今まではビジネスが自分の全てで、作りたい決算書を作るためだけに全てを差し置いて最も良い戦略を行使してきた。
趣味の税法やサッカーの戦術分析なんかも、なんだかんだビジネスに繋がっている。
休憩で仕訳を入力したり、仕事に疲れたから決算をしたり。
いつからか作りたい決算書を作るためにしかビジネスをしてきていないので、他人の決算は〝生活〟が見えて楽しい。僕の決算では絶対に表記されない摘要欄ばかりだ。
ビジネスモデルを完成させると、自分は手を離して誰かに全てを任せる。ここまでやってやうやく完成だと思っている。
決算書だけを確認して、大体の内容を把握し、不明点は直接聞いてもう問題ないなと思ったら株も手放す。
もし万が一、自分が死んでしまっても大丈夫な状態にして次のやりたいことを探す。
そんなことをやりながらずっと生きてきたから、みんなが知ってることをあまり知らず、みんなが知らないことをちょっと知ってる。
しかも「お前は常識を知らなすぎる」と言われて、常識とはなんだと検索をして「日本は法治国家だから日本人の常識は法律だ!」というところに辿り着いて法律を勉強するぐらいズレている。
そんなやつだから、「達成」なんて訪れないと思っていた。
でもそれは突然やってきてしまった。
15年かけて財務健全化をはかる仕事をやっていたが、運良く突然それが達成されてしまった。
その決算は売上1,000億を超え、人生で初めて決算書に達成感を抱いてしまった。
ここまでくると別表(法人税申告書)でやる対策や節税など上場企業でもない限りほぼほぼ意味がない。
動かせても数億の話でしかない。
突然の「達成」が訪れてしまった。
何をするにも何でもできるし、何もしなくても全く問題がない。
旅行したりホテルの1番高い部屋に泊まってみたり美味しいものを食べたり朝までゲームしたり寄付しまくったり何もしなかったり、どれだけ何かをしても当たり前にできることすぎて心が動かない。
満たされないものがなくなった時に、何をすればいいかわからなくなった。
幸せほど恐ろしいものはない。
幸せは鋭利な凶器だ。
いつ死んでもいいように毎日を生きてきてるつもりだったから、「あ、今かな?」と思うようになってしまった。
だからなるべく関わりがあった人との繋がりを減らしていって、突き放していって、それが「達成」できたら死のう。そう決めてしまった。
無理やり理由を見出してやることを決めてやったりしてたけど、心からやりたいことじゃないから進まない。
やっぱり今なんだなと思うのが強くなってしまって、妻がいるから!次のグリーリッシュ(サッカー選手)のプレーを見るまでは!次のゴジラが放映されるまでは!みたいなのでなんとか毎日を繋いでいた。
そんな中、親族が症例がかなり少ない稀な病気にかかった。完治はしない。寛解も難しい。
医療には多少詳しくコネもあれど、全く役に立たないレベルの病気だ。
喜怒哀楽の哀が極端に欠落している僕でさえ、この無力感はダメージを受けた。体調を崩した。
ああ、これが何かを失う感情か、となった時にとてもとても誰かに味あわせるものじゃないなとなった。
これは死の「達成」など目指すべきじゃないなと。
妻がいてよかった。即決行動してたら終わってた。
終活からの引退です。あぶない。
これからは〝生活〟をやっていこう。
誰かに余計な感情を抱かせないように、生きよう。