月モカ!!vol.289「令和の林芙美子になりそびれ”令和に中島桃果子あり”でゆく」
まずは昨日「X」に投稿した記事をこちらに引用いたします。
エックスには1分ほどの朗読動画(youtubeの抜粋)を一緒に載せたのですがこちらにはライブ配信を丸ごと載せておきます。朗読は最初と最後だけで、あとは林芙美子文学賞に応募した経緯や、落選を踏まえた今後の展望などを語っています。
(↑あれ?なんだかサムネイルが表示されないスタイルになったかな? でもご安心ください、そのサムネイルが今日の記事のカバー写真です笑)
月モカをずっと読んでくださっている方は、前回のK192の落選に比べて、さしたるショックを受けてないわたしの感じが映像からもわかると思います。
まあこれは気持ちのことなんで正直理由とかは全然わからないのですけど、
本当に全くショックじゃなかったんですよね。理由は全然わからないんだけど、わたしとしてはこの「落選」がなぜか「中島桃果子アングラ期終了のベル」であり、この「落選」がなぜか、舞台袖にスタンバイするタイミングのお知らせであり、自分はようやく楽屋から出ることを許された感じで、むしろ嬉しかったんですね。
(書いていてもこの自分の気持ちがなんでそうなのか全くもってわからないので読んでいる人に理解は求めません)
でもそれはこの一連の動画と関係があると思ってる。
多分なんだけれどもわたしにとっては「令和放浪記」の落選よりも、
この10年わたしを翻弄し続けた「生き死ぬるもの双方へ光を与えよ」という言葉について1つの大きな着地が見えたことが嬉しかったんだと思います。
そしてその場面で大統領がトランプに変わったわけでありますが、
えっと今日は政治的な視点は完全ゼロにして言うと、個人的にはこのバイデン政権下の4年間の自身の人生というものが身に積まされる修行の数々という感じで、すっごく大変だった、あんなに大手出版社から本が出せていたわたしが出版以前に、新作を出せども出せども賞の1次で弾かれるということを繰り返したのもこの4年でありますんで、ごくごく感覚的な視点で(ああこれで世界が逆巻きになってくれるなら何か希望を持てるかもしれない)というあけぼのを感じたというのもあります。
何度も言いますけどこれは政治的なお話ではなく暮らしや人生が行き詰まってこれがずっと続くのかと思うと死にたくなるというような時に「いっそノストラダムスの予言が当たればいいのに」と思う感覚に似ているのだと思います。直木三十五が大正大震災の時に、家などが壊れてしまうにも関わらず「やった!これで借金が棒引きだ!」と嬉々として三上於菟吉のところで飛んできたみたいな混沌に近いです。
と同時に今回の政権交代に関してわたしは政治的な観点からも意見は持っているのでそれはまた違う主題の時にお伝えしたいなと思っています。
それで月モカですでに動画で話したことを重複して書いても意味ないので、
最新の気持ちを書こうと思うのですが、10年かけてようやく自分はこの10年で自身が追いかけてきた真実や集めてきた情報などを咀嚼し発信できる段になったと感じましたので、それを自分は自分にとって拓かれていると感じているプラットフォームで発信していこうと思います。
内容は「中庸モカコの”ちょっと考えてみて”」みたいな感じで(これ今本当に思いついて書いただけだから変わるかも)、おそらく「小説家のモカ」のYoutubeチャンネルに新しいシリーズを立ち上げて「話す」スタイルのコンテンツになるかなと思っています。
なぜYoutubeなのかというとこれは今後トランプさんが就任すればトランプさん曰く「センサーシップ(言論統制)」が行われないようにテコ入れされるメディアなので、というのが理由です。
以下、わたしが行いたいと思っていることは「単なる実験」ですので、
フラットに話を聞いてもらいたいのですが、世界には「側」というものが必ず存在しています。我々日本は「西側」に入るのでウクライナ戦争にもイスラエルのことにも「西側的な」対応をしています。
