第12話 ✴︎ 「女主人の一人言」By"イーディ/InnocenceDefine”✴︎
体が弱い。これがつまり虚弱文筆家が店とかを持ってしまった上での最大の肉体的弱点である。神経が細い。これも本質的に芸術家気質な人間が飲食店などを経営してしまった上での最大の精神的弱点である。
他人から見たら「え、そこでそのチョイス!?」とか「何事にも全然動じない感じ」とか、わたしは割と大胆で腹が据わった人間に思われる。
実際そういうところもあるけどそれは村上龍の名言にある「頭のおかしな奴は、ロックスターになるか作家になるしかない」という言葉通りの気質、つまりちょっと普通の人と回線がずれてる、部分であって、普通そこでそうしないよね、ってところに丸腰かつ裸足で勇ましく飛び込んで行ってってしまったり、妙なところで一期一会の賭けに出れたりするんだけど、同時にその逆もあって、普通の人が「さして気に病まない」ことをなんども取り出して反芻しては神経を細らせたり、いつになってもその傷から立ち直れなかったり、するところが、わたしにはある。
わたしの脳内が俊足なのか、肉体が怠惰なのか、
気に病みやすく考えこむたちなのに、体力が全然ついて行かないので、
いつも脳内であれやこれや考えている細やかな気配りのだいたい6割もできぬまま日々が流れて、それは時に後手に回ってトラブルになったりもする。
よって誰かに頂いたLineやメールの返信をすっかり忘れていたり、
ちょっとしたお礼メールなんかを送りそびれていたり、する。
お店を始めてからあっという間に1年が経って、
このアーカイヴはほんの12話だけど、ざっと考えて36話くらいにはなるくらいの事件やイベントが、この1年のうちに起きた。
最初の6月〜7月にしくしくと数話更新されているその最初の6月は大変濃かったのでこのように記録に残っていて嬉しいけれど(しかしまだ読み返す勇気がない)本当は9月から年をまたいでこの6月までも凄まじくいろんなことが起きたんであって。
このアーカイヴにはわたしのファンで今は調珈琲の栞が、今は一緒に店を切り盛りしていることなど、全然書かれていなくて、栞が参戦した、という9月の大事件すらも記されていない。あれから年が明け、意味不明のスランプを2月に経由した栞は今ではとても頼もしい昼間の顔になり、なんと今月からは「豆まで焼いて」、栞焙煎、栞珈琲の船を勇ましく前に進めている。
時か、時がさ、あまりにすごい速さというか、
凄まじく早いスピードで飛んでいる雲のはじを掴んで、同じ速さの雲から雲へ飛び移っていく1年だったというか、
何が言いたいかというと立ち止まっていられなかった分、
手のひらから溢れ落ちて行ったものや人間関係が、たくさんあるなあっていうこと。
多分、この1年、新しい出会いがあって、たくさんの人に囲まれて、たくさんの人に好かれたけれど、同じくらい多分、誰かに敬遠されたり、嫌われたり、知らぬところで不快な思いを、させたりしていて。
それが多分、大事な人たちに対してだったりもして。
それに多分、気づけないほど余裕もなかったりしたんだったりして。
けれど失ったものはもう取り戻せない。それだけは確か。
そういうものだもの。
例えば去年はお店を開けたばかりのわたしを親友のちほさんは気にかけて色々連絡くれたり、立ち寄ったりしてくれたけど、わたしがその時抱えていたものが、これまでちほとシェアできていたこととまた全然違う種類のもので、それをうまく話したり、打ち明けたりはできなかったら、必然的に距離をとるような感じになってしまったし(あ、今気まずいとかでは全然ないのだ。ただ向こうに気を遣わせていると感じる)
去年のわたしは怒涛のような新しい出会いの中であたらしいわたしの世界を培うことに追われて、その流れとこれまでの友人関係なんかがうまくかみ合わず、親友の一人であるナオミとも店を始める前の5月に、18年関わってて初めて喧嘩をしてから(珍しくわたしが一方的にキレた)まる一年連絡を取らずに今にいたって、先日6月の最後の日はナオミの誕生日だったから1年ぶりにlineをしたけど、アカウントを変えたのか、もう既読にもならなかった。
去年のわたしは何か「台風」のような感じで、
よくわからないけど巻き込まれて、その巻き込まれた感じが、当初は「魅力」と感じ、心地よかった人とかが、ふと自分のペースやモードになったときに極端にわたしを拒否するようなこともあって、
よくも悪くも去年、わたしは発光していたのだと思う。
