映画のきろく#2
福岡に来て初の映画は、「からかい上手の高木さん」。感想を上手くまとめられるか不安なのだが、つらつらと思ったことを書いてみる。
この映画は、(実は)西片役の高橋文哉くんが好きで見に行った(ドラマ「フェルマーの料理」で知ってはまってしまった)。元々アニメであったこの作品。昔、友達がスマホで観てたので少しだけ観たことがあって、何となくストーリーは知っていた(西片が高木さんにひたすらからかわれるという話、くらい)。
とにかくむず痒い。そんなシーンが散りばめられており、ニヤニヤ、ドキドキしてしまう。ロケ地であった小豆島の長閑な風景も、再開した二人の関係の背景としてしっくりくるものであった。また、海や山の風景がとてもきれいに映し出されていた。
映画が終わった後、あと3時間くらい余韻に浸りたい…という気持ちになった。なんだろう、マッサージに行って施術が終わったときにこのままベットの上から自宅の布団の上にワープして眠りたいという感覚と似ているような気もする。(多分違う)
この映画はどういう映画かと聞かれると、
「好き」という気持ちを伝えることの怖さと伝えないことの儚さについて感じさせられる。また、中学生と大人という、それぞれのステージにおける「好きを伝える」、「それに答える」ということの難しさを考えさせられる。そして(ここがクライマックス)「からかう」ということに秘められた真の意味を知れる。
「高木さんにとってからかうってどういうことなんですか?」
最後のフィナーレの部分は、なんというか、二人が「好き」という気持ちを本当に大切にしている、そして温めてきたということが巧妙に描かれているシーンだ。このシーンは一番ドキドキしたし、ある意味「からかい」が終わる局面でもある。10年の時を経て再開した二人が、好きという気持ちを伝える・そして気づくのにこれだけの時間がかかったということ、またそれが互いに消えなかったということ。またいつまでも想える人が自分の心の中にいるってとても貴重で素晴らしいことだ。
西片が教員をしている、2人の出身校でもある中学に、高木さんが教育実習生として戻ってきて10年ぶりの再会を果たすというストーリーなのだが、中学校では、不登校だった学生との関わりで高木さんが西片への恋心を再認識する。また、その不登校の学生は、同級生の女の子に告白されて返事をせずにそのまま学校に行かなくなる。女の子は、自分のせいで彼が学校に来なくなったと思い込み、西片先生に相談をする。話を聞いた西片は最後に、「ちゃんと伝えることってすごいと思うよ。誰にでもできることじゃないから。」と彼女を励ます。
この中学生の女の子の、「伝える」ことで関係性が壊れてしまうかもしれない、という怖さを抱えながらも「伝えたいから伝える」という姿勢は、お互いに伝えられなかった高木さんと西片の関係性を浮きだたせるような描写として捉えられた。
中学生のころはからかうことしができなかった高木さん。でもからかうことで「好き」を伝えようとしていた高木さん。でも大人になった今、きちんと伝えようと思えた。教育実習をとおして、今と過去を見つめなおし、やっぱりこれからも西片に隣にいてほしいと思えた。そして西片はそれに対し…ここからはネタバレになってしまうので言いません!!
タイトルに戻ると、「からかい上手」というのは、からかうことが下手な人もいるということで、「上手」ということはどういうことなのかを考えさせられる。「からかうのが好き」というのは、相手による。からかいたくなるくらい好き、あるいは好きだからからかう。からかっても自分から離れないと思うからからかう。からかうのが上手というのは、からかい過ぎるともしかしたら嫌われるかもしれないのだが、絶妙にいい関係を保てる「からかい」を高木さんはしてきたということだ。そして、西片の方も、からかわれることも何か嬉しいし、二人だけの関係性という感じで嫌じゃない。それに必死に答えることで、二人の中の進まない何か(=恋愛に発展しないこと)のもどかしさや心地よさにずっと触れていられる…。なんだか、色んな意味や状況が想像される。
まとめると、むず痒い恋愛映画なのだが、「好きを伝える」という部分、つまりとっても人間味のある(出る)部分にフォーカスを当てている映画のような気がして、自分事として過去の恋愛を振り返ることもできるし、二人の関係を応援するポジションでも見れるし、いつ言うの?(告白するの?)とドキドキするスリリングな映画でもある。
とにかく、余韻がやばかった。「ヒーリング」としてまた見に行きたいな。
おわり