【初恋スノーボールクリスマス】
「ここを曲がったら、あのベンチが見えるはず!」
心の中で唱えながら、道の角を右に曲がった。
いつも見慣れているはずの景観が、雪で幻想的になっていた。この地域で雪が降ることは滅多にない。それも12月に降るのは本当に珍しい。さらに、クリスマスイブに合わせてきたんだから最高の演出だ。黒のブーツで雪を踏みしめながらBUMP OF CHICKENの『スノースマイル』を口ずさむこの時間を、きっと一生忘れないんだろうな。雪の感触を足から感じつつ、凛とした空気に包まれる街並みを眺めた。
待ち合わせのいつものベンチまでの直線上に、いくつかお店が並んでいる。普段なら自転車で通り過ぎてしまう風景も、歩きながらだと新たな発見があった。この通りに可愛いお菓子屋さんがあったことも、そのお店には綺麗なクリスマスツリーが飾られていたことも、自転車を漕いでいる私の目には全く映っていなかったのだ。お洒落に装飾されてツリーに見惚れていると、これまたオシャレで可愛い店員さんと目が合ってしまった。お姉さんがニッコリ微笑んでくれた!!
(うわっ!!!どどどどうしよう…!!!)
思わず恥ずかしくなって、マフラーに顔をうずめながらぺこりと会釈をして逃げるように走り出してしまった。ただ、やっぱり戻ろうかと足を止めて振り返った。待ち合わせの時間までまだ余裕がある。
今日は病み上がりの彼におにぎりと卵焼きとみかん、そしてクリスマスプレゼントを届ける予定だ。会う前に何を食べたいか聞いたら、塩昆布のおにぎりと私の作った卵焼きが食べたいとリクエストをもらっていたのだ。普段はお母さんが料理をするから滅多に作らないけれど、彼と付き合ってからは何度か大好物だという卵焼きを作っていったことがある。中学生のわりには上手いんじゃないかな、と少し自信がついたのは、彼があまりにも美味しそうに食べるからだ。
(なんて幸せそうに食べる人なんだろう…。)
幸せそうに頬張る顔は、いつ見ても幸せな気持ちになれた。だからこそ、また作りたいと思わせてくれるのだ。交際して1年半の間に私はずいぶん台所に立つようになった。
「家族の分も作ってくれたらいいのに。」
母が笑いながら文句を言っていたけれど、いつも作る時にはアドバイスをくれていた。こうやって食べる人のことを想いながら工夫して作ってくれているんだなぁとその時初めて知ることも多かった。彼と母のおかげで、料理の楽しさと奥深さと作り手の愛情を体感したのだ。同時に、お店の人達への敬意も抱くようになっていた。家の前のラーメン屋さんも、いつも行くスーパーのお惣菜屋さんも、さっき通り過ぎたお洒落なお菓子やさんも、プロとして販売している人達は本当にすごいと尊敬していたのだ。
(さっきのお店のお菓子、きっと美味しいんだろうな…。)
私には『オシャレなお店は絶対に美味しい』と偏見100%の持論があった。おにぎりと卵焼きだけじゃなんだか寂しい気がしてきたのもある。
(おばあちゃんちから送られてきたみかんも甘くて美味しいけど、クリスマスにみかん?なんだか田舎っぽくて嫌だな。もし同級生に何をもらった聞かれたら、彼も恥ずかしいんじゃないかな。いや、彼はそういうことを同級生にあまり話したりしないか。うん。でもやっぱりクリスマスっぽいプレゼントもあげたいな。よし!さっきのお店で可愛いお菓子を買おう!!)
盛大な脳内ひとり会議を終えると、意を決してオシャレなお姉さんがいるお店に入った。ドアを開けると、カランカランと鈴の音が店内に響いた。
「いらっしゃいませー!あっ!!!」
先程ニッコリ微笑んでくれたお姉さんが店の奥から出てきてくれた。私を見るなり、今度は満面の笑みで「こんにちは!」と声をかけてくれた。なんて可愛い人なんだろう。私が男だったら惚れている。確実に惚れてしまう。
(彼にはここに来て欲しくないな…。絶対可愛いって思うもん。)
そんな勝手な焦りと嫉妬心を抱きながらも、店内に並ぶ美味しそうなクッキーやパウンドケーキに目を奪われた。私の大好きなフロランタンも置いてあった。ただ、フロランタン1つで300円という価格設定に思わず唾を飲んだ。帰りのバス代も考えると、買えるお菓子は500円までが上限だ。フロランタンは1つしか買えない。
(自分用に買うのはまた今度にしよう…。)
大好物を買うのは諦め、彼に何を買うか真剣に選び始めた。クッキーも1個200円くらいするので、いろんな味を選ぶことは出来ない。まして、可愛いクッキー缶には到底手が出せない。お店の端から端までじっくり見ていると、一番奥に『スノーボール 480円』の表示を見つけた。人生で初めて見たスノーボールは小さくて丸くて、周りに白い粉がまぶしてあるようだった。あまりの可愛さに、思わずひとめぼれしてしまった。
「あの、、、これって、どんな味ですか?」
スノーボールを指さしながら、ニコニコしながら待ってくれていたお姉さんに尋ねてみた。お姉さんは嬉しそうに教えてくれた。スノーボールは小麦粉と砂糖とアーモンドパウダーを使用して作られていること。周りの白い粉は粉糖であること。緑のは抹茶パウダー、茶色のはココアパウダーがかけられていること。サクッとした食感だけど口の中に入れるとほろほろと溶けていくこと。
(絶対おいしい!!!絶対おいしい!!!)
