謎のちょんまげ男
その男は、周りの視線も気にせず、さもここが江戸時代であるかのように堂々と歩いていた。
あれは数年ほど前、まだ私が腐れ大学生時代を京都で過ごしていた頃のお話である。いつものように少し遅めの昼ごはんを食べようと大学の食堂へ向かうと、目の前から奇妙な髪型をした男が歩いてきた。おでこがやたら広く、髪がくくられて頭頂部で纏められている。しかもただ纏められているだけでなく、その髪でできた筒状のものが、頭上から垂直に生えているのである。これは明らかに、世に言う「ちょんまげ」に違いないと感じ、むくむくと好奇心が湧き上がってきた。もちろんちょんまげなどテレビの時代劇でしか見たことがなかったが、武士はみんなあの髪型だったことを考えると、現代でその髪型を真似してみたいという阿呆がいてもおかしくはない。しかも薄い青色の浴衣を着て足元には下駄まで履いており、なんら違和感がないのである。唯一あるとすれば、そのちょんまげ男が食堂のお盆を持って座る席を探しているということくらいだろうか。
私はあくまで「あなたにそれほど興味がある訳ではない」という顔をしながら、さも平然とちょんまげ男の前を通り過ぎた。歳は20代前半くらいだろうか、特にちょんまげを見せびらかす様子も、恥ずかしがる様子もない。通り過ぎる際に髪の構造を横目で見ると、頭頂部の剃り具合は明らかにその男自身の頭部に感じられたし、また生え際部分も特に違和感がない。何らかの罰ゲームでちょんまげの被り物を被らされている訳ではなさそうなのである。
「本物のちょんまげだ!」
と心の声が漏れるのを必死で抑え、何とかその男とも目が合うことなくその場をやり過ごすことができた。
その後私がお盆におかずを乗せて彼の居場所を探していると、あのちょんまげの先がちょこっと見えた。その男は4人テーブルに座り、一人で昼ごはんを食べていた。周りには他のグループが何人かいるのだが、みんな気付いていないのか、もしくは気付いてはいるが関わりたくないのか、誰もその男とは視線を合わせようとしない。私もその男の隣に座り、その髪型の真意を聞きたかったが、まさか江戸時代からタイムスリップして来て、そのまま私も江戸に連れ戻されると困る、という今にして思えばよく分からない言い訳を自分にし、少し離れた位置から男を観察することにした。
男は黙々と食事をし、私がチラチラと見ていることも気にしていない。もし罰ゲームで自身の髪をちょんまげにするというものなら、なかなかに悪質であるし、あの男の表情からはそのような哀愁は感じることができない。まさか時代劇に出たいがために、自分の意志で本当にちょんまげにしてしまったのではなかろうか。時代劇云々は抜きにしても、ちょんまげに憧れてその髪型にしたというのは十分にありうる。普通の床屋でちょんまげなど対応できるのだろうか、いやいや、ちょんまげ専用の床屋があるに違いない、などと妄想を巡らしていると、その男は食事を済ませ何食わぬ顔で食堂から出ていった。
その後数年間はその食堂を利用していたが、あの日見たちょんまげ男に会うことはなかった。本当にあの日見たのはちょんまげ男だったのだろうか。当時読んでいた『鴨川ホルモー』の中でちょんまげの登場人物がいたために、小説と現実が頭の中で組み合わさった結果の幻想であろうか。
京都の街をちょんまげ男が悠々自適に闊歩する姿を想像しながら、今日も故郷に思いを馳せている。