もと居た場所に戻れない・・・悲劇か喜劇か。
久々のコトバアツメ。
モノ・ホーミー『するべきことは何ひとつ』という本の中の「星を歩く男の話」より
男はひたすら同じ方向へと歩き続けていた。陸の端から端まで歩いてしまうと、今度は船に乗り換えてまた同じ方向へと進む。この星は球の形をしているのだという。であるならば、こうして進み続ければ、必ずもとの場所へ戻れるはずだ。どの方向に進んだとしても、それが一定の方向なら、必ずもとの場所に戻ることができる。男はこのことを是非とも確かめたいと思っていた。
(中略)
かくして、男は歩き始めた。もう随分長いあいだ歩いているが、一向にもとの位置に戻る気配はない。どうやらこの星は自分が思っていたよりもはるかに大きい球形のようだ、男はそう思っていた。
しかし男は、実際のところ既にこの星をもう何周もぐるぐると回っていた。男はひたすら前だけを見て歩いていたので知る由もないことではあるが、男が一歩、歩くごとに、男の足跡からは新芽が芽吹き、花が咲き、生き物が誕生していた。男の背後にある景色は、男が歩きながら見た景色とは、何もかもが様変わりしていたのだ。だから男がもと居た場所に辿り着いても、そこは来る度に姿を変え、全く別の場所にしか見えなかった。
男はこうして、この星の外周を、まるで螺旋を描くかのようにどこまでもぐるぐると歩き続けている。もと居た場所に辿り着くまで、男の旅は終わらない。
はじめは、ガリレオ・ガリレイ的な話かと思ったけれど、読み進むにつれ様相が違うと感じた。
もと居た場所を目指しているけれど、その場所はもはや彼が目にした姿を留めていない。されど、もと居た場所に辿り着くまで男の旅は終わらないと言う。これは悲劇だろうか。
否、喜劇ではないか。
彼の記憶にあるもと居た場所には恐らく二度と辿り着けないけれど、1歩踏み出すそのそばから新芽が芽吹き、花が咲き、生き物が誕生しているのだから。そこには素晴らしい景色が生まれているだろうから。
この物語は私の背中もそっと押してくれる。
これは私にも言えることではないか。
変わらない日常を過ごしているようでいて、様々な刺激を受け、日々変化をしている。成長しているのだ、と。
喜劇だと希望を持てる締めくくりで、物語は終わる。
かくして男の星は、日々拡大し続けているのだ。