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人生の仕訳

「ときめかないものは捨てましょう」
と、 かの有名なお片付けアドバイザーの方はおっしゃっていた。
けれど今、家にあるものはときめくものばっかりで捨てるものなんてない。
そう思っていたのだけれど。

突然猫をお迎えすることになってしまい、その考えは180度変わってしまった。
夫婦ともに猫好きで、 引っ越したのだしいつか猫を飼いたいねと話していたのだけれど、 それはずっと先の話だとぼんやり考えていた。
なのに、たまたま天気がいいからと高尾山口へ出かけ、山には登らず 駅周辺をぶらぶらして。
近辺の蕎麦屋はどこも行列だったので、諦めて数駅先のショッピングモールの中の蕎麦屋でお昼を食べてモールをぶらぶらしている時に、たまたまペットショップで猫を見て。
そこからなんとなく火がついてペットショップ巡りになり、そして夜には猫のお迎えが決まっていたと言うわけである。急転直下すぎて猫を抱きながら「人生が流れていく!! 怖い!!」と叫んだら夫に「君、マンション買った時も同じこと言ってたよね」と突っ込まれた。
私は基本的に臆病もので石橋を叩いて壊すタイプだ。

そんなわけで週末には猫が来る。
そう決まった途端、これまで悩んでいたことが全て吹っ飛んでしまった。

実はここ半年ほど文章仕事への情熱を失っていて、仕事を減らしていた。
本当は、シナリオライターとしてデビューした時から分かっていたのだ。
私は文章にさほど興味がないままここまで来てしまったのだと。

子供の頃からずっと漫画家になりたいくらい漫画が好きなので、clipStudioを覚えてエロ漫画を描き始め、ダウンロード配信サイトで同人誌を売っている。
けれど、なかなかこれ一本で食えるはずもなく。

こんな調子でこれからどうやって生きていこうか。そんなことばかり毎日ぐだぐだ考えていたのだけれど。
生き物を育てるにはともかくお金がかかる。夫に頼りきりではいけない。 自分も稼がなくては!
そう決意し夜にはチャットワークで仕事先のディレクターへ「猫を飼い始めるので仕事を増やしてください!」とメッセージを飛ばしていた。
(そんな理由が通じるのかと突っ込まれそうだが、相手も猫を飼っているので分かってもらえると踏んだ上での行動である)
興味があるとかないとか私の作家性がどうのこうの言ってる場合ではない。
今私が持っている技能の中で、一番高いお金が稼げるのは結局文章しかないのだと悟った。

夫は夫で、これまでダラダラと課金を続けていたサブスクを整理すると言い出した。
何を1番優先すべきかがわかった途端、人間はすぐに決断できるのだなと実感した。

猫を飼うというイベントは、これまでなんとなく続けていたことを整理する良い機会なのかもしれない。
私はドールやミニチュア、そしてぬいぐるみなどが大好きで、部屋はそれらで埋め尽くされている。
もうアラフィフなのだし、ゆっくりとでも終活に向けて断捨離をしなくてはと思っていたけれど、なかなか行動に移せなかった。
けれど、猫のために部屋の模様替えをしなくてはならないし、小物を誤飲するのが心配なので、以前のようにドールともそんなに頻繁に遊べなくなるだろう。
だったら、あまり構えていないドールはもう里子に出しても良いのではないか。服や小物も少しずつ処分しよう。
自分の服も、今ある服を大事に着よう。

行こうかどうか迷っていた展示なども、大きくなるまでは取りやめよう。
よほどでない限りは外でランチなどもしない。猫が好きな人なら、うちに来てもらえばいい。
自然にそう思えた。
すべてどうしてもやりたかったり、行きたかった事でもなかったのだ。
ただ「クリエイターとしてはインプットをしなくては」「人と積極的に交流をしなくては」そんな強迫観念じみた思考に囚われていた。

どうしてもやりたい事は、猫がいてもきっとやるのだろう。
漫画はこれからも描き続けるつもりだし。
なんとなく惰性で続けていたことが明確になった感じがして、なんだかすっきりしている。

かといって今まで好きだったモノや事柄に興味を失ったわけでもない。ただ、何を残すべきなのか。それが明確になっただけなのだ。
断捨離の本質は、そこなのかもしれない。

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