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大学4年秋、側弯症手術レポ

前回の記事で話した通り、今回は脊柱側弯症の手術について書こうと思います。

私は小学生の頃から「突発性側弯症」という、成長につれて背骨が左右に弯曲してしまう病気を持っており、大学生になっても進行が止まらず10月に手術をしました。手術や治療の体験談があまりネットに転がっておらず不安だった&SNSで手術の体験談を発信してくださった方々にかなり助けられたため、ここに自分の体験を残しておきます。

文章にしておくことでこの大きな経験を忘れたくないという理由もあります。ただの感想ですがいつか懐かしくなりそうで楽しみです。

手術に至るまでの経緯

発見

発見は、小学校6年生の時のモアレ検査でした。逆S字に曲がっていることが発覚。今見返してみると胸椎13度、腰椎21度とそこまで曲がっているわけではなかったけれど、学校からの勧めで念のためと大学病院に通院を始めました。この時点では、矯正の装具はつけず経過観察。

装具治療開始

中学2年生の夏、経過観察でいきなり胸椎29度腰椎41度に。4ヶ月の間に腰椎が20度進行するという驚きの悪化に、急いで装具治療開始( ;  ; )中学入学時に148センチ33キロとひょろひょろで成長が遅い方だったので、この時点で、入学から8センチも伸びていました。

装具治療終了

高校2年生あたりから身長が止まり始め、寝る時のみ装具をつければ良くなりました。徐々に外していって、大学受験の時にはほぼつけていなかったような気がします。割と真面目に装具をつけていたおかげでそこまで角度は進まず、中学で治療開始した時よりちょっと良くなったかな、程度になりました。

手術を決めたきっかけ

その後大学生の間はコルセットなしで普通に生活していましたが、大学3年生あたりには胸椎が30度超え、腰椎が40度超え(入院時46度)になっていて、気にしていないだけで実は20歳をすぎても緩やかに進行が続いていました……毎回曲がっているレントゲンを見るのが悲しすぎて、通院のたびに涙が出そうでした。

手術前の症状は

・重い荷物(泊まりのリュックや鍵盤楽器)を背負うと背中が痛い

・飲食バイトで背中が痛い

・寝不足だと背中が痛い

の主に3つ。痛い日は中高使っていたコルセットをつけて寝ていました。少し無理をすると痛む程度で日常生活にそこまで支障はなく、角度が手術をするか微妙なラインだったためにリスクを冒してまで大きな手術をするかとても悩みました。整形外科の中で一番を争うくらい難しい手術だよ、と看護師さんに言われたのが印象的でした。

特に両親は手術に反対で、整体を勧めてきました。(実際5回くらい通って体操もしたがあまり効果がなかった)けれど、10年この病気と付き合ってきてずっと曲がり続ける背骨にイライラしていた、老後が不安になった、また大学生で時間に余裕のある今がチャンスだと考えて、就活が終わったタイミングで親を説得し手術に踏み切りました。

そして何よりも私は小学生の頃に「めんどくさい」というあだ名が付くほどのめんどくさがり(オワリ)なので、性格上整体や体操を続けるのは無理!と思ったのもあります…笑 継続力が微塵もない。

痛いらしいけど一発で治るなら!と後先考えず割と楽観的な考えでした。。

手術前検査

私の場合、手術中輸血するための自己血貯血を通いで2回取り、手術日の1週間前に入院して様々な検査を受けるという形でした。

貯血(入院中含めて3回)

400ml×3、血を取りました。ちゃんと毎回造血剤?のような筋肉注射を打ってくれて自宅で飲む鉄剤も処方されるのですが、私は鉄剤を飲むと胃にダメージが出るタイプで、吐き気と胃痛に悩まされてちょっと大変でした。吐き気でバイトから帰れず親に迎えにきてもらった日もありました。胃に穴が開くかと思った。

