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月モカ!!vol.263「肝臓は感情も咀嚼する」

月モカを愛読くださっている皆さん、ここひと月半ほど更新が滞りましてごめんなさい。端的になぜ更新できなかったのかということをサクッと説明すると、3月の末に肺炎になり→その後自宅療養をしながら新作小説を1本書き→ようやく日常生活に復帰しようかというところで大切な友人を亡くしてしまい→色んな日常がうまくこなせなくなり→そのままGWに突入して、
今日に至るわけなのです。

ここ10日ほど、全然うまく眠れず、ルネスタという眠剤を投入してもしまいに眠れなくなり、起きている時間もぼんやりしてしまって、なのに寝たい時には眠れないという地獄のような時間を過ごしてわかったのは「肝臓は感情も咀嚼するのだ」ということ。

その地獄の最中に納品された「がんこエッセイ」

このエッセイにも少し書いたが、ここ数年になかったような見境のない飲み方をして潰れた翌日から肝臓には多大に負担がかかっているのがわかっていたので酒は控えていた。しかし眠れないことによるルネスタ(眠剤)の投入をしていた上、多忙と体調不良によりサウナや半身浴をしていなかったので、また西洋薬を毒出しする時間がない。
ルネスタを飲みたくないが、栞珈琲の神保町進出におけるDMおよびメニューのディレクション作業や、近所の花屋さんから依頼されたポエムキャッチのお仕事など、神経を研ぎすます必要のある仕事が立て込んでいたので、強制的に少しは寝なくてはいけない。


そもそも10時間とか12時間とか寝るロングスリーパーの自分にとって2時間とか3時間の細切れ睡眠は拷問に近く、なんとかまとめて寝たいと思ってルネスタを飲むが、もう飲みすぎて効きにくくなってきた上、
副作用で起きていても気怠さが残るので、なんとかルネスタをやめることから始めることにした。

栞珈琲 at PASSAGE Bis!(神保町)のひとコマ。

そのあたりから体に本格的な蕁麻疹ではないが蕁麻疹みたいなものが出るようになって(ルネスタの飲みすぎか!?)と調べたのだがルネスタの副作用にそれはなくって、色々調べた結果「肝臓」に負担がかかりすぎている時の症状であることがわかった。わたしは体調を崩すと必ず「症状(スペース)スピリチュアル」で検索して、心的な要因なども探るのだが、なんと!

肝臓を悪くしているあなたは「感情を感じすぎていることに疲れています」と書かれていた!

感情を感じすぎている!まさにそれ!

普通の仕事、接客とかってこちらが決めれば心の扉をピシャッと閉めて営業時間くらいは違うチャンネルで仕事ができるものです。

だけど執筆ってそうはいかない。
ただでさえ久しぶりに感情を全力で揺さぶって新作を書いて
(つまりこれは「宵巴里」を書いた時とはアプローチが全然違うんだ)
その後、突然友人が死んでしまったのに、
わたしには「がんこエッセイ」の締め切りとポエムキャッチの仕事があった。そしてその合間にも彼の死と自身の人生について、沸き上がってくる感情と向き合い続けていた。世界線について。ある人がいる世界線といない世界線について。半年前にも大事な弟分、家族の一人みたいだったアイツを亡くして、その傷が癒えてないままこれが起きたからなのか、ともかく単体なのか累計なのかはわからないけれど、自分が思っている以上に魂と心が損傷してしまい、息もうまくできない。
けれど書き手としてはプロだからいたって冷静にそれらやそれらと無関係なものを言葉に落とし込んで納品している。

わたしのようなタイプの作家は執筆の時も感情的に仕事をしていると思われがちなのだけど、実は作家に必要なセンスというか才能というかがあるとするならそれは実は「客観性」だと思う。つまり実のところは「自分の感情」と「その作品に必要な感情」は切り分けて仕事をしている。
わたしはおそらくその能力がすこぶる高いと思う。なので私小説を書いていて、作品としての言葉と、自分の中の叫び(完全プライベートなもの)が仮に混ざって羅列されていても水色と桃色のようにはっきり区別できる。
なので作中にプライベートの方(仮に桃色)が混ざっていたらそれを取り除くとか、水色に転換するとか、そうやって作品を整えていく。

けれど逆に言うとこの「切り分ける」作業こそ身を引きちぎられるように辛い。まだまだもう少し時間をかけてから書きたいことも、明日の納期までに書かなくてはならない。別のモチーフを書いても良かったが、どうもしらこいというか、あまりにもタテマエすぎるエッセイになりそうでやめた。

つまりわたしはまさしく「感情的」ではなく「感情を感じすぎる」状況で生活をしていたわけなのだ。

いやあ、そうなんだな、肝臓は、感情も咀嚼するのか。
だとしたら肝臓は当然キャパオーバーなわけだわ。

(わかった、とりあえず感情をそこに放り込むのをしばらくやめるよ)

体に語りかけると体が(やっとわかってくれた……😭)ってなってふっと緩んだのがわかった。本当に不思議なことだがそれで蕁麻疹は、おさまった。
(もちろん肝臓が原因とわかった日からルネスタをやめ、しじみの味噌汁を飲み、半身浴もして解毒はしているが)

