【徒然なるままに】幸せと不幸せ
幸せとか不幸せって、自分が他人に何を投げかけるかで大きく違ってくるんじゃないかと思う。
先日、とあるショッピングモールの中にあるファミレスで昼食をとった。
イタリアンがリーズナブルに頂けるチェーン店で、何箇所か利用したことがあるが、その店舗は初めてだ。
場所的にそんなに広くなく、少人数用のテーブルが多い為か、全体がゴチャッとしていて、おまけに薄暗い印象。
案内してくれた女性は、無表情で、どこの席を指してるのかわからなかったけれど、とりあえずその辺りで空いてる席に着く。
サラダとパスタを注文した後、しばらくしてセルフサービスのお水を取りに行っている間にサラダが運ばれていた。
薄い木製っぽい器。
その後男性がパスタを持って来てくれたのだけれど、パスタも同じ器に入っている。
そして、その時なぜか違和感が。
何だろ?
サラダとパスタ、どちらも全く同じ木製っぽいボールが二つ。
だから餌みたいな感じがした?
小さいサラダはパスタと一緒にオーダーすることも多いだろうになんで同じ器にするかな?
もちろん値段が値段なのだから、その辺は仕方ないかとわかってはいるのだけれど。
あまり食べられなくて、パスタを半分残して席を立つ。
レジの横にテイクアウト用の冷食があったので、買物帰りに寄る事も出来るかなと思って、会計をしてくれた人に中で食事しなくても買う事が出来るかと尋ねるも、直ぐに返事が返って来なかったので、あれ?面倒なこと聞いちゃったかな?と「あ、いいです」と言おうとしたその時、彼女の後方から笑顔の素敵な女性が現れた。
「あっ、全然大丈夫ですよ〜。お食事されなくても、これだけ買いに来られる方多いですよ〜」と。
もう、ほんとに、ぱぁっと花が開いたような笑顔の美人さん。
昔少女漫画でよくあった、後ろに花をいっぱい背負っているあのイメージ。
素敵な笑顔を惜しげもなく向けてもらって、「それじゃ、買物した帰りに寄せて頂きますね」と店を出た。
モール内であれこれ買物を済ませ、最後にそのお店に寄り、レジで冷食を注文。
先程の美人さんが応対してくれて、大きい冷凍庫から商品を出してくれる。
その為にはレジからわざわざ出てこないといけないので、「これって自分で出したらいいんですか?」と尋ねると、「ああ、出して頂いても、どちらでもいいですよー。言ってくだされば出させて頂きますし」またもや笑顔で、気持ちのいい答え。
そして、「冷凍のドリアって、普通スーパーで売ってるのは○○○グラムで、量少ないでしょ?これは○○○グラムなのでたっぷりありますよー」と。
なにー!?この感じの良い人。
ファンになりそう!
でもここで調子に乗って話してたりしたらよくいるおしゃべりで迷惑なオバさんになってしまうから自粛。
「素敵な方ですね」とか言いたい気持ちがうずうずするけど、それ言ったら絶対変な奴だから、商品を受け取る時と、お店を出る時の「ありがとう」に精一杯心を込める。
「掃き溜めに鶴」
駐車場に向かいながらそんな言葉が頭をよぎる。
他の人ごめーん。
その店に対して過剰な期待や要望は無いけれど、あんなふうに笑顔で気持ちよく接待する人には、お客さんも笑顔で気持ちよく返すだろうし、そしたら彼女もまた気持ちよく仕事が出来る。そうやっていい事が循環するだろうから、彼女には幸せがいっぱい集まるに違いない。
比べて、やる気の無さそうだった3人は、お客さんだって、それに合った返しになるだろうから、その人達の周りは本人達が投げかけたようなものが循環するということになるわけか。
幸せとは程遠いものが常にそばにあるという負の連鎖。
それは、お店どうこうっていうよりも、人としての幸せ度に関わってくること。
自分が他人にどう接するかで、結局は自分が幸せを引き寄せるか、幸せでないものを引き寄せるかが決まってくるのではないかという、選び方によっては恐い話。
パスタを運んでくれた男性。
あの違和感について考えてみたのだけれど、器が軽いためか、提供するというより、ポイっと置く感じだったので「餌」という気がしたのかもしれない。
人にものを差し出す時は、たいてい少し腕を曲げた状態で置くなり手渡すなりするものだと思うが、そこで腕を伸ばしきるので、「与える」というぞんざいなイメージを持たせてしまうのだろう。
顔も覚えていないし、首から上を見てもいなかったかもしれないが、たとえイケメンだったとしても立ち居振る舞いだけでとても残念になる。
もしかしたら、性格もすごくいい子かもしれないのに、それで幸せの循環から外れるとしたらなかなかに勿体ない話だ。
因みに冷凍のミラノ風ドリアは量も多くて美味しくて、おまけにリーズナブルなのでリピートするつもりです。