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#48★変化した現実を受け入れる勇気

さぁ、どこから書こうか。

驚くことに、2週間ぶりの更新だ。

何に驚くのかって、2週間も空いたことではない。

私の体感覚としては1ヶ月以上経っている感覚があるのだ。

(まだ2週間しか経ってなかったのか…)

という驚きなのだ。


2週間前の私と、今の私と、生きている世界がまるで違う。

周りから見たら同じように見えるかもしれないが、当の本人である私からすれば本当に別世界なのだ。

いや、別次元とも言えるかもしれない。

私が想像しうる範疇を超えている。

自分の視点がより俯瞰的になり、物事を多角的に捉えられるようになった。

ただ、それだけじゃない。

あり得ないことが次々と起きたのだ。

「絶対変わらない」と思っていたことが変わり、「絶対起きない」とあきらめていたことが起きた。

私の中の「絶対」は、残念ながら100%ではなかった。

「変わらない」「起きない」と思っていることも、ただの思い込みでしかなかった。

「絶対」も「不変」も「不可能」も全て覆された。

私が信じていたものは嘘だったのだ。幻想でしかなかった。

あんなに信じていたのに。

あんなに恐れていたのに。

あんなに絶望していたのに。

信じていたものは崩壊し、恐れていたものは抹消され、絶望していた未来は消滅した。


正直なところ、本来なら喜ぶべき現実を目の前にしても、にわかには信じられず放心状態の日々が続いた。

(よ、喜んでいいんだろうか…)

素直に喜んでしまうことに抵抗したくなるほど、私は拗れていた。

簡単には幸せを受け入れられなかったのだ。

あんなに望んでいたのにね。

不思議なもんだ。

そして、面白いもんだ。


ただ、明確にひとつ感じたことは、「幸せを受け入れることで失うものがあるのではないか」という怖さだ。

怖さは感じているものの、この怖さの中身をまだきちんと言語化できていない。

あ。

今、少しだけ、言葉に出来そうな想いがある。


それは、「許容」だ。

全てを許容しなければ前に進めないと思っているし、幸せにはなれないと思っている気がする。

許容ってなんなんだろうか。

前に進むって?幸せになるって?

もっともっと考えたい。

もっともっと言葉にしたい。

と、その一方で、この何とも言えない込み上げてくる寂しさは、まだ言葉にしたくない。

もう少し、味わっていたい。

もう少し、浸っていたい。

ずっと密かに聴いてきた、あの曲たちとともに。


今回はとても抽象的な話をした。

この文章を読んで、あなたは何を感じ、何を想っただろう。

私が何を感じ、何を想ったと思ったのだろう。

そんな対話がしたいよ。


また書こう。

書きたい想いはたくさんあるんだ。


ここまで読んでくれたあなたに、ありがとう。



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