情報との関わり方
情報化社会と言われてだいぶ経ちます。
久しぶりに陰謀論的な情報に触れたので、今回は情報に対するスタンスを。
そういった情報に免疫がなかった頃は鵜呑みにして信じ込んでいた時期もありましたが、いまは否定はしませんが肯定もせず知識としては頭に入れてはいますが基本スルーするようにしております。
いろんな情報がいろんなところから出回ってはいるけれど、その発信をしてる人と会ったことさえもないことだって日常だったりする。
情報って発信する人がいれば、受け取る人がいる。
これはリアルに会っていなくても会っていても同じこと。
今回は受け取る側の話を。
どんな情報もその人の受け取り方次第なところはあるものですが、不安を引き出す情報に触れて不安に苛まれる時間をつくるよりも、自分を楽しませていられる情報に触れてたのしい時間をつくっていたい。
いろんな人が情報発信できるようになったいまだからこそ、気をつけなくてはならないなぁと感じることもある。
特に現代は情報ってどこにでもあるくらい洪水のように溢れている。
だからこそ、あえて情報に触れない時間をもち、目の前のことに取り組む時間をとる。
不安が強いときほど情報を取りたくなって余計不安のループにハマりこんだ経験もしたことがあるからわかるけど、情報をとらないでいる方が精神衛生上健全だったりする。
不安な情報にまみれている時間を過ごすより、友達と遊んだり連絡をとったり、1人でカフェに行ったり、ドラマを見たり漫画を読んだりして夢中になってるときの方がよほど自分にとっては健全な時間。
情報に溺れていた頃もあり、不安から逃れようと動いていたときもありましたが、それは神経をすり減らしていただけだった。
幸い、マクロビにハマったりして陰陽論を学んでいたこともあり、なるべく中庸であるようにし、感情で動かないようにしているし、量子力学の観点も同じくらい大切にしている。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
だけど、知識としては知っておいた方がいいよね。
なければないでいいし。
そもそも、そういう陰謀論的な情報発信してる人って量子力学の観点や陰陽論的な観点あるのかな?
という大前提のところも加味して、情報を受け取るかどうか決める。
そんな感じのスタンスでいられているいまがとても心地よいです☻
人生をクリエイトする視点から言うなら、とる情報も選べるし、仮に毒々しいことが本当にあるとしても、そこで嘆くよりも、そんな毒々しいものを出せるカラダをつくることに注力していけばいい。
たかが情報されど情報。
だからこそ、情報に振り回されるよりも情報を使えるよう、なるべく心地よく関わりたいものですね⚮