見出し画像

鴨川デルタ探訪

 二月某日、人の少ない鴨川デルタに降り立った。京都在住時はよくここで過ごしていたが、今は遠く離れた地に住んでいるため、降り立つだけでもかなりの時間を要してしまう。それでも懐かしく感じるのは、色々な思い出が詰まっている場所だからではないだろうか。

 デルタ周辺には下鴨神社と言う有名な神社があり、この神社は私も大好きでよく行っている。観光客の多くは下鴨神社の「ついで」にデルタに立ち寄ると予想されるが、デルタを知らない人にデルタ単体の魅力を説明するのは意外に難しい。
何か有名なオブジェがある訳でもなく、簡潔に「高野川と鴨川に囲まれた三角地帯」と説明すると、「そんな三角地帯は他にいくらでもあるのではないか」と突っ込まれてもおかしくはない。確かに地形的には決して珍しいものではないが、京都に住んでいる人にとっては京都らしさを示すある種のアイデンティティであり、観光客にとっては京都らしさを感じることのできるスポットであるのだと思う。また私を含めて一時期京都に住んでいた人にとっては、鴨川デルタは郷愁の象徴であり、いつまでも色褪せない青春のタイムカプセルにも感じられる。

 鴨川デルタでは色々な人が思い思いの時間を過ごしている。飛び石を渡って記念写真を撮る家族連れ、逢瀬を楽しむ初々しいカップル、しんみりと読書に耽る老人などその種類は枚挙にいとまがない。しかしながら異なる目的の人たちが集まった結果、あの鴨川デルタという存在が形成されていることは興味深い。おそらくあの場所でどれだけ特異なことをしようとも、「鴨川デルタではそういうこともあり得る」との一言で片付けられるのではないか。

 かつて「鴨川レース」なるものをこの目で目撃したことがある。その名の通り鴨川の中に身体を突っ込み、じゃぶじゃぶとデルタ付近まで登ってくるのだが、それはまさに大きな鯉が必死に川を登る「登竜門」の語源とも言うべき姿だった。登り切った勝者が竜になれるのかどうかは定かではないが、あの見物人からの目線に耐えながら登るのはなかなか恥ずかしいものであると想像される。しかも見物人も見物人でただ楽しんでおり、誰一人として止めに入るものはいない。これが鴨川ではなく東京や大阪の市街地を流れる川であったら、瞬く間に警察やら何やらが来て事情聴取されるだろう。鴨川デルタほど阿呆に寛容な場所はそうないのではないか。

 ここで私の阿呆エピソードの1つや2つでもあると面白かったが、デルタでやったことと言えば花見や花火や送り火見物など、いたって健全な楽しみ方であった。春には鴨川沿いに桜が咲き乱れ、友人たちと酒を酌み交わしながら、少しずつ暖かかくなっていく春の陽気を楽しんだものである。祇園祭の季節には当時の恋人と線香花火を行ったが、終わった花火を入れるバケツを忘れ、右往左往した記憶がある。その時に「送り火の季節にはここから大文字山がよく見えるらしいよ」という、高瀬川の底より浅い会話を交わしていたが、その後その恋人とデルタで送り火を見ることはなかった。その理由はご想像にお任せしたいが、数年後にデルタで友人と送り火を見た際は本当に綺麗で感動した。

 楽しい記憶、甘酸っぱい記憶だけでなく、少しほろ苦い記憶なども含めて、私の中で鴨川デルタは思い出の場所なのである。

 今回久しぶりにデルタを訪れた際に、感動して泣きそうになった。日々を過ごす中で思い通りにいかないことや悲しいことは鴨川で文字通り水に流し、川に浮かんでいる楽しかった思い出たちを掬い上げて身体の中に取り込む。そうやって私の身体を京都成分で満たし、京都を離れてもこの成分を少しずつ消費しながら暮らしていく。京都成分が空っぽになり陰鬱成分が増えてくれば、再び鴨川デルタに向かい養分を補給する。

そうすることで私はかろうじて生きていくことができるのかもしれない。