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精神
どうも、「木歌こと うのまきこ 」 です。
おうち時間がつづいています。
おかげさまで、note はじめました。(2回目の投稿)
(♪よかったらふわふわした一曲聴きながらどうぞ↓(出した答えの一つ。2017 アルバム[phi/Φ] から))
さてさて、
わたし、長らく、精神を病んでました。
マジきつかった。
けど、
近年、わたしは本当に幸せです。
しかも、「ほんっと、(精神病)やってよかった!」と思います。
今の自分の幸せはこの時期がなければあり得ない!!と思えるんですよマジで。信じられないけど。
開けたと感じたのは、2015年の秋。それからも、何度も生まれ変わるような体験をして今まで来ました。
歌手としての20年間でわたしは、自分と向き合い、自分の勘違いしてきた部分に気づいてきました。
というのも、
人に信じ込まされていた人生に、翻弄され踊らされ、焦ってぶっ飛んでいた。(これ躁~sou~)
人に信じ込まされていた人生に、ずっと嫌気がさしていた。人生にグレていた。(これ鬱~utsu~)
それが、精神病の躁鬱時期のことかもしれないと振り返って思います。
(ぶっちゃけ)自分、そこにいませんでした。
(だから、そうゆう時のことよく覚えていなかったりする。)
ほんとすいませんでした。(汗
精神病は、「時代」が作り出した説
物に溢れて、食べたいものが食べれて、テレビ見て、豊かで太っちゃうのが気になる生活なのに、埋められない寂しさ、、
歌なんて歌わなかったし、歌うような気持ちにもならなかった。誰もわたしの歌には気づかない。街と山の間の、畑と田んぼの田舎の街。
大人になったら「(お金がないと)働かないと食べていけない。(有益ではないと意味がない)」という、現実味のない「脅迫観念」
(農業や家業があったら、小さい時から働くことを知ったのかな?)
を、子供の頃からずっと体験してきました。
自分は愛されていないなんて、思ったことはなかったけれど、この体験は何層にもなって精神に刷り込まれ、
人生に織り込まれ、その思考は
自己存在を疑い、嫌悪する原因となって、ずっと私を苦しめてきました。
「ただ、生きているだけではいけない。」と、この世界のどこかで思わされて、生きてきました。
(🎵ささ、もう一曲いかが?(病みながら出した答えの一つ。2017 アルバム[phi/Φ] から))
わたしが、音楽の神様に出会って、躁鬱病を経験し、導き出した答えは、、
全力で、、、、
「いいえ!
本来は、本当はみんな、
ただ、生きているだけでいいんです。」
今、こうして、胸を熱くしながら、このように思えることが本当に嬉しいです。うるる。。
「シラフに戻ってきたわ〜マジ今まで本当にバカだったわ」と思います。
でも、何度も、繰り返すんです。バカだったわ〜って、何度も思って、だんだん、どんどん、確信していく。
精神疾患て、風邪みたいなわかりやすいものではなく
目には全く見えなくて、みんなみんな、多かれ少なかれ、色んなグラデーションがあって、全然違うけど、基本は同じ構造で、色んなバージョンや段階あって、自分も色んな時期があり、色んな症状を感じてきました。
そして、今の幸せな私があるのは、われを取り戻す体験を重ねていったからです。
そんな今、わたしが忘れたくないのは、(シェアしたいの)は、歌手活動20年の修行で見えた、「自分の人生の取り戻し方。」なのかもしれない。
な。
大人になった20歳のとき、何にも将来のヴィジョンなんてなかった。
わたしは、わたしのことを何にも知らなかったと思う。
音楽の神様に出会うまで。
また、次は、音楽の神様に出会う話を続けよう。
2020年4月24日 晴れのち雨 雷の日⚡️ 牡牛座の新月開け 6:22
我が子と季節を楽しみながら。