子どもが小さいころから花ばかり見ていた
note 初心者で、使い方に四苦八苦しています。
PCから入力するのですが、スマホと写真を同期していないので、PCに直接取り込まれている写真を拾ってUPしていることが多いです。残っている写真はほとんど、赤ちゃん時代のこどもたちか、一緒に写っているもの、たまにお花の写真です。百合園や、チューリップ畑のものがでてきました。
11年前の震災の頃、被災したガーデナーさんたちがボランティアをつのってガーデンづくりを再開しているという記事がいろいろな意味でうらやましく、ならば、自己流で花を育てればいいと結論をえました。
フルタイムで仕事、合間をぬって被災した親戚のケア、その往復の中で、みんなが喜ぶことは、私もたのしめることは、との考えでした。
祖母はずっと畑とともにいきてきたので、畑を再生、といっても農業としては無理なので、お花なら、近所の人も見てくれるのではないかと。
チューリップの球根を取り寄せ、植え、見事に咲きました。
ただし、植えっぱなしにするためには、それなりの水はけのよさと手入れが必要とのことで、数年後には雑草に覆われてしまいましたが…。
チューリップにしようと決めるまでには、何か所かのいろいろなガーデンをめぐりました。どんな種類の花が、どんなところに適しているのかなど、なにも知りませんでした。長崎のハウステンボス、北海道のガーデン街道の一部も。今考えてもあのスケジュールの中で、よくいったもんだ、つまったもんだ、と思いますが…。
子どもが生まれ、少しずつ成長して、お出かけ先としてまた、〇〇園というようなお花が見られるところに行くようになりました。子どもが小さいと、それ以外選択肢がないともいえるのかもしれませんが、車に乗ることは嫌がらない子どもたちでした。
ただ、なにか、今までになじみのないことをしようとすると、パートナーが良い顔をしないので、顔色をうかがってしまいます。
いま気が付いたのですが、なぜわたしのほうが、顔色うかがってしまうのでしょうか。
「誰が養ってやってると思ってるんだ」
と、言ったことはないのですが、そういう状況です。いうつもりもないのですが。パートナーの健康状態に不安があるとかそういうわけでもありません。金銭面も話し合ってきたのですが、旦那の主張は、自営だから仕方ない、に、何事も最終的には丸め込まれる状況です。
何か脅されるとか、そういう関係でもないのですが、なんというか、主張するのが下手な私と、話を聴くのがへたくそなパートナーなんでしょうか。
そういう意味でもお出かけ先が花園というのは、並ぶ時間もなく、けんかになりづらい、お金もあまりかけないということも利点だったのかもしれません。
「誰が養ってやってると思っているんだ」というセリフ、もしかしたら男性ならではの思考なのかもしれません。イメージですが、そういったセリフは、男は養うものとの刷り込みがあるのでしょう。セリフだけなら、言われる環境はある意味うらやましいものです。私も夫に養ってほしいです。パートナーとの収入関係が逆転しているなら、家事育児もそのままひっくりかえっていてもらえれば負担も少なくて済むと思うのですが、なんというか、分担しないと申し訳ないという思いでいたのですが、分担の前に私ができないことを頼むのは申し訳ないと思い、やりながら教えようと思っていたのですがそうは問屋が卸さない、とはこのことで。自分一人がすべてやる。自営とはいえ、夫は自分のお金で儲からないけれど好きな仕事をやっている。私は家計を支えている。これ、私に何の利があるんだろう。
「愛は地球を救うかもしれないが、旦那の愛だけでは私を救えない」とよくわかります。
夫のやっていること、どこが愛なんだろう。
1年に3回くらい、めっちゃ頭にきて、夫の最も疲れている時をみはからって口撃します。頑固なので、何の解決にもならない。
こうやって、振り返ると、我ながら残念な自分。
どおりで花を家に飾ってもすぐ枯れるのだなと。
でもまあ、よいこともあるので、いつかよくなる日がくるだろう、と思っている節もあります。
また、お花を眺めながら気晴らしをしましょうか…。
お読みいただきありがとうございました。