みんなも平成のゲームを振り返ってくれ
ゲームのプレイ体験、あるいは本でも映画でも演劇でもそうだけど、一人の専業ライターでは絶対にカバーできないので、世界のあらゆる人の体験に価値と読み応えがあると思うのです。
ファミ通の投票では、クロノトリガー・ゼルダBotW・ニーアオートマタが上位3強となりました。約30年のあいだずーっとゲームばかりしていたのにもかかわらず、結果としてひとつもプレイしていない…
けれども、それを全く後悔していません。特にクロノトリガーの頃から7~8年ほどは、このゲームをやらないなんて人生損してる!ってクラスのゲームが年10本出ていたのではないでしょうか。スーパーファミコンからプレステ・プレステ2の時代ですね。ゲーム専用ハードがグラフィックの最高性能であり、ハードの進化で時代の進化を感じるところもありました。
クロノトリガーの1995年、自分はダビスタ2~3を全力でプレイしていて、しかも世間でも流行っていたので、中学受験の塾で仲間たちと生産馬パスワードを交換したり、黒板に血統表書いてナスルーラを数えていたりしたのですよ。最高の楽しみ方をしました。
平成のゲームは層が厚かった。ここで神ゲーに挙げたもの、人生とゲーム観に影響を与えたものばかりです。
プレイ傾向を振り返る
JRPG・2D横スクロールアクション・3Dアクション(FPS/TPS含む)・ビジュアルノベル(エロゲー含む)・戦略シミュレーション・歴史シミュレーション・競馬・定期更新型RPG・音ゲー・弾幕STG・ゲーム制作系。割といろいろ頑張ったものの、海外系のFPS/TPSは弱めで、パズルと対戦格闘は語れるほどには手を出しておらず、乙女ゲーなど全く知らぬ、という感じです。
主要ハードはだいたい持っていたけれども、ゲームボーイシリーズは未所持だったために、そちらの方面が全くありません。セガハードもサターンだけは持っていたけど、サクラ大戦とダビスタやった程度でした。
任天堂を避けていた意識は全くないのに、ゼルダ・カービィ・スマブラ・ポケモンを触っていません。他に有名シリーズでは、モンハンが未履修。ファイナルファンタジーは6と12で、どちらも2回挑戦して2回とも飽きるという謎の相性の悪さを発揮しております。
個々の振り返り (長い)
以後もう感想文の断片みたいなものなので、超暇な人だけどうぞ。noteにはできるだけ他人の読んで価値のあるものを、と思っているけれども、今回だけは完全に自分のために書いてしまっています。
平成元年、8歳のころ。まだろくにクリアできるゲームがないなか、コナミワイワイワールドだけはなぜかクリアできるところまで頑張れていました。年齢一桁の化け物記憶力により、まだ最終局面用のパスワードを覚えているぞ!
平成2年。ドラゴンクエスト3をクリアしないと4買ってあげない!と言われ、発売日の3~4日前になんとかクリア。でも確か途中近所のお兄さんにネクロゴンドあたりの進行を教わって進めたので、自力クリアしたRPGはDQ4が初。DQ4の影響は、1990年から始まった「4コマ漫画劇場」と、その音楽によりとても大きなものになりました。このせいで親に懇願してピアノを習うことにし、ドラクエオーケストラコンサートにも行きました。
平成3年。引っ越したついでにプレイ時間30分制限を破るようになり、急激にプレイ時間増加。制限かけすぎると反動でそうなるでしょ。ロックマン2・3とめっちゃはまったのに、4以降まったく興味を持たなかったのは自分でも謎です。
平成4年。時間を使えるようになったので、父親の買った歴史系SLGをやったり、マリオペイントで夏休みの日記を毎日つけてVHSのビデオテープに記録したり。静岡の夕方にまともなアニメ放送はないから、夕方はゲーム尽くしさ!そしてDQ5。ピアノの発表会で我を通し天空城を弾くくらい音楽にはまり、さらに小説版読んだり相変わらず4コマ漫画劇場を楽しんだりと。
平成5年。スーパーファミコンがあるのに、ファミコンのバトルフリートにめっちゃはまる。若干マイナーです。これで戦艦とか飛行機とかを若干覚えることになりました。よくできたゲームです。この影響で、モーターがついて動く赤城のプラモデルを近所で買いましたが、組み立てが甘かったのか、鯉の泳ぐ小学校の池で遊んでいるうちに着底しました。
