北白川と私
かつて私は京都の北白川という地区に住んでいた。
大学生協の紹介でその地を初めて訪れた際、地名のかっこよさと静かな雰囲気が気に入ってここに住むことを決めたのだと記憶している。前者に関しては、なんとなく長い地名がかっこいいと思っていたことと、北白川と聞くと高級住宅地というイメージがあったことが関係する。要するに大した理由などなかったのである。後者に関しては、繁華街からも離れており、山が近くゆっくり暮らせると考えたからだ。
一度その地を見学したからといって、実際に住んでみると存外イメージとは異なっていたということは多々ある。私も実際に住んでみて、先に述べた2点の決断理由があまり正しくなかったと思い知らされることになった。
1点目に、高級住宅地と思っていたのはほんのわずかな区画にしか過ぎず、その大半は(私のボロアパートも含めて)ごく普通の住宅地だったということだった。しかも北白川という響きが個人的にはかっこいいと思っていたのだが、世間の目はそんなことはなく、多くの学生が北白川に住んでいたためむしろ平凡すぎるくらいだった。まあそもそもの理由が「なんとなく」かっこいいだったので、この部分に関してはむしろ折り込み済みだった(と言いたい)。
2点目に、静かな雰囲気が気に入ったのはよかったが、かなり山の近くに住んでいたため、色々な面で不便だった。北白川と一言で言っても校区はかなり広く、私は別当町の交差点を東へずんずん登った市バスの終点付近に住んでいた。大学生協の案内人からは「バス停も近いですし、近くに大きな病院もあるのでいざという時に安心です」という口車にまんまと乗せられたが、バスの本数は少ないし、大きな病院のため昼夜を問わず救急車が行き交い、完全な静寂が約束されている訳ではなかった。住んでから半年ほどで、まんまと口車に乗せられたのだと気づいた頃には時すでに遅く、新たに引っ越しする費用もかかるからということで、とりあえず2年は住んでみることにした。
ここまで罵詈雑言を散々書いてきたが、このままこの話を終わると北白川天満宮の神様によって生涯北白川への立ち入りを禁止されそうなので、最後に住んで良かった部分も二点述べておく。
1点目は、比叡山への登り口が近く、いつでも気が向けば比叡山に登れるということだ。そんな頻繁に山に登ることはないだろうと思われるかもしれないが、暇な大学生を侮るなかれ、事あるごとに比叡山に登っていた。初めはたまに友人と登る程度だったのだが、だんだんとその魅力に取り憑かれ、気が付けば週に一度は一人で登るようになっていた。週に一度というのはさすがに盛ったが、少なくとも月に1~2回は登っていたのではないかと思う。真冬に登って遭難しかけた話はまた別の機会にするとして、とにかく頻繁に比叡山に登る人にとってはとても便利な場所であった。
2点目は、あの森見先生がかつてこの地に住んでいたということだ。森見先生の小説の中で別当町の交差点もあの憎たらしい大病院も時々登場するが、とあるエッセイの中で、私の住んでいたアパートから目と鼻の先にかつて森見先生も住んでいたことが判明した。もちろんエッセイの中の話であるので真偽の程は定かではないが、それでも当時はとても嬉しく思い、あの別当町からの急峻な坂道を登るのもいくらかは楽しくなった。
このような推しポイントもあったので、最終的には北白川に6年間も住んでいた。アクセスの悪さという欠点は最後まで付きまとったが、大抵の場合は自転車で移動していたので、その欠点には目をつぶっても暮らすことはできた。もしこれを読んだ方が北白川に住みたいと思っていただければ、私も次に京都に向かう際は、安心して北白川天満宮の前を通ることができるので幸いである。
住めば都とはよく言うが、それを実感できたのは、今こうして京都から離れて生活している時があるからなのかもしれない。
まあ古都には変わりなく、ある意味住まずとも都なのだが。