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妄想的京都旅行 #1

 「今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました。まもなく京都です。」
 車内に機械的なアナウンスが響き渡ると、乗客たちは一斉に席を立ち、ドアの方へ駆け寄っていく。「そんなに急いだって何も変わりゃしないよ」とは思いつつ、車窓から鴨川が目に入ると、私の心の中に眠っていた思い出たちがむくむくと湧き上がってくる。高まる気持ちを何とか抑えながら、ゆっくりと席を立つ。さも「京都なんてちょっと旅行で来たかっただけで、特に愛着がある訳でもないし」とでも言わんばかりに。是が非でも乗客たちに私の心の中を悟られてはいけないのである。

 朝10時過ぎ、私は京都駅の改札を出る。すでに気温は上昇気味であり、薄手の長袖、もしくは半袖でも良かったなあと思いつつ、少し腕まくりをしてみる。大きく息を吸い込んで丁寧にゆっくりと吐き出すと、身体の中にある都会の濁った空気が少しずつ浄化されていくように感じる。もちろん田舎の山奥に比べれば京都の空気はそれほど綺麗とは言えないが、それ以上にこの街の雰囲気とこの街で暮らした思い出とが混ざり合って、私にとってはえも言われぬ浄化作用があるのである。一通りの深呼吸を終えた後、大股に一歩を踏み出して歩き出す。ここから先の出来事をこの目にじっくりと焼き付ける覚悟は既に出来ている。

 まず初めに出迎えてくれるのは、大きくそびえ立つ京都タワーだ。高い建物が少ない京都において、京都タワーは比較的どこからでも発見できるランドマークなのであるが、特に京都駅から見たこのタワーは、見るものを「ついに京都へやって来た」という感情にさせる。どこか異空間への入り口とでも言うべきか、旅への期待を膨らませることは間違いないが、それと同時に「このタワーを見たからには、この街のあらゆる掟に従ってもらいますよ」と感じてしまうのは私だけであろうか。このタワーからは京都の眺めを一望できるらしいが、私は一度も登ったことがない。ここに住んでいる当時はいつでも登れるからと言いつつ登る機会を逃してしまい、旅行で何度か来た際もわざわざ登るほどのものでもないと感じてしまい、今に至るのである。今回も登る予定はなかったのでタワーを横目で見つつ歩いていくが、このままでは一生登らず仕舞いで終わってしまうだろう。

 そんなタワーを尻目に地下道に入り、地下鉄を目指す。京都観光と言えば市バスが定番であるが、観光客が多くてお目当てのバスに中々乗れなかったり、はたまた道路が渋滞していて予想以上に時間がかかったりと、経験上あまり良い乗り物ではない。それに比べて地下鉄は観光客もまばらであるし、時間通りに電車が来るので、目的地の近くに駅がある場合はとても便利なのである。地下鉄京都駅から烏丸線に乗り込み、烏丸御池で東西線に乗り換えて蹴上を目指す。

 蹴上駅で下車して地上に出ると、すぐそばに今回の目的地が見える。そう、蹴上インクラインである。明治から昭和初期にかけて、琵琶湖疏水上の船を運ぶために使用された鉄道の跡地らしく、今では桜の名所として知られている。ちょうど今は桜の季節は終わり、その枝から新芽がむくむくと大きくなっている頃である。インクラインをゆっくりと下りながら風の声に耳をすましてみると、若葉たちが自分を見てくれと言わんばかりに必死に木々を揺らしてハーモニーを奏でている。

 ふと桜の季節のインクラインはさぞ綺麗だろうなと思い、指をパチンと鳴らす。その瞬間、新緑の木々に次々と桜の花がついて行き、観光客の姿も見当たらなくなる。ほんの数秒でインクラインは満開の桜に包まれ、そこに立っているのは私一人、まさに桜の独り占めである。そもそもこの話も私の妄想の産物であるし、妄想の中に妄想を作り出すことだってお安い御用なのだ。そんな妄想の入れ子状態の中で、満開の桜に囲まれながらゆっくりとインクラインを下っていく。このインクラインを下りきってしまえば、また新緑の桜に戻ってしまうことは分かっているので、この景色を目に焼き付けながらゆっくりと一歩ずつ足を進めていく。桜の花びら一つ一つに京都で暮らした思い出が詰まっており、あの頃を思い出しながらゆっくりと、ゆっくりと。

私の妄想的旅行はまだ始まったばかり