同時期にSDガンダムX・シムアント・三国志などプレイして、地味にシミュレーション系の経験値を積んでいた時期でした。三国志は吉川英治のを図書館で借りて全部読んだくらいはまってたような。
平成6年。小学校末期になぜかダビスタ2を教わり人生が曲がりました。我が家では競馬中継は絶対見せないようにしていたようですが、父親も妹もダビスタにはまってしまってはもうダメです。初めてゲーム大会に出たのも、初めて雑誌の大会で自分の馬名が(ちらっと)載ったのもダビスタ2。
平成7年。ダビスタは3になり空前の大ブーム。そして中学生の遊びざかりにゲーム大豊作時代が直撃し、あちこちの家でボンバーマン・マリオカート・実況ワールドサッカー・バーチャロンあたりを楽しみ、なぜかデザエモンが流行ってみんなでSTG作っていたりしました。中学生なんて不謹慎なもので、オウム真理教関係の曲がやたら作りこまれました…。これとRPGツクールを経て、作るの大変なんだなーという実感と、以後何かみるたびに「どうやって作ってるんだろ」という興味を持つことになり、人生への影響あったなあ。
平成8年。プレイステーションが出ました。柏のディスクユニオンで試遊できたギャロップレーサーを触って大興奮。人生で数少ない、トップまで極めたと言い張れるタイトルがこのギャロップレーサー・ギャロップレーサー2でしたね。翌年高校入学とともに入手したパソコンでNifty-Serveに出会い、FHGAMEにあるギャロップレーサー会議室で大暴れすることに…
あとは地味なところでは、「ラリーニクソンのスーパーバスフィッシング」という釣りゲームがとてもよく出来ていて、かなり時間を費やした記憶があります。釣りゲーってこれで完成形なんじゃ?って思ったくらい。
平成9年。FF7です。何かのゲーム雑誌でロケット村の画像見て、えっこれ本当にゲーム?となって。実際発売日に手に入れて、タイトルロゴからのミッドガル、ヘリの射撃によりガラスが割れるシーン、ミッドガル崩壊までの息をつかせぬ展開。あのテクノロジーへの興奮と素晴らしい序盤のつくり、衝撃でしたね。発売日が1月31日で高校受験が2月序盤、受験期間真っ最中に忘らるる都を超えて、いやーメンタル弱かったらどうなっていたことか!ゲーム中のキャラに萌えるという体験、エアリスが初めてでしたし。
FF7から半年で、プレステ版ダービースタリオンですよ。なんて贅沢な時代だよ!世間的にもダビスタブームの頂点、個人的にもNifty-Serverでのブリーダーズカップを楽しみ、もちろんトップクラスには歯が立たなかったけれども、目一杯楽しめたのは幸せでした。大相撲BC、わいわいフェスティバル。さらに年末にはギャロップレーサー2もあり…ウイニングポストシリーズも元気で、その他有象無象の競馬ゲームもあり。競馬ゲームの全盛期か。
平成10年。前年終盤に出たギャロップレーサー2に命を削っています。Nifty-Serverに書いた攻略記事が、なぜか競馬雑誌で紹介されたりもしました。カラオケ店にプレステ担いでいってギャロレー大会(オフ会)なんてやりました。
そして、忘れてはいけないゼノギアス。今では難解なストーリーばかり注目されてちょっと微妙な気分だけど、透き通るような音楽、ジャンプできて会話中に移動できる高度なシステム、異様にかっこいいUIとSEとカメラワーク。これも時代の先端であることに価値を感じたタイプで、リメイクして価値が上がるものではないかなと思います。
そしてbeatmania…なんだけど、はまったのはBM98とBMS文化のほう。なぜか出来のよい葉鍵系BMS。BMSは作るほうも少々やりました。
平成11年。ゲームショウで一目惚れして、その通り素晴らしいものを見せてくれたヴァルキリープロファイル。隠し部屋が見つからなくてIRCでだべりつつ何時間も迷ったのが懐かしい。エインフェリアのシステム、うまく生かせばFateシリーズのような物語の無限生産、巨大コンテンツが出来あがったのではないかと思うこともあります。
