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カフェインOD

今回は、私が初めてODした時のことを書こうと思います。

完璧でいなければならないと自分を追い込んで、でももう頑張れないと思って、逃げたくて、12:45頃トイレで約20錠流し込みました。

私が恐れていた場面には立ち会わなければいけませんでした。それでも途中で、14:30頃保健室に逃げました。多少フラフラしていて、気持ち悪いかな、というくらいでした。

保健室の先生には"気持ち悪い"とだけ伝えました。

放課後、15:30頃下校しました。家が近い友達が途中まで一緒に帰ってくれることになりました。

16:00頃、電車で猛烈な悪心を自覚しました。友達も、「なんか体調悪そうじゃない?」と。そして、吐きました。電車は途中下車。医務室に運ばれました。友達には帰宅してもらいました。父親が迎えに来てくれることになりました。

17:30頃、父親が迎えに来てくれて、医務室を出るものの、寒気と吐き気で立っていることが出来ず、座り込んでしまい、再び医務室へ。救急車を呼ぶことになりました。駅員さんはとても優しかったです。私が一度出た後ベッドの消毒をしたみたいで、「濡れていてすみません!」と。こちらが何度も来てすいません、という感じです。

18:00頃、搬送。ストレッチャーと車椅子の移乗の時の救急隊の「1.2.3.」という声がどれほど心強かったか。

18:15頃、到着。車椅子で座位を保つのもしんどくて体を傾けたら「危ないからちゃんと座って」と看護師さんに怒られました。

診察。当直の先生は寝癖がついていました。精神科にかかっていることは伝えてあったので、「たまに気持ち悪くなっちゃったりするのかな?」と。ODのことは言えませんでした。

点滴。父と2人の状況が気まずすぎました。ひたすらカーテンの模様を見てました。だいぶ体調も回復して、トイレにも歩いて行けました。

20:00頃、退院。改めて、とても綺麗な病院でした。吐き気止め2錠を処方してもらいました。タクシーで近くの駅まで行くことになりました。

20:15頃、タクシーの中で再び猛烈な悪心。吐き気止め2錠を飲むも、すぐに下車、その後すぐ吐きました。もうフラフラでした。

帰ることを諦め、搬送先の病院に電話。しかし受け入れてもらえず、ホテルを探すことに。都会の夜、寒さにこごえて、もう一度救急車を呼んでくれ、助けてくれ、とどれほど強く思ったことか。

20:45頃、ホテルのチェックイン。コロナ禍、体調は悪くないかのチェックをつける私はもう限界でした。トイレでうずくまり、冷や汗が止まりませんでした。

夜。カフェイン剤なのでそう簡単に熟睡できません。目が覚めては吐き気に耐え、まどろむ、を繰り返していました。

翌朝、ホテルを出てゆっくり帰宅。近所のクリニックで吐き気止めの坐薬を処方してもらい、家で休みました。

私の初めてのODはこれで終わりです。
後日担任の先生にODしたことを伝えました。もちろん親に伝わりました。馬鹿な私はまたカフェインをODするのですが、カフェインODは本当におすすめしません。しんどいだけです。

コロナ禍で状況が緊迫している中、助けてくださった方々には感謝してもしきれません。

最後に伝えたいこと、お願いだから一人で悩まないで。

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