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喜びと悲しみを強く感じる

私はこどもを育てられるようになってから、長男に自分に似た心配性なところを見出して悩んでいた。でも、それはおそらく杞憂であった。長男は私より楽天的で現実的みたい。まだわからないけれど、嬉しい。
一方で次男は、私と、似ているかもしれない。今日の夕方、彼はこれから何年生きられるか?と思って涙していた。5歳男児がである。でも、私は、自分も幼い頃そういうふうに思ったことがある、と思い出していた。夕方になると、さみしくなるよね。幼いながらも、命が終わることをなんとなくまわりから知らされてしまっていて、たとえあと100年あるよ、と言われても寂しくなってしまうんだ。

いまの私なら、あまりうろたえずに済みそうだ。心療内科にかかり、不安を小さくできた、いまの私なら、こんなふうに感性の豊かな、私ににている次男の将来を不安視せずに、いられる。

小説「赤毛のアン」で、育ての親マリラがあまりに悲しみすぎるアンを心配するシーンがある。だけど、「そのような者は、喜びも同じくらい強く感じられるのだ」と、文章は続く。マリラには、わからないけれど、とも。

短所はやっぱり長所にもなり得る。
そして私は、全ての人が不完全で良いのだと学び出している。自分の不安障害をとおして。
感性豊かな次男。そして私。
享受しよう!自分の良さを。そして悲しくなりすぎても、それで良いと気づけばいい。

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