そしてKanon。初めて私設ファンクラブというものに加入しまして、それがまじかる☆さゆりんでした。高崎競馬の冠レース(まじかる☆さゆりん杯)の出資話、乗っかっておけば一生話題にできたので勿体なかったですね。
Dance Dance Revolution もここから。ゲーセンごとに「○○組」みたいなDDR集団ありましたよね!だいたいt-cup掲示板で連絡してたやつ。ブーム序盤はのんびりしたもので、みんなでButterflyでくるっと回れるようになるのを楽しんでいたものです。それが悪化して、譜面矢印印刷して「ここは回れる」「ここも回れる」みたいな事を授業中にやってた記憶。
あとは地味に、ダビスタ99は公式地区予選で勝ったので手元に記念品のTシャツとメダルがあります。でも、作品としてはもうそろそろ下火感があり、自分も99の公式予選で頑張ったのを最後にダビスタガチ勢ではなくなりました。ギャロップレーサーは3からはついに自分で攻略サイトを運営し始めて、そちらにウェイトが移っていました。
平成12年。ギャロップレーサー2000、FF9、Airと、前作がある感じの作品をそこそこに楽しみ。新しくはまり始めたのは beatmania IIDX シリーズ。初めて触ったのは 2nd substream だと思うけれども、本格的に向かい合ったのは3rdからで、R3(曲名)でスクラッチの拾い方を覚えました。このころ通っていたゲーセンは、新宿のチルコポルト・上野ボルテックスといったあたり。
平成13年。このころ、「定期更新型RPG」というジャンルに滅茶苦茶はまっていました。行動パターンを登録しておいて、週2回の更新で戦闘結果がHTMLで出される…というものです。DARK KINGDOM2、アクア=エリアスといったタイトルがありました。大手タイトル以外は、もはや2chにすらあまり記録が残っていないものも多く、自分でも正確なプレイ時期が確定できません。アクア=エリアスは有料化がこの年だと記録が残っています。毎週パーティメンバーや友人と激論を交わし、天空城アクア=エリアス踏破(クリア)一番乗りも果たしたのでした。いちごしとろんのとくにゃん、元気かな…。アクア=エリアスは自前でファンサイトを作って、結果ログを全部食ってPerlで集計処理してランキングHTML吐いてアップロードして、というのもやっていました。
定期更新型ゲームでは、アクアを除くとRoaming Sheep というマイナーなゲームにとても熱を入れていました。確かアメジストさんという方が制作運営されていたような気がしますが、こちらは本当にネット上に記録がありません。
それ以外では、確かガンパレードマーチをプレイしたのがこのくらい。続編のようなものがサッパリ面白くなく、なぜこんな神のような作品が出たのか不思議です。工夫しがいのある戦闘パート、ストーリー分岐にプレイスタイル・誰と仲良くなるかまで加えて、何周でもできる異様なリプレイバリュー。
平成14年。beatmania IIDXに最もはまっていたのはこの時期まで。新丸子のTOP、日吉のセントラルとパティオにはだいぶお世話になりました。あとは、PC版のギャラクシーエンジェルにはまっていたのがこの年か次の年か。シナリオがぶっ飛んでいて面白い他に、3Dで紋章機(女の子が載る飛行機みたいなやつ)とビーム兵器が描画される戦闘パートが見た目も出来もすばらしく、「ヴァニラ機で全機撃墜」みたいな変態プレイを色々やっていました。
これは続編だけど、見た目はおおむねこんな感じ。時間停止して攻撃目標または移動目標を選択して、というつくりです。ボイスの入り具合や必殺技の一掃感も優秀で、今からでもこれを真似たスマホゲー出てくれーと思っています。紋章機の搭載している複数の武器には上限下限射程があって…そういう細かいことはいいか。各機の選択はキーボードの1~6に、さらにオペレーションも確かどこかのボタンに割り当たっていて、キーボード操作も超快適でした。
FF11は、サービスインから1週間後に始めました。この後長くプレイしていますが、序盤に選んだのがシーフだったために何をするにも苦痛な上に、キャラが弱いので友人を失うという悲しい思い出があります。ネトゲは強キャラを使え!
