欧米の帰国生として、東南アジアのインターっていいなと思う理由
子供達は現在、東南アジアのインターナショナルスクールに通っている。私自身は欧米で育ってきたのだが、それに比べて東南アジアは子育てしやすいなと思うことが多い。
子供達が通っているインターナショナルスクールでは多種多様な人種が入り混じっている。「インターナショナル」と言うくらいだから世界各国から生徒がやってくるのだが、地域によって人種のバランスは異なり、おそらく東南アジアのインターナショナルは欧米に比べ、アジア人の比率が多いように感じる。中国、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、日本等のアジアの生徒がおり、もちろん学校で話すのは英語だが、ぱっと見みな似ていて誰が何人だかわからない、といった不思議な環境が生まれる。これに加えてアメリカ、オーストラリア、インド、ヨーロッパ諸国の生徒がちらほらいるような比率だ。
欧米の子達に囲まれて育ってほしいと思っていた親御さん達にとっては、この状況は必ずしも好ましくないようだが、私は自分の経験から、これはいいなあ、と思わずにはいられないのだ。なぜならアジア人を軽視する空気が生まれにくいからである。
幼少期にどの学校にも必ずいた、イヤ〜な奴ら
今はどうかわからないが、20数年前のアメリカの学校では一定数、アジア人を馬鹿にしてくる人間がいた。学校で少し日本語を喋ろうものなら"Ching, chong, chong!" と通りすがりに絡んできたり(母国語を馬鹿にした言葉)、列に並ぶたびに"No cuts, no buts, no chinese coconuts" なんて言われたものだ。(並ばず横入りする中国人を揶揄した言葉)
小学校の頃はまだ人種の意識がボンヤリしていたので「あいつ嫌な奴だなあ」くらいにしか思っていなかったが、中学生になる頃にはウザ絡みをしてくるのっていつも白人系アメリカ人だな、と悲しい統計結果が見えてくる。もちろん、白人系アメリカ人の中にも、もの凄く知的で優しくて素晴らしい人間もいる。(むしろムカつく奴か超いい奴かの2択だったような気もする…)だが、残念ながら馬鹿にしてくる人間は決まって白人系アメリカ人だったので、だんだん話しかけられる事自体に身構えるようになっていった。
英語を喋れないことを馬鹿にするのが面白い、といった当時のアメリカの空気
20数年前のアメリカには、英語を喋れなかったり訛りがあるとダサい、といった空気があった。テレビではよく、訛りのある英語を喋るキャラクターが登場するが、それは決まってコメディの要素としてであった。テレビでは「ワハハ」の効果音と共に話が進んでいくが、それを日常生活で生身の人間に行うとただのクソ野郎であるということに気づかない人間が多かった。
学校だけではなく、街中に出ても「お前英語喋れないんだろ?」という偏見に満ちた視線を感じる事は多々あった。見下されるのがあまりに日常茶飯事だったせいで、幼少期の私の目つきは徐々に悪くなり、口は常にへの字、心はいつでも臨戦体制であった。今思えば中にはわかり合える人間もいたのだろうが、当時は必要以上に意地を張っていたせいで意見をフラットに受け取るという事自体、できなかった。常に警戒心たっぷりで疑心暗鬼で不機嫌で、特に思春期になってからは常に怒りに満ち満ちていた。
逆に偏見の塊になってしまっていた中学時代
度重なるウザ絡みにより、中学生になる頃には、むしろ私自信が偏見の塊と化していた。彼らから話しかけられた瞬間に警戒心MAXで物事を聞いていたし、その発言の全てを馬鹿にする意図があっての上だと決めつけてやり取りしていた。そのせいで相手を不愉快にさせただろうし、そのせいで余計にからかいたくなった可能性さえもある。
今思い返せば「あれはただ単に好奇心から聞いてきた事なのでは??」といったやり取りがいくつも思い出される。ランチに持ってきたおにぎりを指し、"Is that sushi?"と聞いてきた時も、不愉快顔全快で「ちがうけど(怒)」と言うのではなく、「これはスシじゃなくておにぎりだよ、米の上に生魚が乗ってるのがスシだよ笑」とフラットな会話ができていたら、多分普通のクラスメートになれていたのだろう。なんともやり直してみたい所だ…。
ちなみに高校に進学してからは、不思議と差別はなくなっていった。年齢的に、分別がついてきて精神的に大人になってきたという事と、お互い思春期を抜けてきたあたりで他人を攻撃しなくても良くなってきたのかもしれない。
喋れなくてOK、訛っていて当然の東南アジアインター
上記でも述べたとおり、東南アジアのインターは、他の国よりもアジア人の比率が高い。アジア人という理由だけでバカにされる事はないし、英語ができない生徒が入学してきた所で馬鹿にされる事はない。むしろ、喋れる子がサポート役にあてがわれ、英語ができないのをフォローするのも在校生の役目である。
また、発音に関してもなんとも寛容である。東南アジアでは、さまざまな訛りの英語が混在する。インド系、中華系、マレー系、オーストラリア系、アメリカ系、イギリス系、いろんな訛りの英語がごちゃっと集まっている場所でそもそもの発音が多様なので日本語訛りの英語が入ってきた所で、誰もそれを気にする人はいない。英語初心者にとっては実にスタートしやすい環境だと思うのだ。
でもそれだと発音が変にならないの??という所が親としては最大に気になる所だが、混ざりまくっているからこそ、どれか偏った発音が身に付く訳ではないような気がしている。先生の影響が最も大きいのだろうが、今の所、我が子達は不思議と欧米よりの発音に育っている。また、英語は大学生くらいまでは発音の矯正が割と簡単に可能である。多少訛った英語が身につき、それがどうしても気になるのであれば、高校や大学時代に欧米の環境に身を置く、と言った事をするのもアリかもしれない。ただビジネスの世界に出て英語を使う場合、それこそ訛っている方がマジョリティである気がするが。。
確かに欧米人が多く、ネイティブスピーカーが多ければ多いほど英語の習得は早い。しかし同時に、どうしても欧米ならではのヒエラルキーがちらついてしまう。一方で東南アジアの多くのインターでは、そもそもアジア人が多いこともありヒエラルキーが比較的フラットである。
我が子がスーパー素直であればどこで育とうときっと大丈夫なのであろうが、中には私のように、アジア人というだけでリスペクトを得られなかったが故にひねくれて育つ人間もいる。思春期に人として対等な関係を築けて、多種多様な国籍の人間に出会えて、もちろん英語も上達する、これだけ大事な事が揃っていれば東南アジアのインターって実はとっても良い環境なのではないかと思うのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?