また、1回目の貯血の採血ではふらつき車椅子で運ばれ、2回目の貯血では低血圧になり診察室で倒れました。先生に「こんな状態で手術大丈夫かなぁ」と言わせてしまう、そして親を心配させるスタートでした。特に血液検査の異常はなかったのに血が苦手で、体調より完全にメンタルが足りなかった。もともとの低血圧に加えメンタルが弱々すぎて、先生は退院まで慎重に経過を気にしてくださりました。感謝。手術では800mlしか使わなかったらしく、術後に血は戻されました🩸

ミエログラフィー検査(造影剤を腰椎に注入し、手術前に脊柱管の様子を詳しく見る検査)

まず半切りのMRI装置みたいな台に寝かされて、服を捲られ腰に麻酔の針を刺しました。が、これがなぜかめちゃめちゃ怖かった!!!!!!!固い台に乗せられた状態で見えない腰にどんな針が刺さるのか不安でしょうがなかった。実際麻酔は全然痛くなかったのにも関わらず、麻酔の時点で吐く寸前。その後、背骨がシュワシュワ〜〜と謎の感覚に包まれる造影剤注入では真っ青で、台が動くと30秒ほど気を失いました……15分程度のそこまで大変ではない検査のはずなのに先生も看護師さんも自分もびっくり。先生が慌てて早く終わるようすごい勢いで撮影を進めだしたのを覚えています、笑 その日はほぼストレッチャーで移動しました。

どちらもあくまで私の場合です……。想像力が豊かでかなりのビビリなので他の人が普通にこなす検査も大事件の連発でした。(脅すつもりは本当にないです)その他にも採血、コロナ検査、レントゲン、エコー検査、呼吸機能検査、CT、MRI、尿検査など様々な検査をしましたが、それらはスムーズに進みました!側弯で肺が潰れ始めていて、肺活量が少ないとは言われた。

手術日までの1週間がとにかく長くて、暇で仕方なかった。成人していてコロナ禍のため、家族も面会が禁止で一人で過ごしました。一人だとついつい考え込んでしまう!!不安すぎて、何日も夜メソメソ泣きました。けれど、真っ直ぐな背骨になれることが楽しみで、手術をやめたい、帰りたいと思ったことはなかった気がします。早く手術してくれ〜無事生還するぞ〜〜って思いながら最後の晩餐のビーフシチュー(入院食)を味わいました。

また、Twitterで出会った手術済みの先輩方にとても安心させてもらい、ほんっっっとうに励まされました…!!😭術後の辛さをあらかじめ知っておくことで覚悟ができました。

手術当日〜術後1日目

入院して1週間、朝9時からの手術だったため、前日の19時に絶食&浣腸し7時に起きました。めざましテレビで伊野尾くんを見ながら心を落ち着かせて(これで見れるの最後なのかもなとかぼんやり思っていた)8時55分に病室から下着と浴衣のみで歩いて手術室へ。手術室って意外と普通だな……ともはや冷静になりながら周りを眺めているうちに、台に寝かされてあっさりと眠っていました。

麻酔を含め5時間半ほどの手術後、なぜか先生の質問に「かしこまりました!!」とカフェバイトのテンションで答えていたことを親にネタにされているのですが、全く記憶にないです、無意識って怖い……。麻酔が残る中、ぼんやりと自分の病室に運ばれたことは覚えているレベル。ICUには入りませんでした。