想像するだけで口の中が幸福モードになり、テンションが一気に上がっていくのが分かった。
「これください!!!」
スノーボールの説明を聞くやいなや、私は笑顔でレジに持っていった。お姉さんはさらに優しい笑顔で「はい!」と言うと精算し、ラッピングの袋にスノーボールを詰め始めた。ラッピングの最後、袋を止めるシールを3種類から選ばせてくれた。金色の、星と花とハートの形。私は少し迷って、ハートを選んだ。お姉さんは「ふふっ」と微笑み、シールを貼りながら「ちょっと待っててね!」と店の奥に入っていった。
「はい!これは、私から。」
出てきたお姉さんは、スノーボールが2粒入った小さな袋を渡してくれた。袋には『MerryChristmas!』のシールが貼られていた。少し戸惑いながらも、食べてみたかったスノーボールをもらえたことが本当に嬉しかった。
「わぁぁ…!ありがとうございます!!!」
私も満面の笑みで御礼を伝え、店を出た。これはあとから分かったことだけれど、クリスマスシーズンに購入したお客様に1個ずつクッキーを渡していたそうで、私には特別にスノーボールを渡してくれたらしい。お姉さんの粋な計らいに心躍らせながら、待ち合わせのベンチへと向かった。気付けば待ち合わせ時間の5分前。すでに彼は待っていた。もしかして待たせてしまったのかもしれない。
「ごめん!待たせちゃった?」
私は慌てて彼に駆け寄った。病み上がりと聞いていた彼の目は充血して少し赤くなっていた。いつもかけているメガネをかけていない。ちょっと雰囲気の違う彼に驚きながらも、私を見つけた時の嬉しそうな顔はいつも通りでほっと一安心した。
「大丈夫!ほんとに今来たところ。それより、ごめんね。雪の日にこっちまで来てもらっちゃって。本当は俺が行きたかったんだけど…。」
申し訳なさそうに彼が謝った。謝る必要なんて全然ないのに。私が会いたくて来たんだから気にしないで。と心の中で思いながらも「ううん!風邪ひいてたのに少しでも会おうと思ってくれてありがとう。」と御礼を言った。
会えたのは嬉しかったけれど、体調が万全ではない彼の様子を目の当たりにして、プレゼントを渡したらすぐに帰ろうと決意した。「あ。これ!」と会って間もなく、おにぎりと卵焼きとみかんが入った袋を渡した。彼はふやけるような笑顔で「わぁ!!」とおにぎりを取り出した。
「ありがとーーーーう!」
彼は覆いかぶさるように私を抱きしめた。私より20センチくらい背の高い彼に抱きしめられると、私はまるでぬいぐるみのようにじっと動けなくなる。彼の体温をじんわり感じながら、やっぱり会いに来て良かったと心から思った。同時に、「ありがとう。」と小さく耳元で響く彼の声を聴いた時には、やっぱりすぐに帰りたくないと願ってしまった。
(いや、やっぱり今日は帰ろう。熱が長引いちゃったら大変!)