平成15年。確かBALDR FORCEを知りプレイしたのがこの頃だったような気が。最速ではなくて、PS2版が出る直前くらいかなあ。アクションゲームからだいぶ離れていたのに、大量の武装を少ないボタンで扱えるインターフェイス、コンボに凝れるゲーム性、ものすごい中毒性でした。
もうひとつの衝撃が東方妖々夢。紅魔郷のときは実力の低さもありあまりハマらなかったのが、妖々夢でなんとかExtraに辿り着いてヒィヒィ言っているうちに開眼して、最高のBGMを聴きながらパターンを作り制覇していく楽しみにすっかり取り込まれてしまいました。最初はEasyの3面くらいで終わっていたのになあ。
他には戯画マインばかり当てられていたところに突然ショコラ 〜maid cafe "curio"〜が来て萌え死ぬなど。据え置き機以外のところで影響を受けた時期でした。
平成16年。2より後は攻略サイトを運営しながらも神ゲー感を得られなかったギャロップレーサー、7作目にしてオンライン対戦で再燃。これ確か12人くらい?リアルタイム対戦出来ていて、楽しかったですね。のちの作品で「4人までの対戦な上にバグバグでろくに遊べない」ってオンライン対戦が出来てしまったのはなぜですかテクモさん。東方は引き続き遊び、永夜抄で個人的はまり具合としてはピークを迎えました。この後くらいに、ブラウン管から液晶に変えたら遅延が大きくなって、なんだかやる気が減退してしまったのです。そのくらいの時代。
平成17年。このころは中古ショップに行けば、2000円台で名作が手に入るような時代でした。全く触ってこなかったジャンルのエースコンバット04、アトリエとしてはRPG寄りのイリスのアトリエ。いい出会いができました。エースコンバット熱はその後も続いたし、イリスのアトリエはアトリエ本家シリーズよりもアルトネリコのほうに熱が続いていくことになりました。
平成18年。FF11熱はここが頂点。HNMLSに所属して張り込んだり、市場操作のために1時間半~2時間ごとに起きてオークションをチェック&操作していたり。MMOは、あまりにも現実世界で失うものが多すぎますね!翌年からFF11攻略本をコミケに数回出して色々得るものがあったので、個人的にはギリギリセーフと思いたいところ。
アルトネリコとの出会いもここ。きわどい表現がまず話題になったけれども、音楽も世界観も美しくて。アルトネリコは3まで出たのですが、最初に描いた世界が一番純粋で心を打つものがあったと感じます。
平成19年。ついに学生生活を終えた年。その最後の春休みを捧げたのが戦国ランスでした。どう攻略するかが楽しい、キャラクターの個性が楽しい、リプレイ時のボーナス設計が上手。同じ年に出た 聖なるかな もシミュレーション寄りで楽しく遊びつくしました。アルトネリコ2は、1ほどのインパクトはなかったけれども十分に神クラス。オープニング曲のために5.1chスピーカー環境を構築しました。
平成20年。楽しいゲームは多かったけれども、これがすごい!ってゲームに出会えていないような気がする年。ニコニコ動画を見たり、Vocaloidやゲームプレイ動画を上げたりしていて、そちらがメインとなりました。同人ゲームのマジカルバトルアリーナがたぶんこの年で、なかなか衝撃的でした。秋葉原のメッセサンオーが同人ソフトを結構扱っていて、表向きに常に何本かプレイ動画を流していた時代。CD売り同人ソフトのひとつの全盛期だったのではないでしょうか。
平成21年。FF11ようやく引退。アイドルマスターとの出会いは前年でしたが、箱版にはあまりはまれなくて、音ゲーに特化したL4Uから本格的にはまっています。箱○初期曲にはほとんど惹かれていなかったのに、L4Uに追加配信されたM@STER ARTIST シリーズの曲がグサグサ刺さってきたのです。
BALDR SKY シリーズもDive 1, 2 と出ました。年末の冬コミには攻略本も出しました。ストーリー・兵装の両面で、BALDR FORCEよりもこちらの方が好み。
平成22年。アーマードコアとの出会い。4から入ったために、ずっしり重厚なアーマードコアではなく、高速に飛び回るのがアーマードコアのイメージになってしまいました。もうひとつ書き残しておきたいのが戦女神VERITA。どこから勧められたのか忘れたけれどもソフマップで買ってきて、もう社会人なのにかなり睡眠削って遊んでいた記録があります。なぜか記憶には残っていないけど。(老化か)
平成23年。2011年は大震災の年、転職した年。転職直前の期間は大帝国に費やしました。また就職前にアリスソフトだよ。個人的には大当たり年で、トトリのアトリエをトロフィーコンプリートしたり、年始にアイマス2で一瞬だけファン数ランキング1位取ったり、無職期間にドリームクラブZEROの音ゲーに命を懸けてしまったり、今更戦場のヴァルキュリアの良さを理解したり。トトリちゃんはモデルがとてもよくて…特にスカートのつくりが絶品で、序盤ずっと眺めていたのでした。
