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月曜モカ子の私的モチーフvol.226「電話の声」 文 ナカジマモカコ

今日の表紙絵はシバタヒカリ。2016年に月モカ専属で描いてもらっていたのを使いまわしています。(第何回のやつだろう、調べてみます)
今思えばシバタヒカリちゃんが毎週新しいの描き下ろしてくれてたってすごく贅沢なことだよね。なので1回しか使わないのももったいないよねって思って今日の表紙に。

ところで週末に大変心痛する事件があって、この2日間は生きていても生きていないような心地でした。
昨夜ようやく深夜3時に就寝しぐるっと夕方4時まで眠って生き返った気持ち。流石に昨日はルネスタ2錠飲んで眠った。

ここ2年、酒場における様々な酷い事件が起きるたび、芋洗坂スナック時代を思い出してAlwaysの時は本当にまだ時代が穏やかだったなあと思う。
しこたま飲んでも「頑張って飲んだねおつかれ」って互いにそれを讃え合い、みんなでジョナサンとか麻布ラーメンに寄って帰る。酔っ払うことをママのれいこさんは絶対責めなかったしむしろ讃えてくれたけど、
今はもう「飲んでたら怖い」って感じる時代に差し掛かってきている。

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(2012年、さおりと)

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春先に実家で妹と一緒に「Stranger」というアメリカドラマを観た。
幸せな暮らしを送っている人々のところに「見知らぬ人(Stranger)」がやってきて、その人たちしか知り得ない秘密について、かつ、その人たちも知らない新たな情報を吹き込む。そのことで幸せな家庭がどんどん壊れていく。主人公は、ある日突然奥様が失踪したことで悩みそれを隠しながら暮らしているが、そこにやってきたStrangerはこう言う。

「奥様、数年前に妊娠して流産したわよね、でもあれフェイクだって知ってた? 偽妊娠。なぜなら彼女は、あなたの浮気に気づいていたから」

まあこんな感じ。聞かされた方がどうなるか、わかるよね。

これと同じことが起きて、わたしの店にもStrangerがやってきた。
姿を見せぬ、電話という形で。Strange tell.
わたしのよく知る人だった。よく知る声だった。
だから述べ1時間くらい話をした。

だけど、次の日問い詰めたら、その人じゃなかった。

吹き込まれた情報も後から調べたら事実無根だった。

非通知でかかってきているので現在特定のしようもない。

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そしてわたしはそれをもう特定する気もない。
特定をしてよいことが一つもない。
もしわたしが思った声の主だったとしたらその人はStrangerであった上に嘘つきでもあることになるし、完全なStrangerであったなら、それはそれで今後、警察とか、盗聴器チェックとか、様々な対応をせねばならない。

こういうとき、人は理屈で特定しようと思う、
もしくは理屈で押さえ込もうとする。

電話の声の主。Strangerか。わたしの思ったその人か。

その人は「電話をかけてない」と言った。
Strangerは知らない人だけどその人は近しい人。
だからその人がかけてないと言ったのだからかけてないと信じる。

だってStrangerとは関わりもないし信頼もないけど、その人とは1時間話そうと思えるくらいの関わりがある。疑心暗鬼になって躍起になって調べ上げて、ようやくその人ではなくStrangerだってわかった時にはその人との関わりそのものが壊れてしまうだろう。逆だったらそうだから。
わたしが逆の立場だったら、わたしが「かけてない」という電話を相手がずっと怪しんで調べに調べられ、3ヶ月後とかに「別人だったわごめんな」って言われてももう許せない。
(わたし、小さいでしょうか)
だから、信じる。

22歳のとき、好きなDJがいて、一緒に働いているClubにそのDJを誹謗する書き込みがあって大箱だったから大問題になって、そしてその当人のDJがわたしを疑って、わたしは犯人にされた。好きな気持ちが報われないどころか、誹謗中傷の犯人だと思われた傷は、まだ癒えていないと思います。
22歳で世間を知らず、心臓から滴った血は、わたしを長く蝕みました。
だからわたしは人を犯人扱いするのがどうしても嫌なんです。
犯人扱いした方だけが季節と一緒にケロリと忘れて、犯人にされた方は何十年経っても苦しい。

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こういう時に理屈やアリバイを言葉で語るのって、わたしにははっきり言って何の意味もなく感じる。
だって仮に「携帯知ってるから店に電話などするわけない」という理屈は「後からそう言った時に説得力があるからわざとしないような行為として店にかけた」にもできるし、その人があんな濡れ衣を着せたのに逆ギレしたりもせず、わざわざ話を聞きにきてくれたことを「逆に怪しい」ととるのか「人ができてる」とか、それすらも結局どっちにだって取れるんだし、
その理屈で相手を頷かせることができる理屈お化けの意見がその場では通るのです。

小説を書いているし戯曲も書くのでわかるのです。
筋は、整えられる。
点がいくつかあればそこを通って全く違う物語を、わたしなら最低5個は作れる。つまり電話の相手がStrangerの場合とその人の場合の2パターンくらいなら誰がどこからどう聞いても「そうかも」と思える物語を、わたしは作ることができる。だって世の中のミステリーって基本的に「その時間に電話をするはずない人物」「その人の心理的にはそうはしないはず」のところから解かれていくわけじゃない。だから「店電」だからとか「非通知だから」とかいう合理的な”点”には正直一つも意味がない。

