虚心坦懐(追記)

虚心坦懐について、自分のエピソードと絡めて書いてみた。

ここでも思ったこと、それは「アウトプットの大切さ」だ。実際に文字に起こしていくことで自分が“何者”なのかを判断することができる。


“虚心坦懐”。この言葉を初めて目にしたのは中学2年の頃、サッカー選手・内田篤人さんが書いた『僕は自分が見たことしか信じない』を読んだ時だった。今でも、この言葉を胸に刻んで日々を生活している。

小学3年から野球を始めた私のポジションは投手だった。WBC第1回大会、松坂大輔投手に憧れを抱き、地元の少年野球チームに入団した。投手という「自分の結果が試合に直結する」、そんなスリルを味わうことがたまらなかった。中学では「より高いレベルで野球をしたい」と、地元近くの硬式クラブに入団する。そこでもチームのエースとしてマウンドに上がっていた。時には嬉しさのあまり拳を突き上げる、時には怒りでグラブを投げる、私はそんな感情を全面に出すタイプだった。

気持ちを前面に押し出す私が目にした“虚心坦懐”というフレーズは強く心に響いた。「心になんのわだかまりもなく、平静な態度で事に臨むこと」。結果に関わらず、目の前のことに一つ一つ真摯に取り組んでいく、当時の私はそう解釈した。以来、先発で好投しても、試合に出られなくても、次の試合に向けて準備していく気持ちの持ち方になっていった。

野球以外でもこの言葉は大切だった。高校3年の時に経験した大学受験。毎日勉強をする中で、周囲の誘惑もあった。全国模試の成績表で、志望校の欄に掲載された「E」の文字を見て、諦めかけた時もあった。それでも日々淡々と学びを積み重ねていくことで、充実した受験生活を送れた。それも虚心坦懐の言葉を忘れずにいたからだ。

感情で物事を決めて、後に後悔する。結果の良し悪しで気持ちにブレが生じることが昔はあった。虚心坦懐という言葉に出会い、平静と物事に臨むことが自分に最適だと分かった。今となっては座右の銘だ。記者になっても、目の前の出来事に対して黙々淡々と臨んでいきたい。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

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