平成24年。アーマードコアV。楽しかったんだけど、オンラインは仕様設計ミスでひどかったね…。この年はバグ満載のシェルノサージュもあり、面白そうなのに技術が足を引っ張っているという、技術者としては悲しいものを続けて引いてしまいました。
平成25年。艦これ。ここから3年くらい基本的に全力で艦これ。同人誌を積極的に集めた唯一のタイトル。ヒラコーで火がつき、着任困難で話題になり、いわゆるワンドロが流行り、そしてイベントが始まるとタイムラインを艦これの話題で埋め尽くす。Twitter時代を象徴するゲームでした。通信が生JSONなので、Elixir(プログラミング言語)の習熟もかねて、ローカルで情報表示システムを作ったりもしました。
リリースから1年経ったパズドラに手を付けたのもこの年。令和になっても売り上げ3強を維持しているのは、基本的なシステムが優秀かつシンプルであるからこそ。2011年リリースのシンデレラガールズとこのパズドラが、ポチポチゲー時代の課金を躊躇っていた多くの人間に「最初の一歩」を踏み出させた印象です。
平成26年。この年も艦これ全力なので他の印象が薄いけれども、ソードアートオンラインのホロウフラグメントにドはまり。まさにMMOを一人で好き勝手プレイする感じで、FF11から流れてきた人間には刺さりました。実はキャラクターは特別に気に入ったところはなく、ゲームのストーリーも印象なく、なのでキャラゲーなのにシステム部分だけを褒めています。
平成27年。SAOのALOを舞台にしたロストソング。フィールド上を自在に飛び回れる快適さから、うっかりプラチナトロフィーまで取ってしまいました。そして、9月ごろに突然はまったWorld of Warships (WoWs)。朝5時までプレイして8時に起きて出社、みたいなの週3でやってたので異常でした。煙幕や島影から一方的に撃つのが主流になると急に面白くなくなって、興味を失ってしまいましたが。
他にはスプラトゥーンにはそれなりにはまり、デレステプレイ開始。意外なところでは、バカゲーに分類されがちなヴァルキリードライブ ビクニは、アクションがなかなか悪くなくて楽しめました。これいいよ!って言うと爆乳信者扱いされてしまうので言いづらかったんですが、でももっと良いものは主張しておくべきだったかな、という反省があります。
平成28年。FGOプレイ開始から終局特異点の熱狂へ。でもここでも最高に楽しかったのは、SAOのホロウリアリゼーションかな。1.04というバージョンアップでバランスがおかしくなって投げたものの、それまではザクザク雑魚を狩りながら攻略していくのが快感で、ものすごく時間を使っていました。SAOゲームシリーズでは、LSとHFが双璧です。
平成29年。もうノスタルジーしかないと思っていたドラゴンクエスト、まさかの傑作。前年のドラゴンクエストビルダーズが、ストーリーや世界観がしっかりドラゴンクエストしていて、「ナンバリングのドラクエが欲しい」って感じでうまく盛り上げてもくれました。ほんとうの最終局面までの流れ・構造も、世界に住まう重要人物の役回りも、その見せ方も。あとRPGとして戦闘の楽しさも。素晴らしいものを出してくれてありがとう。
デレステは端末性能が追いついてきたこの頃になって、個人的にはピークを迎えました。最初は同時押しとかフリックとか抜けまくりでしたが、Xperia Z3という神により救われたのです。
平成30年。SAOのフェイタルバレットが惜しいところだけども神ゲーというほどには言い切れなくて、この年は該当なし。しかしスマホのプリコネRは良かったし、PS4のスパイダーマンも良かったし、久々にKey発のゲームをプレイすることとなったSummer pocketsもなかなか良かったし。転職後の勤務体系に問題が出てちょっと色々アレなところでした。
平成31年。4カ月間。ここはエースコンバットでしょう。シリーズ経験者の知識を前提にしているところがあるので、一般的には高い点数はつかないと思うけれども、ファン的にはOK。いつのまにか平民コンバットになっていたのが、ちゃんとエースコンバットになって帰ってきた!
総括的な振り返り
遊びましたね平成。遊んで走り切った。序盤は子供、終盤は社会人として。最終的には、憧れていたシリーズ続編の制作に参加することまで出来ました。それも含めて色々な角度から楽しんだけれども、まったく遊びきれてはいません。はやく隠居してゲームばかりして暮らしたいものです。
令和は完走できる気がしません。平成JUMPしてしまった人間、だいたい途中で孤独死でしょうなあ。急に人生の終わりを考えてしまう元号の境目になりました。令和の振り返りは今若い人がんばって…。なんでもいいから記録は残しておくものですよ!