信仰の迷宮
神も仏もない、と思う事はある。災害、戦争、犯罪などを見聞きし、救いはないのかと。
一方で、明確に、自分を大事にすることにつながると思うので、先祖を大事にするのはすごく良いものだと思っている。義母がなんでもご先祖にお願いする人で、こどもたちが風邪をひいても、「お仏壇毎日お祈りしといたから、治ったしお礼言っておき、安心しはるわ」と言う。
良い作用ならなんでも良いのだ。ただ、悪い作用を早めに取り除きたい。こどもたちを信仰の迷宮みたいなものから出してやりたい。
赤毛のアンシリーズが子供の頃から好きなのだが、母親になったアンが、神学の迷宮から娘を救い出した、というシーンがある。アンが病気になり、小さい娘が「自分が夜の墓地を通り抜けたらママは助かる」と決めて通ろうとする。しかしどうしても怖くて達成できなかった。だからママは死んでしまう!と絶望している。「神様は小さい女の子と取引なんかなさらないのよ、ただ助けてくださるの」たしかこのような言い回しで、ママであるアンは安心させてやっていた。たしか、、後日墓地の外で待っていてやって、通り抜けを実行させてやったのだったと思う。パーフェクトな対応だわ。
そういう、自分に何か課してひきかえに願いを叶えようとすることが、私もあった。幼いころ。次男も最近そんなことがあり、神様や仏様にではなかったが、がんばったらいい事がある(行為と願いに脈絡はない)、と思ってたみたいなので、そんなことはなくて、がんばらなくて良いんだと伝えた。
切ない!小さい子が、期待して脈絡ない何かをやり遂げようなどと。
私もまだ、バチがあたりそうでやらないことってある。いい中年ですが。強迫観念にも通じそうだな。だからとにかく、こどもたちには、ファンタジーをある程度壊す事になろうと、バチがあたるはないし、奇跡も努力なしには起こらないとしっかりわかってもらいたい。。。
実は難しいことなのかもしれないけれど。
弱ったら宗教に入ったり、大人だってするもの。陰謀論だってハマるもの。
亡くなる直前にキリスト教に入信なさった親族がいる。現実的な方だが、それでも「私がこんな病になったのは今までキリスト教にならなかったからかな」とか言っておられたらしい。入信をすすめた人はどう説明したのだろう?まさか脅したわけではないよな。だけど入信をすすめるのは罪だと思った。
迷宮に私も居るのかもしれないけれど、一つ言えることは、苦しんでまですることは信仰ではないと思う。