帰国生がミニ帰国生を育てることになった
子供が産まれてからの生活は、変化が目まぐるしい。
子供が産まれるや否や保育園争奪戦が展開され、どうにか無事保育園に預けられたと思ったらフルタイム共働きの無理ゲーぶりに家庭が大混乱。教育観の違いによりやっとの思いで入った保育園を退園し、幼稚園に転園。生まれた時は選択肢にもなかった小学校受験に突然本気になり、地獄の受験を経て小学校に入学したと思いきや今度はまさかの海外赴任である。我ながら落ち着きがない人生である。ちなみにこの期間に引っ越しも6回しているし家族も新たに1名+1匹増えた。
海外赴任先は、東南アジアである。
以前も紹介したことがあるが、私自身も義務教育までを海外で送った帰国生なのである。私のような帰国子女の海外赴任者は多いだろうと思っていたのだが、、意外な事にあまりいない事に気づく。案外この、帰国生がミニ帰国生を育てるという状況は珍しいようだ。自分の帰国生としての経験は予想以上に役に立つのかもしれないと思うようになり、この生活を通して感じたこと・学んだ事・経験に照らし合わせて発見した事などを書いていくことにした。
なぜ海外へ飛ぶことになったのか
赴任する事になったきっかけは家族の仕事だったが、元々海外生活を希望する気持ちが人よりも強かった。一番の動機はやはり子供の教育だ。多様性が当たり前に存在する環境で育てかったというのと、単純に、英語を扱えてほしかった。
当初は海外赴任の可能性は全く無かったため、国内でどうにかこうにか道を探す事に専念して我が子を育ててきた。しかし苦労して入学した学校にさえ、違和感を感じていた。入学直後から感じていた違和感は学年が上がるにつれ強くなっていき、机に向かう時間が増えるにつれ「努力の対象はそこかなぁ…」と思うことや、逆に「今の時期にやらないのかぁ…」と感じる事も増えた。要するに、子供の時間配分が理想と乖離していく一方だったのだ。
詳しくはこちらで触れている。
日本で育った素晴らしい友人には数多く出会っているので、日本を出ずとも彼ら・彼女らのように素晴らしい人間に育つ道はあるのだろう。しかし時代の変化がめまぐるしい中、私たちの幼少期と今の状況は別物であることもまた事実。違和感が大きい中で、膨大な勉強時間を快くサポートできるかというと・・・正直なところ、気が進まない。
そんな中、海外赴任の話が突然沸いて出てきた。子供達の年齢的にも、英語環境にスッと馴染めるギリギリのタイミングでもあったので、このチャンスに飛びつくことにした。
帰国生となる子どもの最大の課題は、日本語力の維持
子供が帰国子女として育つにあたって模索して行きたいのは、やはり日本語とのバランスである。英語は放っておいてもいずれ習得するだろうが、日本語はよほど意識して頑張らないとどんどん遅れをとっていく。「将来日本に帰って住む可能性があるか」という点が最大の考慮点だが、今のところいずれ帰るだろうとは思っている。
かといって、完全な半々バイリンガルを目指しているかと聞かれれば、実はそうではない。どちらかというと、現時点では日本寄りに育ってほしいと思っている。なぜならば、土台さえ作っておけば、英語に寄りになる事は大人になってからいつでもできると思うからだ。
帰国子女としての経験を活かして
私自身も幼稚園〜高校生の約10年を欧米で過ごした帰国子女である。自分で言うのもなんだが、長年渡米していた割にはなかなかバランス良く育った方である。日本語の読み書き喋りも、英語の読み書き喋りもさほど不自由した記憶はない。性格面においては難ありだが、日本のどっぷりとしたコミュニティにも浸かれるし、英語のコミュニティにもまぁ入っていける。今は。(帰国直後の時期と、日本企業に入社した数年間は日本文化を飲み込むのにかなり苦戦したが、それはまた別の時に。)
我が子達も、できればバランスの良い帰国生として育って欲しい。しかし育てる側になって初めてわかる、インターと日本語教育との両立の難しさよ。海外生活で日本語のレベルを日本の同級生並みに維持するのは本当に至難の業である。滞在先に日本語補習校などがあればまだ頼れるものがあるが、補習校がないとなると日本語維持の難易度は爆上がりする。
このマガジンでは、自分自身の海外経験を思い返しながら、手探りでバイリンガル教育を模索していこうと思う。東南アジアで発見したこと、感じたことを今後ここで記していきたいと思う。今までの人生もそうだったように、きっと狙い通りに行く事の方が少なく、極端な話アッサリ帰国してしまう可能性さえもあるが、暖かく見守っていただければありがたい。
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