でもわたしを嫌った人、特に最初は好意的だったけど、後からわたしを嫌いになった人(若い男の子たちだったりしたね)のこととかを掘り下げて考えていくと、新しい出会いや、人と接するのが怖くなるので、とにかく普段は前を向いて歩いているけど、でも実際、わたしが弱いからなのかもしれないけれど、人に嫌われたり、拒絶されたりすることには、わたしは割と弱い方だと思う。(だからあまり人を拒絶せず、ある意味優しいというか寛大なのかも)
なのでうちの2階は、そりゃあギャラリーにして、いろんな人が活用できるようにすべきだし、そうするつもりだけど、わたしは神経が細いので、
一つの展示が終わったら、結構心ごと困ぱいするので、
立て続けに展示を入れたりはできない。心が持たない。
1階と2階って全然違うんだよ。だけど溶け合ってないといけないの。
不思議なんだよね。こう、自分の新作がさ、思った風に出版社から出されないかもしれなくて「待ち」が続いていることとかは全然怖くなくてさ。
いや一応わたし書いたら書いただけ、びっくりするほど全部がどんどん本になった時代も経験してるからーー特にこれでいいのかも新人だからわからぬままにーー自分が書いた渾身の新作かつ傑作が出ないかもしれない時代なんて、予想の中にはあったけど「本当に来たんだ、まじか」って思うくらい、で、まあそれが8年単行本出してこなかった今の現実なんだけど、
わたし、自分の書いたものが本になるのは疑いがなくて、同時に疑いがないくらい作品を信じているので、どんな答えが来ても「また1からやるしかないし」って感じで「だってわたし本質的には小説家以外できないからさっ」って、そこではあまり神経が細らないんだけど、
身近な人との軋轢とかの方が、ずしん、とこたえる。
悩ましいよね。
店をやって、2階を貸し出ししていれば、それだけ多角的な方面から人が集まってきて、だからこそ独特の響きが生まれてイーディは楽しく、素敵な場所になる。同時にきっとわたしの「気配り」や「細やかさ」の力量は、その隅々にまで行き渡るだけの分量足りなくて、
きっとどこかで何かが、手のひらから溢れ落ちてゆくんだろう。
えっとこれはそして2階の話じゃなくて、今うまく言えないわたしの人生における全体的な悩みの話なのです。つまり先週投稿した「事件」とは無関係なのです。
なんていうか、1つ、1つ、独立した問題でも、立て続けに起きたらちょっときつい、ってあるよね。
(物語のあるお店です、だって。笑。 作 by 栞)
心痛することが続くと、こう、人に心を開くってどんな感じだったっけ、とか思ってしまう。もちろんイーディの常連みんなに心開いてるんだけど、
みんなは「お客さん」でもあってくれるわけだから、また少し回線が違うんだよ。
えっとこの女主人の一人言は、この一人言自体に存在価値があって、あまり内容に意味を持たない。先週の記事はそれを目にするありとあらゆる人のことを考えて書いた。この記事は、手帳に書くように書いている。
新作「わたしと音楽、恋と世界」は「まんま日記やん!」て感じが、読んだらするだろうけど、実際はプロとして、その物語に必要なこと以外は全部削ぎ落としてかなりソリッドに書いているから、実は全部のエピソードが綿密に計算されて配置されていて、だらだら好きに書いたもの、とはちょっと、いや全然違う。右脳的に、極めてフィーリング的に降りて来るんだけど、書き出すときには左脳で整理して裏付けも済んでるんだよな、うまく言えないけど。
お店を始める前までは「月モカ」というエッセイを毎週月曜FBの小説家ページに投稿していて、あれも毎週になるとやっぱりプロテンション発動してしまうんだけど、時々なんかすごく素直に思ったことをかける時があって、そういう時は自分も救われていた。
(↑これはそれのほんの一部ですがマガジンにしてあるの)
なんかこの「ひとかどアーカイヴ」は、もともとわたしを知ってもらうために、イーディのお客さんとかが楽しめるように書いていたし、まだみんなと出会って付き合いが浅かったので、酒場の女主人がメンヘラ的な陰気な日記を書いても、なあ、ということで(笑)基本どんなことも気持ちを整理した上で小説的、随筆的に書いて来たけど、たまにはこんな、着地点の定まっていない日記も、書いても良いのではないかと思う。
明日は七夕やから、ひとり営業だけど、浴衣を着ようと思う。
そして今日は、もう少しもりもり部屋とかを片付けるつもりだったけど、
このまま眠りに落ちて、アホみたいに寝てやろうと思う。
去年の7月は、休みの日もプライベートが慌ただしく、それは人生で初めてのことでとても楽しかったけど、静かにこういう、どうでもいいことをつらつらかける今年の休みの日も、なかなかいい。
(写真は去年の7月15日)