのです。

一流の職人の所作には無駄がなく、したがって仕事が早い上に仕上がりも美しいものですが、この作品に登場する北出さんご一家の仕事もまさにそれでした。
初めて見る屠畜、特に最初の瞬間は、おそらく多くの人にとってショッキングなのではないかと思います。けれど屠畜は北出さんご一家の手によって、そのまま滞りなく進んでいきます。
4人という少人数での手作業、しかも枝肉にするまで40分程という短時間というレベルで屠畜ができる方はほとんどいないそうです。
かつては全国あちこちにあった屠場も集約されて数が減り、大きな屠場で約20もの行程をライン作業で行う傾向になっているためです。

そして北出さんご一家の営みもその時代の中で変わっていきます。この記事の冒頭に「畜産・屠畜・精肉まで」を行うと書きましたが、作品の中で北出さんご一家が屠畜に使っていた屠場が閉鎖を迎えます。それに伴い、北出家は屠畜、また畜産もやめることになるのです。閉鎖予定の屠場で行う北出家最後の屠畜の様子も、この作品に収められています。

北出家は江戸時代末期から精肉業を営んでこられ、作品に登場する新司さんで七代目。そうなると避けて通れないのは同和問題の話題。監督はこの作品を「啓発モノ」とするつもりはなかったものの、やはり北出家あるいはこの仕事や地域のルーツを見ていくときに切り離せないわけです。しかしそうなるとドキュメンタリーとして(俳優ではない)一般の方や部落の実名が出ることになるため、舞台となる地域の方々の理解を得るのに苦労なさったそうです。
「解放運動に関わった世代は自分たちの出自を明らかにして運動に関わっているのだからいい。だけどこの作品が世に出ることでまた問題が掘り起こされ、子や孫の世代にその影響が及んだらどう責任を取ってくれるのか」……覚悟を決めて行ったはずの監督は返す言葉がなかったとのこと。それでも徐々に地元の方の理解を得られ、作品を世に出すことができました。DVD化はされておらず予定もないそうですが、恐らくこの辺の事情によるものなのだと推測します。

上映後のトークショーで監督がおっしゃっていたことで印象に残っていることが2つ。

1つ目は「『この映画を観たらお肉が食べられなくなる』と思っていたけど、むしろおいしいお肉が食べたくなった」という感想が多いということ。その理由として、屠畜や精肉そのものではなく、「人や人となり」を映し出しているからではないか、ということ。
それも理由の一つなのかもしれないけど、わたしの考えは少し違います。北出さんご一家の扱うお肉が美しく、またそれを扱う手つきがまるで宝物を扱うように優しいからなのではないかなということ。つまりお肉がとても上等なものに見えるのです。
※この記事の初めの方に予告編のリンクを張りましたが、その開始17秒から20秒辺りにもスライスされたお肉が映ります。きれいなのでぜひご覧いただきたい。

2つ目は、この作品を上映していると、屠畜や精肉に関わる仕事をしている方がときどき観に来られるそうで、それにまつわる話。
作中にも昭さんによる近いニュアンスの発言があったと記憶しているのですが、屠畜を残酷な仕事、あるいは何か大変な、特別な仕事と扱われることに傷つくということ。屠畜や精肉に携わる人は仕事としてやっているだけで、むしろそれは食べる人の代わりにやってくれているのです。
この話を噛み締め、作中に出てくる美しいお肉を見ていると、命あるものをいただくということのありがたさが身にしみます。

映画の中では、言葉による説明を最小限に留めている印象です。そのため、映画を一度観ただけでは気づかないことやわからないことがあります。
わたしが参加した上映会では幸い監督のトークショーがあり、パンフレットも購入できたのでその部分を補完することができました。そういう機会を利用されると理解が深まると思います。そしてわたしも機会があったらまた観たいと思っています。1年後かな?

この作品が、観るべき人に届けばいいなと願っています。

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