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人生のステージ

「最近ご活躍のようで」

ある集まりに出かけて知人に挨拶したところ、そんな言葉が返ってきた。

皮肉なのかと思い一瞬反応に困った私は「ありがとうございます!」と、とっさに持って来た自分の新刊見本を彼に掲げてみせてしまった(そしてガン無視された)

その会合で何人かの知人に声をかけたけれど、彼に限らず昔は私に対して先輩風を吹かせていた人たちが、なんとなくそっけない気がしてしょうがなかった。

帰宅してからそのことにひどくモヤモヤしてしまった。

私が気に障ることをしたとか気に病む余地すらない。だって挨拶しただけでその反応なんだから。SNSでも彼らとはほとんど交流していないし。

彼らが私を裏で見下していたことは人づてに聞いて知っている(言う方も言う方だが。私の旦那なわけだが!)

でも、以前からそういう違和感はあった。私が売れていない頃は何かと親切にしてくれた人がいたのだけれど、今は飲み会であいさつしただけで渋い顔をされて逃げられる。

ドヤ顔で私をいじっていた人が、気まずそうに言葉を濁して去って行く。

私が何したっていうんだよ。

上記のように私は彼らと密な交流をしているわけではないので、不快な思いをさせたとすれば、こちらが小説を出したり有名タイトルのゲーム作品に参加したりという彼らから見たら『出世』をしたことなのだろう。

「調子に乗るなよ」

そんな言葉が聞こえて来そうだ。

かつては底辺ライターだった私は、ちやほやされたかった。すごいね、さすがだねって褒められたかった。私を見下していた人たちが手の平返してすり寄ってくる様を見たかった。

けれど、現実はそう簡単ではない。

自分より下だと思っていた人間が自分の近くまで這い上がってくれば、不快に思うだけ。自分が優位に立てなくなったら、こちらを無視するだけなのだ。現実での手の平クルーはそういう返し方なのだと思い知った。

そして、彼らが知らない分野の世界に行ってしまった私と、何を話せばいいのか分からないのだろう。彼らがかつての私に対してやったような先輩風を吹かせられることが、もう存在しないのだから。

すり寄ってちやほや出来る人間はある意味器が大きい。彼らにとってそれはきっと「負け」を意味する行為だから。

これは全て私の被害妄想に基づいた脳内イメージだ。けれど、そういう風に受け取ってしまったということは、やはり私は彼らとはもう相容れないのだろう。

わざわざ高い金払って不愉快になりに行くのも不毛なので、次からは参加しないことを心に決めた。

でも腹立たしいというより、なんだか寂しくなった。

10年以上はつきあいがある人たちだったし出来ることなら緩やかにでも繋がっていたかったけれど、もう私は彼らにとって共通言語を持たない異星人なのだろう。

最近こんなことばかりだ。

自分の仕事のレベルを上げれば、繋がりは増えていくばかりなのだと思っていた。けれど自分を評価してくれる人たちや心から尊敬できる人たちが増えていく一方で、そうでない相手はどんどん離れていってしまう。

クローゼットと同じなのかもしれない。かけられるハンガーの数はあらかじめ決まっている。そして無造作に服を増やし続けたらあふれかえってしまう。

新しい服を一着買ったら、古い服を一着捨てて入れ替える。収納の基本だ。流行が去った服、年を取って体型に合わなくなった服を着続けていてもみっともないだけだし。人間関係もそうなのだろう。

特別愛した人たちでなくとも、別れを決めるのは心が痛むものなんだな。でも、いつまでも同じ場所にはいられないのだな、と思う。

旦那の言うところの「人生のステージが変わった」というやつなのだろう。かつては共感して語り合った相手と、突然会話が噛み合わなくなることがある。それはお互いに、ステージが変わってしまったせいなのだ。

今私の立っているステージはたまたま仕事だったけれど、結婚や出産、介護などの環境の変化も含まれると思う。

打算的に聞こえるかもしれないけれど、「お世話になったから」「仲良くしていたから」と情と惰性でつきあい続けても、お互いに不幸になるだけだと思う。だからそっと距離を置いて、会話が通じる人とつきあうのが一番よいのだ。

私はこれからもどんどん人生のステージを駆け上がっていくつもりなので、その度につきあう相手も変えていかねばならないんだろう。

相手を選別するという行為は残酷で傲慢だ。けれど断ちきる強さは、持っていたいと思う。



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