術後2日目まではとにかく常に朦朧としていて辛かった!!!!!当日と1日目の辛さは一緒くらいで、昼か夜かもわからない状態でした。熱、今まで感じたことのない背中の違和感で、痛いのはもちろんどの体勢でもひたすらしんどい。そしてうつらうつらしているのに時間が経つのが本当に遅い!!!!痛み止めの点滴(医療麻薬)を自分で押して入れられるシステムになっていたのに、それを押すことすらもできずに必死にナースコールで泣きつきました。なんでナースコールは押せたんだろう。痛み止めをお願いしてそのまま気絶して痛みで起きて……を繰り返して1日目を乗り越えました。夢の中ではすでに術後3日目だったらしく、「術後1日目の朝だよ!」と看護師さんに言われた時に「なんで3日目じゃないんですか〜〜〜〜〜」と意味不明な訴えをして泣き叫んでいたことだけは覚えています。ついでに体を拭きに来てくれた看護師さんにも泣きついていました(本当にごめんなさい)瞬間的な痛みでは肩の傷口?が開くと痛すぎて、大部屋なのに叫んでしまうほどでした。ドレーンという血を抜く管を背中から通していたのですが、看護師さん曰くそれが外れる術後2日目の朝までがみんな一番辛いそうです。。本当にそうでした。どの体勢でもつらくて、枕を抱えながら泣いて過ごしました。喉はカラカラなのに自力で水を飲むことすら大変で、看護師さんを呼んで少しだけ飲ませてもらいました。あと1日。その言葉を希望にして耐えました。

術後2日目

午前中はドレーンを抜いて、自己血を戻してでされるがままでした。どちらも若干気持ち悪いなくらいの感覚であっさりと終わり、昼になると昨日までが嘘だったかのように意識がはっきりしてかなり回復!スマホで心配してくれていた家族や友達に連絡を取り、ツイートまで始める余裕が出てきました。相変わらず痛いけれど、痛み止めの点滴は卒業できて錠剤と座薬のみに。夜からは病院食も、ベッドを30度ほど起こしてなんとか少し食べることができました。本当に昨日からの変貌がすごかった。ただ、痛みを紛らわすためにクレヨンしんちゃんを見たけれどしんどくて1ミリも笑えなかった🥺

術後3日目

昼は余裕を見せていましたが、夜背中がじんじん痛むのと(ぶつけた後のじんじんがずっと続く感じ)違和感で朝まで一睡もできませんでした。音楽を聴いても集中できず、ひたすら天井を眺めながら体勢がしんどくて5分おきに電動ベッドを上げ下げして朝を待つ、最悪な夜……。しかも日曜日でリハビリがお休みだったためになんの予定もなく、ひたすら虚無でした。けれどそこに先生が登場し、車椅子に乗せてもらうことに。電動ベッドを起こして看護師さんに助けられながらなんとか乗ってみると、背中の固さと重さにびっくり。ランドセルを背負って後ろにひっくり返りそうになった小学生の頃を思い出しました。共用スペースでご飯を食べてみる?と言われてそのまま車椅子で食べようとしたけれど、しんどくてすぐベッドへ。連続ドラマを一気見するくらいの気力は出てきましたが、とても一人で歩けるようになるとは思えない日でした。

術後4日目

3時間ずつ、分けて寝ることができましたが、朝起きたら背中が激痛で朝食を食べずにうめいていました。。6時に起きたのにおさまったのは11時ごろです。辛かった。午後からは初めてのリハビリ。リハビリの先生が術後初めて髪の毛をといてくれたのですが、やっぱりしんどすぎて5分も座っていられない〜〜〜!!今日も今日とて、体が板のように固くて泣きそうでした。歩行器を使って少しだけ歩いてみたほうが座っているよりはまだマシでした。その後はまたアマプラを見てだらだら。毎日のように先生は顔を見に来てくれました。一昨日の夜に続いて昨日の夜が最悪すぎたので、寝る前ではなく、深夜に痛み止めの座薬を入れてもらうことにしました。

術後5日目

座薬のおかげか、朝起きたら耐えられるレベルの痛みでした!昨日とは大違い!!すごい!!午前中、先生がガーゼを取り替え消毒に来てくれて、尿道カテーテルを抜く許可が出ました。そして「今日は車椅子に30分」と鬼畜な命令(?)をされました(冗談かと思ったら看護師さんに伝達されていた)。そのためお昼は超絶苦手な車椅子で食べることに。けれどなんと、30分座りながらおいしくご飯を食べることができました、、、!昨日までは死にそうな顔で座っていたのに、人間の治癒力はやっぱりすごい。この時の喜びは今でも忘れられません。