だからわたしは「結局誰だったのか」に全く興味がない。

だけどじゃあ何に打ちひしがれているかというと、
「だったらあれは何だったんだろう」っていうこと。

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ここから先は「五感」の話なんです。
だから皆さんも「ってことはStrangerなんじゃない」「てことはその人なんじゃない」って考えは捨てて読んでもらえたら嬉しいな。

わたしはね、人の心と声に自信がある。

声を間違えることってないんです。

それからもう一つ大事なこと。これが小説家というわたしの本質に琴線として触れる部分だからわたしは打ちひしがれているんです。
わたしはどっちかっていうと合理的ストーリー組み立て型じゃなくて、人そのものを描くタイプ。人を描く時まるでその人のように憑依して描くから、合理型の小説家の人たちには大変感心されるのです、人、というものを描くという部分に関して。

そんなわたしは誰かと話している時、話の内容も後から文字起こしできるくらい正確に覚えているんだけど、言葉そのものに意味はないことを知っているから、いつも言葉の奥の気配を聴いているんです。
例えば「君のことはさして興味はないし、今後も好きになることはないけど」って言葉を起こして次の日誰かに見せたら「ほら、こう言われてるじゃんお前」て人は言葉を捉えるけど「だったら深夜に酔っ払ってかけてこないよね」とかって奥の気配を感じる。
「行動」が、本当は何より大切なんです。
人は言葉に乗せて言葉通りのことを伝えるほど、単純でもないし強くもない。だからわたしは栞が「頑張ります」と言った時「もうこれ以上頑張れない」という風に聴く。隣のまさこさんが「本当にあんたは馬鹿だね」と言うとき「危なっかしくて心配しちゃうよ」って聴く。

(↑それについて40分も喋っているくらいです「モールスとしての言葉」)

つまりわたしは「言葉と心の博士」なんです。博士号はないけど。
数学者がいつも空を見上げ月を見つめ「宇宙とこの世界の全てを数字で紐解きたい」と考えていると同じように、わたしは世界に起こる森羅万象を全て言葉と心で紐解きたいって、そのことを世界の誰よりも365日考えているんです。突然のゲリラ豪雨ですらその奥にどんなメッセージがあるのかを、わたしは日々考えている。
2022年に放つわたしの新作がそれを証明しています。
つまりわたしは人間を「喋ってる内容」とか「名前を名乗った」とかそんな表面的なもので特定しないんです。

店に常連さんの誰かが電話してくるとき。
声を聴いたらその相手が誰かだけでなくコンディションもわかります。
珍しく早いな。普段電話なんてしてこないのにな。いつもはLineなのに店電ってことは誰かお連れ様がいていますぐ入れるか知りたいんだな。
なんか間があるからこれ予約の電話じゃなくてなんかさっと打ち明けたいことがあるのかも。
例えばじゃあ仮に「店に電話などするわけない」距離の人が店に電話してくるとき、これってある意味大事件だから、わたしは普段より神経をその電話口に集中する。仮に親とか妹だったりする場合。
それが仮に非通知だったら。
誰かに追われているのかもしれないし。

わたしは耳だけじゃなくて五感を済まして、相手の話を聴いているんです。

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その深夜の電話は、内容はひどかったけど、
人間らしさに溢れる導線を携えたものでした。
今のような時代、誰しもがそのような夜を迎える可能性があり、明日自分がそうなるかもしれません。
わたしは人間ができていないから、自分がそうなる可能性——酔っ払って誰かにすがるようなこと——は十分にあると思っています。
(なので世相が厳しくなっていけば行くほど店では飲まなくなりました。女主人が全く飲まないと白けるので、うまいことやっている)

だからこそわたしは、今でもその電話を憎むことができません。
もし見知らぬStrangerが電話の正体であったとしても、そのStrangerは感情を持っていて救われたくてかけてきていて、酷いことを言ったけれど、
わたしを憎んでは、いませんでした。
つまりその声やわたしたちがした1時間の会話は、たとえ相手がStrangerであっても「見知らぬもの」ではなかった。
仮にその人がわたしの店を盗聴していて、万全の態勢で夜中に、全ての設定をくまなく作り上げて、わたしの知るその人になりすましてかけてきたとしたら。そのエネルギーと準備のぶん、その人はもう「見知らぬ人」ではない。完全になりすませるように、言葉と心の博士のわたしに微塵も疑いを持たれず1時間話し続けることができるように、その「見知らぬ人」は、わたしの身近で感情を育ててきたのです。