下唇をきゅっと噛みながら、受験生の自覚を取り戻した。彼も私も、来月には高校受験が始まる。今ここで体調不良を長引かせてはいけない。どうしても会いたくて、直接渡したくて、お母さんを説得して来たのだから。私まで風邪をひいてはいけないのだ。
「あのね、さっきね、可愛いクッキー見つけたの。」
彼からそっと離れると、お姉さんがスノーボールの説明をしてくれたように、今度は私が彼に特徴と魅力を伝えた。オシャレな内装だったこと、美味しそうなクッキーがたくさん並んでいたこと、シールを選ばせてくれたこと、お姉さんがおまけで私にもクッキーをプレゼントしてくれたことを一気に話した。ただ、お姉さんが可愛いことだけは内緒にしておいた。
「え。マジか…。うわぁ…どうしよう。嬉しい…。」
スノーボールを眺めながら、彼はひとりごとのように呟いた。「袋も可愛い…。ありがとう…。」と感動している彼が再びとびついてくる前に、もう1つのプレゼントを渡した。
「はい!!!」
もうプレゼントは終わりだと思っていた彼は一瞬固まっていた。「いや、もらいすぎてる気がするんだけど…。え、なんだろう?」小さく呟きながら紙袋に入っている青い巾着型の袋のリボンを解いた。
「うわっ!!!!」
袋からマフラーを取り出すと、彼は見たことも無いほどに目を丸くしていた。マフラーと私を交互に見ながら確かめるように聞いてきた。
「え…。編んだの…???」
「うん!半年かかっちゃったけど…。古いかなとか、ダサいかなとか、いろいろ思ったけど、きっと喜んでくれると思って。ちゃんと想いを込めて編ん……」
私が言い終える前に、さっきよりも力強く抱きしめられていた。
「古くない!ダサくない!すげぇ!すげぇよ!!嬉しい!!!すげぇ嬉しい!!ありがとう!!!」
こちらが驚くほどに、彼は喜んでくれた。きっと喜んでくれると思ってはいたものの、もし微妙な反応だったらどうしようと一抹の不安もあったのだ。全ての不安や心配が吹き飛び、安堵の気持ちと、泣きそうなくらい嬉しい気持ちでいっぱいになった。同時に、私の瞳からは思わず涙が溢れた。
(生きてて良かったな。)
心からの声だった。中学生になってからすぐに本当に悲しい経験をしていた私に対して、彼はじんわりと愛を伝えてくれる人だった。彼には私の事情を伝えていなかったけれど、私をたくさん癒してくれた。私の作るものを喜んでくれる人だった。相手の想いを全力で受け止めてくれて、自分の想いを全力で表現する。そんな姿に何度も救われていた。優しい人だ。ただ、私の頬を伝う涙をぬぐってくれる手が冷たかった。もう帰らなければ。
「本当にありがとう!じゃあ、俺からも…。」
マフラーを首に巻き終えると、少しドヤ顔をして私に見せてきた。それから、思わず笑っている私の手にピンクの袋をそっと置いた。すぐに袋のリボンを解いて覗いてみると…。
「え?!」
衝撃だった。まさか彼からのプレゼントがスノーボールだとは!!!人は驚くと本当に目を丸くして口元を手で覆いたくなるのだと実感した。よくテレビでビックリした人達を見て『驚くと人ってこんな反応をするんだ』と思ってはいたけれど、自分もそのままの行動を取るとは思っていなかったのだ。
「俺ね、これ大好きなの。だから同じの選んでくれてて嬉しかった。でもかぶっちゃってどうしようって一瞬思った!」
彼はいたずらっ子みたいに笑いながら言った。私もつられて笑った。「ありがとう!」と彼の胸元に頭を寄せた。1年前にはお互い恥ずかしくて目も合わせられなくて、手も繋げなくて、とってもぎこちなかったのに。ずいぶんとストレートに気持ちを言葉でも行動でも表現できるようになったもんだ。頭を寄せたまま、もっと一緒にいたいけど風邪が悪化しては困るから帰る旨を伝えた。彼は少ししょんぼりしつつ、私の体調も気にしてくれていた。続きは電話で話そうと決めて、すぐにその場から別れた。
(やっぱり来て良かったな。)
バス停までの帰り道、雪を踏みしめながら再び『スノースマイル』を鼻歌で口ずさんだ。歌詞の『冬が寒くて本当に良かった』と『君と出会えて本当に良かった』のフレーズに大共感だ。ふと、スノーボールが食べたくなった。お店でお姉さんにもらったもの、彼にもらったものとどっちを食べるか一瞬迷ったものの、彼からもらったスノーボールを1つ頬張った。お姉さんが説明してくれたとおり、サクッとした食感の後に口の中でほろっと溶けていった。なんだこれ。めちゃくちゃ美味しい。私の大好物が1つ増えた。もう1つ食べるか迷った時、スノーボールの入った袋の底に、小さな手紙を見つけた。
『出会えて本当に良かった』
メッセージカードを読んだ瞬間、不思議とため息が出た。もう鳥肌もんだよ。さっき口ずさんでたよ。どうすればいいんだよこの感情!『好きが溢れると人はため息をついて下を向く』という新たなデータが私の中に登録された。
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あれから20年。
今でも私はスノーボールが大好きだ。最近ではコンビニでも簡単に手に入れることができるようになった。ただ、クリスマスの時期に食べるのはなんとなく控えている。あの時の想い出は、そっと、大切に残している。
翌年には『スノースマイル』の歌詞にある『僕の右ポケットにしまってた思い出は やっぱりしまって歩くよ 君のいない道を』に大共感していたのも、今ではいい思い出だ。
想い出の味、あなたにもあるだろうか。甘酸っぱい想い出も、切ない想いも、全てはその人の“味”になっていく。そんなそっと大切にしまっている想い出を、いつかあなたと語り合ってみたい。
さて、このお話はどこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションでしょうか。いつか、聴いてみてね。