01.痛くない口内炎
4月のある日、ふと、舌に口内炎ができていることに気が付いた。舌の右側、側面というか、舌裏というか。ぽつんと白っぽくなっているわりに、ちっとも痛くない。
「いつできたんだろう」
2月は歯医者に通っていたけれど、その時は何も指摘されていないからなかったはずだ。(それにしてもあの歯医者は苦手だ。わたしの話をちっとも聞かずに、次から次へとすすめてくるのがいただけない。)ということは、今月?先月?
不思議に思いつつも、痛くないし、とりあえず様子を見ることにした。わたしは疲れやストレスで、わりと口内炎ができやすい。その度にがっかりするものの、睡眠や食事に気を付ければいつの間にか治っているので、口内炎を病院で診てもらったことはなかった。今回のこれも、きっとすぐ治るだろう。今日は早く寝て、明日は野菜をたくさん食べよう。そう心に決めて、そのまま口内炎のことは忘れてしまった。
◇ ◇ ◇
時は流れて5月。絶賛シラカバ花粉に完敗する日々を過ごしていたある日、唐突にまだ口内炎があることに気が付いた。
「あれ?まだある」
多少気にはなったものの、ちっとも痛くない。しかも目前には、青森の祖母をパートナーと一緒に訪ねようと計画した旅が迫っている。前々からこの旅をずっと楽しみにしていたわたしは、あっさり口内炎のことを忘れた。だって痛くないし。
◇ ◇ ◇
2022年は春から秋まで、楽しい予定が盛りだくさんだった。
友人と会ったり、写真撮りをしたり、妹の結婚式があったり、温泉旅行に行ったり、ポケモンGO FEST札幌に参加したり、ホテルでディナーを楽しんだり…。
これらのお楽しみのはざまに、父と母が交代で入院するなどのハプニングもあり、とにかくまたたく間に時間が過ぎていった。
おおよその予定が終わった9月、ほっと一息ついていた頃に、まだ口内炎があることに気が付いた。4カ月も忘れていたのになぜ気が付いたかというと、ちょっぴり痛みを感じたからだった。
「ねぇねぇ、ここにある口内炎ね、春からずっとあるの」
パートナーには、4月にも口内炎ができたことは話していたがそれきりだ。このときやっと、実は5月にも気付いていたこと、最近になってちょっと痛くなってきたことを伝えた。
「それ、ちょっと気になってたんだ。ずっとあるし、念のため病院に行った方がいいよ。大丈夫だったらそれでいいんだから」
いつもなら「えー」とか「大丈夫だよー」とか言ってはぐらかしそうなものだが、この時は痛みが出てきた不安もあって、素直に病院に行くことを決めた。
「口内炎って、歯医者さんかなぁ…」
2月に通っていた歯科医院がどうも肌に合わず、行くのが嫌だったわたしは憂鬱な気持ちでスマホを開く。調べてみると、どうやら口内炎は耳鼻咽喉科がいいらしいことがわかった。
そうと分かれば心が軽い。耳鼻咽喉科なら、かかりつけのクリニックがある。会社のすぐそばでアクセスもいいし、新しくて綺麗、その上あまり待たされることもない。何より、先生がかっこよくて優しくて大好きなのだ。(ちなみに女性の先生である。)すっかり気分が明るくなったわたしは、早速最短で取れる日時を選んで予約をした。
◇ ◇ ◇
迎えた当日。先生に会えることも楽しみにクリニックに向かう。きっと、口内炎に効く薬が出て終わりだろう。漢方かなぁ。だったら飲みにくくて嫌だなぁ。
そんなことを考えながら待合室でぼんやりしていると名前を呼ばれ、わたしの番になった。診察室に入ると、先生がにこにこ笑顔で迎えてくれる。はぁ~相変わらずすてきな先生だなぁ…なんて思いながらのんきに診察室の椅子に腰を掛けたのだが、診察が進むにつれ、何だか穏やかではない空気を感じ始めた。
「あ~ここね。なるほどなるほど。ちょっと触るね~ふんふん」
一通り終えて、先生からかけられたのは
「念のため、大きい病院で診てもらおう」
という言葉だった。
へ?大きい病院?なぜに?わたしの見立てでは「あ、口内炎だね!お薬出しておくね」と言われておわるはずだったのだ。寝耳に水とはまさにこのことである。
想定外の方向へ話が進んでいきそうな予感を察知し、わたしは動揺しはじめた。その様子を見て、先生は優しく説明をしてくれる。内容をまとめるとこうだ。
見た感じ、口内炎のようにも見えるし、そうでないようにも見える。
ただ、このクリニックには機材がないから、詳しい検査ができない。
春からずっとあるって言っていたし、念のために、一度しっかり検査しておいたほうがいい。
穏やかな口調かつ、簡単な言葉に置き換えて説明してくれたおかげで理解はできた。しかし、大きな病院を紹介されるという人生で初めての事態である。先生の口調とは対照的に、わたしの心中はちっとも穏やかではない。てんやわんやである。しかし、取り乱している暇はない。先生の時間も、わたしの時間も、有限だ。
とりいそぎ、そうなんですね~的な涼しい顔を作ってみたものの、残念ながらてんやわんやな顔をしていたようで、先生は一層柔和な笑顔になった。そしてそのまま、どんどんと話を進める。
先生がすすめてくれたのはT病院という総合病院だった。問診表でわたしの住所を見て、提案してくれた。
T病院…名前は知っているけれど場所は知らなかった。なにせ、総合病院というものにはお世話になったことがないのだ。
「T病院って近い?」という先生の質問に対して口ごもっていると、先生はざっくり住所を教えてくれた。ふむふむ、なるほど、あ~、あの辺かぁ、などと理解した…風を装っているだけで全然分からぬ。近い気がするけれど、いかんせん日頃出向かない方向なものだから見当もつかない。とはいえ、病院の立地の話で、先生の貴重な時間を奪い続けるのはいかがなものか。このご時世、あとからサクッと調べれば経路ごと簡単にわかるだろうに。
そう思い至った私は、持っている相槌バリエーションを総動員させながら、分かりましたという顔をつくった。
「〇〇区ならH病院もあるんだけど、T病院に知り合いの先生がいるのよ。大学が同じでよく知ってる先生なの。K先生っていうんだけど、口の中とか喉とかを専門的に診ている先生なんだ。よかったらK先生に診てもらえるようにお手紙を書こうと思うんだけど、T病院どうかな?」
簡単な単語ばかり選んで話してくれているというのに、いまいち腹落ちしない。それもそのはず、T病院の場所からつまずいているのだから…。とにかく、先生に絶大な信頼を寄せているわたしとしては、先生の仲良しの先生ならオールオッケーである。そもそも、この段階で比較したり検討したりするほど、情報も知識も理解力も持ち合わせていないわたしにとって、選択肢はT病院のみである。
そんなわけで、T病院のK先生に、お手紙もとい紹介状を書いてもらうことになった。診察室を後にし、会計を待つ。ややしばらくして呼ばれ、会計を済ますと、領収書と一緒にK先生宛の紹介状を受け取った。さっき診察室で先生から聞いたように、T病院への予約は自分でしなくてはならない旨を聞き、クリニックを後にする。
何だか大変なことになっちゃったなぁ…と紹介状を見つめながら、わたしはとぼとぼと会社へ向かった。
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2022.04~09のお話です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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