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月モカ「ガリレオガリレイの気分だよ」(ナンバリングなし)
今日ちょっととても嫌なことというか承服しかねることがあって、わたしは自分自身の感性や生き様を、勝手なモラルや勝手な正義の審判により捻じ曲げられたガリレオガリレイの気持ちです。
なので読みやすく、読んで気が晴れるようなエッセイを書ける気分じゃなくって、ちょっと呟いたことを貼っておきますね。
本当の多様性ってなんなんだろうか。
古くなった感性を徹底的に叩いて他者の脳内を新しい感性で上書きさせることじゃない。「子供は産まないの?」ってシンプルに訊いてくる80歳の女性は、ハラスメントの加害者じゃない。
子供が産まれなければ「妾をおとりください」とこちらから申した時代からまだ100年も経ってないんです。
「子供を産まなきゃね」ってシンプルに言ってくる80歳の女性は、時代の被害者です。「今はそんな時代じゃないですよ!」って教えてあげることは時に「じゃあわたしの生きた数十年ってなんだったろう」って思わせてしまうこともある。
だったら「そうですねえ。でもなかなか・・・」とかって笑って過ごすことの方が「多様性の共存」なのではないかとわたしは思ってる。
少し前の弱者が市民権を得て、もっと前の弱者を弱者と気付かずに敵対したり、詰ったり、何かを教えてあげようと息巻いたり、
引き摺り回したりするけどそれはもう加害行為ではないのか。
考えや思想の塗り替えや排除は暴力的な行為であり、
時代の追い風の元にそれをやっているとしたらそれこそ時を得た権力の名の下に、同じことが繰り返されるだけだ。
その権力はここぞとばかりに古い価値観の人間を根こそぎ教育し直し、その考えを変えないとわかれば牢屋に入れるのだろう。
多様性の時代っていうけどようやく注目され始めた感性を重んじるあまりその対極にある感性を叩き潰すような正義の暴力を最近見かけます。というかそれに晒されてムカつきます。ようやく自分たちの時代とばかりに今まで憎んできたものを叩き潰していく時あなたは加害者にもなっている。それを忘れずに。
— 中島桃果子 (@moccatina) April 18, 2022
ねじ曲がった正義に追い立てられてクソ忌々しい気持ち。
つぶやきを監視され大事な友人の叫びに共闘も許されない。
<月モカ/ナンバリングなし>
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![中島 桃果子 / Mocako Nakajima](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/106818586/profile_67398f931b49cec208015635cbb9d11b.jpg?width=600&crop=1:1,smart)