あなたを導くのは「教祖」ではなく「自分自身」だ。
先日「教団X」という本を読んだ。
ざっくり言うとカルト教団を題材にした小説。
それを読んで感じたこと。
この記事ともちょっと関連してます↓
この小説の中で、「自分の人生を自分で考えなければならない「自由」という「苦労」から解放された。。。」という文章があって、人間はどこかで「洗脳されたい」という気持ちを持っているんじゃないかな?と思った。
なぜなら自分で生き方を決めるより、権威がある人の後について行く方が楽だから。
自分で生き方を決めるのは、「この選択であっているのか」という迷いがあったり、恐怖があったりするから辛いんだよね。
人生について考えるって割とストレスなんだよ。
だから、自分の代わりに人生を考えてくれる人=人生を導いてくれる「教祖」が現れると、その人を妄信してしまう。
特に人生のどん底にいるとき。もうどうしたら良いかわからない、なんてときに簡単に信じちゃうんだと思う。
現代でいう「インフルエンサー」の一部は教祖化していて、「この人についていけば私は幸せになれる」という誤解をしている人が結構いると思うんだよね。
それで当人が本当に幸せなら構わないと思うし否定はしない。
でも自分の中で信じることに「違和感」があるのに、気づいていないフリをしているのであれば、自分の気持ちに正直になるべき。
「これはおかしい」という直感はだいたい当たっているものだ。
他人のやり方を参考にするのは良いことだと思うけど、でもこの人とまったく同じようなやり方をしたって成功するとは限らないんだよ。
他人の良いやり方を吸収して、自分なりのやり方を確立していく方が楽しさも経験値もあがるんじゃないかな。
自分で行動して経験してみなきゃ分からないことなんていっぱいある。
そう思えるようになったから、私は必要以上に焦ることはなくなった。
過去の自分と比べると、今の私はだいぶ前向きになったし、誰かを羨ましいとは思っても妬ましいと思うことはあまりなくなった。
ある意味開き直りにも近いのかもしれないけど。
結局他人と同じものを求めても、それが手に入ったところで「なんか違うな」って気持ちが出てくると思うんだよね。
私が本当に求めているのは何なのか、それを得るためにはどうすれば良いか。
自分で考えて考えて考えぬくことが、自分の人生を生きること。
他人の足跡について行くのではなく、自分で道を作ろう。