だからわたしはそのStrangerを特定し吊るし上げることをしたくありません。それってストーカじゃないか、そう思う人はいると思いますけど、わたしはそちら方面に関して丸腰じゃないんです。
人が思っているほど出来事に対して甘く当たって甘く解決するタイプじゃないんです。それに。
1時間の電話をもし文字起こししたとして、その奥の心の言葉はずっと一つ「今日本当に辛くて生きてて苦しくて、だから今夜自分の全部を受け止めて欲しい」というものだった。苦しさとやるせなさだけがそこにあった。
そのようなメッセージが現段階でわたしを脅かすことはないと思いますし、
同じ人物に二度なりすますことは相手がわたしである以上難しいから再犯できないと思います。つまりストーク(執拗につきまとうこと)は、できないんです。同時に重複しますが一般的ストークに対してわたしは基本的には万全の準備をしています。

電話の声。
電話の声に罪はなく、わたしたちの身に起こったことにも今回「敵」はいませんでした。誰かに傷つけられた人がその傷を自身で消化できずに、被害者が加害者になってしまい玉突き事故が起きたのです。
とてもやるせない事件。

ここからはわたしの問題です。

わたしは声と言葉と心の博士なのに、
今も相手が誰だったか、わからない。
ってことになる。

わたしが——人間博士のわたしが、
知らない人と、1時間も話して、その人が他人だということに気づかなかったなんて。 Lineとかのなりすましでもすぐに気づくのに。

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加えて言うと、あの日は新作の最後の調整の最中で、わたしは執筆に燃えていて、深酒をしていませんでした。
全ての恋愛よりも小説家業を優先して生きてきたんです2019年の6月まで。そして酷い失恋をしたけど再び筆を握って、ようやく作品が完成したんです。そしてすっごく素敵な装画家の提案を壷井さんから受け、その人に依頼するために完全原稿を凄まじい勢いで整えていたんです、あの日。

小説家中島桃果子に誓って、あの日わたしはシラフでした。
「もう今日は飲んじゃえ〜♩」って日じゃなかったんです。

わたしはあの夜、あんなに「ちゃんと」していたのに。
泥酔してかけてきた声の相手を、間違えた。

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正直わたしはいま、事件とか事件の内容とかがクソどうでもいい。
まじでどうでもいい。

わたしの五感、わたしの培ってきた、言葉の博士としてのこれまで。
それが根幹から崩れてる。

声を聴き間違うなんて。
そのことに気づかすに1時間近く話したなんて。
電話は切っても切ってもかかってきて、相手を確認し直すチャンスは何度もあったのに。

すごく、怖いことだよね。
でも同時に、自分のことを過信するのはいけないだって思った。
「わたしは相手の声を絶対聴き間違えない」っていう確信を手放そう。

これまでこれは、わたしにとってとても誇れる特技でした。

だけどさ人は。

Something happen  ,  Change something.

何かが起これば何かが変わる。

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時代がどんどん大変になってきて、誰もが誰かを他意なく傷つけてしまうことが増えています。みんながある意味何かによって「傷つけられている」し「傷ついている」ので、傷つけられている意識のまま誰かを傷つけてしまうんです。

だからこそ今、自分の身に起こる出来事全てに気高い対応を、したい。

気高い対応をしましょう、なんて言わない。呼びかけない。

ただ、わたしはそうしたい。

だからこれを読んでくれたみなさんに伝えたいことがあるとするなら、
「それってやっぱりその知人じゃない?」って、思ったり考えたりするのは思考と感情なので止められないのですけど、
わたしに考えを改めるようには提案しないでもらえたら。

わたしを知る人は「モカコなら絶対間違えないでしょ」って言うと思う。
でも、もしかしたらわたしの脳や思考に何かしらのエラーが生まれ始めていて、あとから振り返った時に「あそこから症状が始まっていたんだね」ってなることだってあると思うの。世の中に絶対はないから。

あと「冤罪」を間違うという罪は、世の中で最も恐ろしい、犯罪よりも怖い罪です。その大概が「絶対あの人」とか「絶対そう」とかっていう個人の主観、つまり思い込みから生まれる。思い込みが人の人生を平気で台無しにする。わたしは人間のそういう思い込みが、先に記したように犯人とされ吊るし上げられた過去があるので、一番恐ろしいと常に思ってる。
今でも元同僚の幾人かがわたしを「恋愛におかしくなったら誹謗中傷の書き込みとかをするやつ」だと思っているのです。
もう拭えないんです。誰がそう思っているかもわからないから。
酷い話なんだよ、冤罪って。

だからこそ「声を間違わない」って思い込んだ自分を恐ろしいと思った。
わたしはその人に、確認もせず断定して、怒鳴り込みに行ったのだから。

今の時代「相手の非」を100信じるってことがもたらす事件の方が恐ろしい。だったら自分の「非」について深く考えそれを正し、

人に対して気高くあたりたい。
言葉をつくして。思いをつくして。人間を愛するように。

難しいけど。トライしていく。

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 長くなりました。
わたしの傷を癒すための月モカです。
お付き合いくださった全ての方に感謝します。 

なお、親しい友人へ。この件について心配して聞いてくれてもこれ以上何も語れないことをお許しください。冒頭に述べたようにわたし以外の人間の名前や生活が関わっており、語ることはその人たち全てを傷つけることとなります。ごめんね。静かに見守って。

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                                 <モチーフvol.226「電話の声」2021.11.29>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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