偽物の人生
幼稚園に入る前か入った頃か、その頃、子供のふりして生きるようにした。
そのきっかけは幼児教育番組のお母さんといっしょ。
ポロリがピーマン嫌いー!ってあまりにも言ってるから
(え、普通そうなの?!)
(ヤバい、隠さなきゃ)
と、そこからこどもぶるようになった。
なぜかポロリを一般的な「こども像」だと思い込み、そこから偽物の人生ははじまった。
それがベースになっていたとこがあったから。誰かのようになりたくて、真似して一生懸命生きてきた。
長所にしてもいいところを人とちがうからと、否定して短所にしてきた。
悩みなんてなかったのに、悩んでいるのが羨ましくて悩むことを覚えた。
そんな積み重ねをしていたら、いつの間にか悩みから抜け出すことが出来なくなっていた。
なんてアホなのでしょう・・・=͟͟͞͞(꒪ỏ꒪)
悩んでみたいから悩むようになったのに、叶ったら
こんなの嫌だ!!
って、失礼なことしてた。
そこにあったのは普通でいなきゃいけないだった。
普通なんてないのにね。
そうして自分を無意識のうちに押し殺してるときもあって、自分のようでありながら、人目を氣にして生きてきた。
そしたら、精神的に病んだ。
さすがにあまりにも限界を感じていて、ここ1~2年、湧き上がってきていた
良いとこ見せていいんじゃない?
良いとこ見せないと誰にも伝わらないよ?
という思い。
表現はちがうけど、同じことをちがう側面からアプローチ。
そして、あとは淡々と行動する。を繰り返してきた。
そうしたらね、精神的に健全になってきた☻
抜けてきたら、なんであんな簡単なことも出来なかったの?と自分のことながら不思議で仕方ない(笑)。
まるで、本当に別の人生や偽物の人生を生きていた。
たとえそれが偽物であろうと本物であろうとどんな人生でもそれは紛れもなくmochiccoにとっての半生である。
そして、反省すべき点でもある。←
これは一見失敗かのように思えることだったけど、それを活かせばいいだけのこと。
こんな窮屈な人生を経験をしたからこそ、自分を生きることの大切さを学んだし、人生をクリエイトすることの大切さを学んだ。
受け身だった人生は楽だったけど、どこかたのしくなかった。
楽なのも大事だけど、楽でたのしい人生を生きていけばいい。
楽したらダメなんて誰が決めたのさ。
楽でたのしい
それがしたいから、そのためにできることを頑張る◎
おかげで、時間やエネルギーの使い方もたくさん学ばせてもらいました!
ありがとう☻
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