マリアンヌと、いつか会うきみ 1
うすい水色の空のはじ、
お天気のいい日に地上から見上げると
ほとんど金色の光のように見える雲の輪郭の部分で、天使たちと神様が「重要なきょくめん」を迎えていました。言い換えるとするなら、この黄金色のまぶしいぶぶんそのものが、いつだって「重要なきょくめん」とも言えるのでした。
天使たちは空の上でたくさんのことを学んだあと、さいごにこの雲を通って地上に降りてゆくのです。天使たちにじったいはありませんが、この雲の中にいるときは子どもの姿をしています。生まれてくる状態にもっとも近くないといけませんし、同時に頭を動かして神様ときちんとお話ができなくてはなりません。(なにしろ、重要なきょくめんなんですから)
この黄金色のもやもやの中で、魂とも呼べる天使たち(じったいがありませんからね!)は一枚のカードを配られます。そのカードはだいたいのことろ、その天使がにんげんになったときにどういった役割を果たさなくてはならないかをあらわしています。例えば「王さま」のカードですと、人の上にたち、ひとびと導いてかなければならない使命がありますし、「星」のカードですと、誰かの希望(きぼう)になって生きることを表しています。すごい発明をするひとなのかもしれません。
すべてのことを「いいこと」だけでとりまとめようとすると世界はおかしくなってしまうので「気まぐれなお姫様」のカードなんかもあります。このカードをもらった人は関わるまわりを翻弄し困らせるという使命(しめい)があります。困らせるのが使命だなんで妙ちきりんですけれど、人は苦難(くなん)に直面することで成長しじんせいもまた味深いものになっていきます。その苦難をひとに与える、という意味で「気まぐれなお姫さま」も、れっきとした使命と言えるのでした。
生きるということは自由をあらわすことで、なにひとつ決めつけられることはありません。
決めつけられたことがあっても、そこから自由になること、それも生きることだと、天使たちは長い空のじかんで学んでいますから、このカードが「ぜったい」ではなく「ばくぜん」とした意味あいだというふうには理解しています。それでもこのカードは天使たちの次の人生の幹となるぶぶんで、そういったことを考えるとやはりとっても「重要なきょくめん」と言えるのでした。新しくにんげんになる天使もいます。何回めかの天使もいます。何回めかの天使は、またこの雲の中にいるときは前の人生のことを覚えていて、次はこうしたいな、とか、あのひとにまた会いたいな、とか、そういう気持ちも持っています。果たせなかった約束を時空をこえて今度こそ果たしたいと思っている天使もいます。そういった意味でこれは審判(しんぱん)の時ともいえるのでした。
空の上にはじかんはありません。
世界は大きな単位でくぎられていて、
地上でいうところの一〇〇年や二〇〇年はないも同然です。
ですから同時に審判を受けた天使たちも地上で巡りあえるとは限りません。それぞれが一瞬にしてほうぼうの国のほうぼうの時間に降り立つからです。
カードを与えられ使命を受けとめ、そんなカードをもらったことも、その前のじんせいのことも、いっさいの記憶を真っ白に戻して、天使はにんげんになるのでした。ぜんぶを忘れること。これもまた「人生に決めつけられることはひとつもない」という意味で、とても大切な、最後の儀式(ぎしき)なのでした...(続く)
(文・中島桃果子 / 絵・コイヌマユキ)
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