しかしメンタルが豆腐の私は、インスタで楽しそうな友達を見て、車椅子に乗れた程度で喜んでいる自分の不甲斐なさと情けなさに派手に泣きます😓 面会不可、大部屋しか空いておらず電話ができなかったために、寂しくて悲しくてひたすら家族と友達にラインしました。その後リハビリの先生が来て、歩く練習や筋力チェックをしました。背中はもちろん痛いけれど昨日より速く歩けたし、身長を測りに行ったら2センチ伸びていました。ガーゼが薄くなったからかもしれないけれど、背中の異物感が減ってきたと感じたのはこの日からです。尿カテが取れたこの日からちょうどよく(むしろ最悪)生理が始まりました。部屋のトイレに行くだけでランニングした人みたいな息切れでした……。

術後6日目

今日も6時間程度安眠できて、朝起きたら耐えられる痛み程度。朝ごはんを食べて、午前中にレントゲンと術後のコルセット作りへと向かいました。順番待ちの時車椅子で1時間近く座るのも、装具作りの型取りのために10分立つのもきつかったけれど、昨日や一昨日と比べたら大きな進歩。少しずつできることが増えるにつれて色んなことを考える余裕が出てきてしまい、あと1週間しかないのにこんなんで退院できるのか、元の生活に戻れないのではないか?と少し不安になりました。あと、術後初めてのお通じが来ました。もともとかなりの便秘持ちだったのでそこまで焦ってなかったけれどそろそろ下剤を考えていたのでほっとした〜〜〜。

術後1週間

夜中に目は覚めるものの、朝の痛みはほぼなくなりました。ベッドに腰掛けてご飯を食べることが本当に嫌いでしたが、それも少しずつ楽になってきました。9時ごろに先生が来て、抜糸。採血で気を失いそうになっていた私も、この頃には肝が座ってきてあっさり終わりました。ちょっと痛いけど痛気持ちいいレベルでした。「いつ1時間くらい座れるようになりますか?」と聞くと「もう普通はなってるよ」とまた鬼畜な答えをいただいたので、40分くらい背もたれなしで座ってとりあえず病棟を二周。笑 そしてまだ抜糸直後でお風呂の許可が出ないので、初めて洗髪をしていただきました!!!気分が爽快!!!ロングの髪の毛を、美容室並みに丁寧に洗ってくれた優しい看護師さんに感謝です。体の動きもだんだん自然になってきたのがわかりました。昨日まで必死に歩行器に頼りながら歩いていたのに、そこまで今日は苦しくない。リハビリではベッドからリクライニングなしで起き上がることができました。1週間経つとみんな結構動けるようになるかな、とおっしゃっていた看護師さんの通りでした。1日ごとの体の変化に感動しまくりでした。

術前、リハビリの先生に肩の高さが左右で変わるかもしれないと言われていましたが、肩甲骨が柔らかいらしく高さがほぼ揃っていたのも嬉しかったです。1ヶ月前まで演奏していたキーボードのおかげかもしれない、と言われ、ここでまさか趣味が役立つとは……としみじみ思いました。

術後2週間

退院までラスト1週間、毎日のリハビリでは階段の登り降りや病棟を歩くことをメインに行いました。歩く速さはそこまで遅いわけではなく、足はスムーズに動くものの、寝たきりだった期間が多かったからか少し歩いただけで脈拍が120を超えていて結構しんどかったです。けれどそれでも暇すぎて、気合いで売店に散歩に行きました。最初の1週間ほど成長曲線が急ではないけれど、術後1週間から2週間も一歩一歩普通の生活に向かっている実感がありました。