そんな時に衝動買いした江國さんの本が2冊とも「死」と「世界線」にまつわる物語である奇蹟。

感情を「感じることにするタイミング」を自分で選んで、ハッチを調整するってことも必要なんだなと初めてわかった。
その後、ルネスタを飲んでないから眠れなくてなのに副作用の気怠さだけが残るという地獄の極みみたいな木曜金曜があって、しかしそこを頑張って堪えたので金曜夜と昨夜と、久しぶりに12時間ぐるっと(半分で起きるが)眠れてだいぶ回復、今もまだ眠いからこれを書き終えたら少しまた寝ようと思うが、こうして月モカを書けるくらいまで回復した。

そうそうわたしはいま、商業作家に戻ろうと思っています。

商業作家というのは作風のことではなくって「作家業で食べていける人」の意味です。それでわたしは今、市場価値が0円に失墜しているので、普通には仕事がないので、必然的にまた作品を賞に出すことから始めることになります。冒頭で書いた新作小説というのはつまり依頼があって書いた新作じゃなくて賞に出す新作です。今でもわたしは、なぜこれだけ今までいい作品を刊行してきた自分が、14年もプロやってる自分が「新人賞」などを獲らないと再び本が出せないのか、ってことには全然いい気分も納得もしていないし、
しかもほとんどの賞がそうとは書いていないけど「一回デビューして売れなかった人お断り」「他の賞で落とされたやつ送ってこないで」みたいな感じになってる感じも、わかるけどあからさまじゃない?って思うし、
すでにあるわたしの名作「わたしと音楽、恋と世界」とかも完全に行き場がないわけで(太宰の1次で落とされた)、そういう仕様にも納得いってない

(だってどこかの下読みのたった1人の誰かのジャッジが、名作を宇宙の塵にしてる可能性があるんだよ、それをこんな連帯して弾いたらそのリスクは高まるじゃない、その下読みの人間が先月出版社に入社したばかりの、先々月までは本を10冊くらいしか読んだこともない人間だったらその10冊とまるで違うものは小説じゃないとか思って勝手に弾くかもわからないし、逆に出版界に長くいすぎて当たる小説はこれみたいな思い込みでしか小説を読めなくなってる化石みたいな人に当たってもわたしの小説とかは絶対落とされるわけで、なので下読みの人についても経歴や名前も全員公開して、こちらから下読みの人間を第3希望くらいまで指定できるようにしてほしい)し、そもそも審査員は著者が多いけど下読みは編集者たちがする?のも、なんかどうなの?と思うし、著者と編集者は全然考えやつくりが違うから、だったら下読みにも本審査にも同じ割合で入れてほしい、とか色々思うわけだけども、

それらすらも、なんかもう、どうでもよくなってきたんです。

どうでもよくっていうのはそういう理不尽にストライキしてじゃあメジャーでは書かないよ、二度とね!  みたいな奮起をすることに対して。

2023年の雪解け。

今のわたしの気持ちというのは映画「リトルダンサー」で息子のために、
父親が、仲間に非難されながらストライキをやめ、働きにいった、あの時の気持ち。

いま自分にとって店は人生そのもので、関わってくれている仲間たちの人生もそこに乗っている。そして飲食店、特に夜の酒場は氷河期で、このままだと店が閉まってしまう。だったら働きに行こう、わたしという作家とその作品を理解しない人間——つまりわたしにとっても人生において交わることがない人間——にどう思われようと、マジでどうでもいい。店が続くのなら。
賞金目当てに作品を書くことを表現者らしからぬ、とか思われてもどうでもいい。だって今わたしはお金のために書いている。
お金のためじゃなかったら賞には応募しない。だって本はもう自分でも素敵に作ることができるから。

Passage bis! ギュスターヴ・クールベ通り二番地にて。

それにそれに。
4月にたった1週間ほどで書き上げた新作が、もう自分でかつてないほど「いい感じ」に書けたのです。本当に2023最高傑作。
あの作品を書き上げることができた今、自分の中の達成感がありすぎて、もう他人の評価を必要としない、なので逆に他の作品では商業の奴隷になってもいいよって感じの気分です。あの作品が下読みで弾かれてもわたしは一言一句直さないし、落ち込むこともないでしょう。

と、言いつつ縁起の良さそうな写真を貼っておこう。笑
これはケイトブランシェットが「ブルージャスミン」でオスカーを獲った時のもので、
この時彼女は44歳、今のわたしと同い年なのだ!

そんなわけでわたしは今後毎月「公募ガイド」を眺めて賞金の高いものか、自分がシンパシーある審査員がやっている賞かにコツコツ応募し続けていこうと思います。お金のためにやってることだけど、本屋さんに並ぶような本が出せたらそれは作家的にもいいことだし、長く応援してくれている月モカ読者のみなさんにも、何かしらをお返しできることになるのかなと思っています。基本的に賞に出す全ての物語は「初出」でないといけないので、
うっかり月モカなどに執筆メモしちゃうとそこの表現が後から使えなくなる場合があるので、しばらくエッセイと小説の間みたいな記事は書けないかもしれんが、まあでも、そしたらその時に何かまた新しい表現を模索すればいっか。(優先順位的に月モカの方が大事なので、賞のために月モカでの表現は狭まるのは違うと今思った)。

そんなわけで必然的に2023年より中島桃果子は多作となります!
それが全部下読みで落とされても、最終的には自分で本にすればいいと思っているので、刊行される年が数年変わるだけだと皆様思って、楽しみにお待ちください!

今は亡き友人の長寿を祈る。「よみせ通り、5月3日」
座標を残しておけばどこかでpostertyに繋がり、
TENET的に過去が変わるかもしれないからね。

月モカvol.263「肝臓は感情も咀嚼する」
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


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中島 桃果子 / Mocako  Nakajima
長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!