淡路島の馬と光る君へ。
10月の3連休を利用して、日帰りで淡路島に行ってきました。
パーキングエリアのドッグランで犬達を眺めてにっこりして、牧場に立ち寄って馬と牛を眺めてほっこりして、最後に温泉入ってゆったりして帰ってきた。
最高でした。
最近は生活していてあまりしんどい事というか、自分自身に絶望する事が少ないからか、なかなかnoteを書こうという気になれなかったんですが、せっかく始めたんだし書くことなくても何か書いてみようと思いこの文章を書いてます。
人生に絶望している時の方が筆が乗る。
大河ドラマ『光る君へ』に登場する藤原道綱母の台詞に、「書く事で己の悲しみを癒したのです。」というようなものがありましたが、本当にそれだな〜〜〜〜〜と実感した。
まひろ(藤式部)もききょう(清少納言)もあかね(和泉式部)も、自分の身に起きた悲しみや辛さや絶望を、紙の上の作品として昇華する事で生きる糧としたところが、創作者の凄みと業を感じさせて、ゾクゾクと背筋が震える気持ちにさせるキャラクターになっていますよね。
『光る君へ』、だいすきです。
あと10話くらいしか無いって聞いて、震えています。
今年ももう終わり・・・?うせやろ・・・・・・・?
毎年この時期なると大河ドラマの最終回まであと何話か数えて勝手に病む。
本当に1年って矢の如しですね。
『光る君へ』は女性の文化人が主人公の大河ドラマで、それだけでテンションが上がるっていうものですが、何より、血で血をあらう肉弾戦の争いが無かった平和な時代の大河ドラマっていう事で、装束や儀式など、必ずしも生活に必要のないけれど、美しく優雅な風習のオンパレードでとても眼福でしたね。
宮中の色がカラフルで楽しかった〜〜〜〜〜。
もちろん戦国の大河や、鎌倉殿の13人みたいな、武士が台頭していく頃の大河もだいだいだいすきだけれど、やっぱり画面の色が渋くなりがちじゃないですか。(それも激かっこよくてだいすきですが。)
女房達が着る十二単や、庭に揺れる花のゆらめきとか、人が愛でる為だけにこの世に存在する”美しさ”が溢れていて、文化って素敵だな〜と、毎週改めて思ったりしていますね。
それはそれとして、ここ最近放送されたシーンで印象に残ったのは、やはり藤原伊周の対面呪詛シーンですかね。
あれ、やばくなかったですか???
三浦翔平さん演じる伊周くん(親しみを込めてくん付けしています。)、何年同じ呪詛やってんねんという感じで、毎回呪詛シーンは最早ギャグシーンと解釈して笑いながら見ていたんですが、あのシーンだけは本当の呪いを画面の向こうから感じちゃって、怖くなっちゃって身体が動かなくなりました。
人を呪わば穴二つと言いますが、周囲に対して発した呪詛はすべて自分に返ってくるって、ほんまやなってなりましたね。(ドラマなんですが。)
人って演技であそこまで壊れられるんだ、っていう感じの演技でした。
伊周が亡くなったあと、ききょうが泣きながら「あんなに美しかった方々が、なぜこのような最期を迎えなければいけないのか。」という旨の事を仰るんですが、この台詞も怖かったな〜。
ききょうの中で、中関白家が美化された姿でその姿を遺しているのがゾッとしました。
定子様との美しい日々の思い出を世に遺そうとするあまり、執着心がむくむくと彼女の中で巣食っているのを感じました。
執着心とは無縁のような、からっとした性格のききょう様はもう居なくなっちゃったのかな、と、無性に悲しくて、心がずんとしましたね。
「皇子を産め。」と定子様に迫り続ける伊周を、射殺すような目で見ていたあの力強いききょう様は、もう居ないんだな・・・。
なんか悲しくなっちゃったので、これで終わります。
今日の『光る君へ』もまたしんどそうで辛いっすけど、見ちゃうよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
終わってほしくね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
それでは。
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