なんとなく、後半1週間は肉体的にというより精神的にしんどかったです。長い入院生活のストレスが溜まってきたのもあり、「早く退院したい」「健康な人が羨ましい」の思いが込み上げてきてかなり落ち込みました。また傷口を初めて見た時、あまり傷跡が残ることに抵抗はなかったつもりですが、やはりショックでした。(固定範囲が大きかったため37センチあった)個室に移った後、大声で泣いていたら廊下に響いていたらしく、看護師さんがたくさん来て励ましてくれた日もありました……申し訳なさすぎる。担当看護師でもないのにわざわざ見に来てくださる看護師さんもいて、本当に感謝の念が止まりませんでした。また、術後の後半1週間は時間が経つのが比較的早く感じました。ほぼ寝たきりの前半1週間はもう毎日が長いです。ほんとに。

採血、CT、コルセットをしてのレントゲンで異常がなかったため、術後2週間ちょうどで退院しました。入院が嫌で仕方なくて退院日を数えていましたが、いざ退院となると看護師さんも病院食も病棟も本当に寂しくて(現金なやつ)、病棟を一周して食堂や廊下の写真を撮りましたw 最後にお手紙も渡しました。

術後3週間

これを書いている今日で、術後3週間と数日です。コルセットをつけてほとんど家で、丸太のように寝て過ごしていますが、お風呂、食事、睡眠、着替えなど家の中でできないことはほぼないです。車に長時間乗る、また広いショッピングモールなどに行くのはきついですが、近所のスーパーやコンビニ、カフェ程度なら親と歩いて行けるようになりました。背中の痛みがなくなってきただけではなく、歩いてすぐ息切れすることが減ってきたのも成長です。ただ、傷口や背中の痛みよりも、肋骨や筋肉も動かしているために脇腹や鳩尾あたりが痛いこと、貧血気味で少し吐き気や立ちくらみが出ることが気になってはいます。(入院時からそうだったけれど)

一個困っているのが、自分で靴下を履けないこと!!!!腰までボルトを留めていて、体も硬いので届かない……。弟にまで靴下を履かせてもらう生活を送っています、、多分爪も切れません。お風呂で足は適当に洗っています。切実に困っているので早く履けるようになりたいです。まだバイトや一日の遊び、公共交通機関に一人で乗るなど、完全復帰は先になりそうです。

手術をしてよかったこと

手術をしたばかりでよかったことを書くのは気が早いような気がしますが、今の時点で良かったと思っていることです。

なんといっても背骨がまっすぐになったこと!!!ほぼ背骨が一直線のレントゲンが嬉しくてしょうがなくて、2日に1回は見ています、笑 曲がるんじゃないか、という不安から少し解消されてあとは良くなるだけ!と心理的に楽になりました。ボルトとロッドが入っているため背中は全く曲げられないけれど、背筋が綺麗に見えるし猫背よりむしろいいかな、と思っています。左側だけ出ていた肋骨や、座った時に右側だけ飛び出して背もたれについていた背中がほぼ左右対称になったのも嬉しいです。

手術をして辛かったこと

覚悟はしていましたが、体が思うように動かせなくなること。今までできていたことが当たり前じゃなくなることは、やはり辛かったです。歩くことはもちろん、体を起こすこと、座っていることすら本当に辛い。ましてや術後すぐはじっと寝ていることも泣くほど辛かったです。入院期間や回復期間が長いために、友達や世の中に置いて行かれているようで寂しくなりました。けれど、退院した今では、まあまあマイナス思考な自分でも他の人ができないような経験ができた!とプラスに捉えられるようになりました。

あと私の病院は術後コルセットを付ける方針なのですが、胸まであるので重いしなかなかに蒸れます。もうすぐ冬なのにお腹は汗だくです……。


かなり長くなりましたが、私の場合はこんな感じでした!!!入院してすぐ体験談を読んでいて、先生や看護師さん、親や出会った人に感謝、と書いている方々に対して「絶対感謝できない、そもそもなんで自分だけこんな目にあわなきゃいけないの!!?」と卑屈になっていた私ですが、他の側弯手術を終えた方のように本当に感謝の気持ちでいっぱいです。綺麗事のようですが、側弯症にならなければ出会わなかった人やできなかった体験ができた貴重な1ヶ月間でした。この思いを忘れずに、早くまた元の生活ができるように頑張りたいと思います。




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