noteセラピー 恐怖の小学5.6年編

自分の思い出をnoteに書けば書くほど、さらに思い出が出てくる。思い出がはがれると、さらに古くて下の方にある思い出がのぞいてくる感覚。そしてあのとき傷ついてたんだなぁとか、いまさら感情を確認している。確認して思いを追体験すれば、思い出は本当に思い出となり、昇華できる感じ。不思議な存在です、わたしにとってのセラピーのようなnote。昇華できることは、とても心地よいです。

今日は小学生時代の怖い先生について。自分を癒すために思い出せることを書こうと思います。

5、6年の担任の先生は、強烈な体罰をする先生でした。物を盗んだ児童を窓から逆さ吊りしていました。殴る蹴る物を投げる。もう、詳細思い出せないんだけど、とにかく恐怖政治。またうちのクラスが問題の多いことで。今にして思えば、恐らく虐待を受けていた子もいたのじゃないかな。その物を盗ったのは女の子で、あんまり身なりが清潔じゃなかった。今にして思えば、お風呂に入れないようなネグレクトに遭ったのでは。問題のない家庭はないだろうけれど、とにかくしんどい子たちが多いクラスだった。いじめっ子、いじめられっ子、そしてそこらへんの問題を暴力で抑えられるクラスじゃ毎日は楽しくなくて、しらっとしがちなわたしみたいな日和見児童たち。一方、中学受験するような子も。(しかし田舎の小学生には稀有な存在。小学校全体的に、スポーツが盛んで先生も体育会系ばかりだったので、受験するような子は居心地悪かったろうなと思う)。そんなこどもたちをまとめて、みせかけだけでも意欲的にするために使われた暴力。返事を反射的ににハイ!」として、やりたい人?には全員手をあげる。そのように仕向ける。

今回使わせてもらった見出し写真。これは、組体操の写真だろうか。こんな風に組体操やってた。危険できつくて、でもそれをやらせるのが当たり前でやるのが当たり前の小学校だった。なんなんだろうなあ。身についたことはなんだったろう。わたしは単純で、あんまりキツいことなかったし楽しいなとも思っていたけれど、重い、痛いと苦しむ涙なくしてできない組体操って、なんなんだろう。

恐怖政治の代償か、中学生になったら(田舎なのでほぼずっと同じメンバーがそろう)無気力な生徒たちとなりました。年頃もそうなる頃だけど、やはりあの積極性、自主性はまやかしだったのです。

いまはその先生は校長職にあるようです。やり手ではあったのでしょう。しかし、指導力不足を暴力で補う。それはありそうなことだしそうだったろうし、手強い児童たちだったんだろう、けど、わたしのトラウマでは、ある。正直、校長先生がそんなことをしていたと知れば嫌じゃないでしょうか。当時こどもたちがそんな目に遭っていると親は知っていたけど(あんたのクラスやりにくい。この先生はそれくらいやらないとこどもたちは言う事聞かせることできない、むしろ指導力ある、と、母は近隣の小学校の教員として働いていたので内情を知っていて、でも、そう言ってた)、止められることはなかった。実際あの恐怖政治を体験した大人はいない。ぜひ大人にやってみてほしかったな。ぜひ。ぜひ。

恨みの熾火が燃えて来た。

一方で、この先生はギターを弾いてくれたり、自宅にクラス全員を招いたり、雑談に大学時代のアホ体験を語ったりと憎みきれない面もある先生でした。体当たりではあった。

わたしにとっては悪いだけの思い出ではないです。児童はこれほどまでの目に遭わせられることもあるのだ、という強烈な経験値となってる。こんな人もいて、それで憎みきれないもんなんだ、てことも。無力感も。すべては過去の思い出。

おしまい。


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