それで今までの4年はそのアメリカの中でも左側と言われる民主党が政権を握っていて、戦後アメリカの属国であり続ける日本のメディアの全てはここ数年”アメリカ左”に寄った報道をしてきました。
(それに関してはあまりに酷かったので昨日Xで呟きました)
で、とにかく今政治的なことではなく世界の色分けの話をしたい、
日本の中の色分けとわたし個人の人生の話をしたいのだけど、
わたしはテレビと出版は、大きく分けた時には同じだと思っており、
それは今わたしがあまり信頼していないメディアであります。
(なぜならめっちゃアメリカの左に偏ってるから/特にテレビ)
このnoteは非常に使いやすいプラットフォームで気に入っているけど、
この背後には文藝春秋社があり、やっぱり出版界に繋がっていくものであるわけです。で、これまでわたしは「作品至上主義」のスタイルをとっていて、素晴らしい作品はどんな政治もすり抜けていく、ということを信じてきたのですが、最近ふと「果たしてそれもどうなんだろう」と思い始めました。それはテイラースイフトの今年のグラミー持ち上げられすぎ案件とか、まあ色々あるんですが(自分はテイラーのファンであるし新しいアルバムは素晴らしい)、まあ他にも色々あって、単純に言うとわたしは記憶に残る限り2015年までは出版界に重宝されていたけど2020年からは手のひら返しをされていて、ずっと自分は4年間作品を書かなかったんだもの当然だよなと思ってきたんですが、それでもデビュー版元の担当編集者が、
わたしが送ったメールに返事も返さない、作品を読むことすらしなくなったことや、同じような対応がどこの大手出版社からも一様にされたことに関しては流石に妙というか、なんていうか「4年間書かなかったから出版しないことと、存在自体を無視することは別の案件ではないか」と思ったり、
している。
この案件は4年間の絶筆という空白があるので検証しにくいのだけど、
2015年に受けた仕事の頓挫など(最終回まで納品した作品の連載が2話で突然止まった。しかしわたし以外の人の連載は滞りなく掲載され続けた)、
奇妙な点も多かったなあと思ったりしていて、それでわたしは自身が「干された」というよりはそもそもデビューから2015年までの数年が何かテイラーじゃないけど「持ち上げられすぎていたんじゃないのか」という説も考え始めたわけなんであります。よく考えたらあんなに仕事が次から次へときて、
何もかもが出版されたのも妙やったよなあとか、時代の流れにたまたま「乗って」いたのかもしれないけど、じゃあその時代の「流れ」を作っている人はその背後にいるんではないのかとか、同じくらいの才能の場合はその時主導権を持っている人の色側が選択されるのではないかとか、つまりはわたしが恵まれていた時代にも同じだけの才能があったが泥水を飲まされた人もいたのだろう、など考えまして、
つまり色分けすると「出版」という一つの池でまず4年とても持ち上げられ重宝され、その後4年はいないように扱われ、賞に出した3作品が全部下読みで落ちた、ということを踏まえての自身の次の一手が
「よし次はもっといい小説を書いて・・・」
みたいなことは違うんでないか、1つの池で価値が高まり下落した、
その背後に何がいるかは検証してもわたしの人生に意味はなくて、では1からまた自身の価値を開拓する、その場合は多分「新天地で0から挑戦した方がいい」そういうふうに思った次第なんですね。
それで純粋に自身が信頼していないプラットフォーム、テレビや新聞、
facebook(毎日恐ろしい量のスパムが届いて終わってる)、ではなく、
未来があるのではないかと思うプラットフォームで発信をし続けたらどうなるのかを、実験してみたいなと思っています。
「中庸モカコの…」と言ってるくらいなので大きな主語で何かを括るつもりは全くなく、出版だって一枚岩じゃない、SNSだって仮にnote記事がXで拡散されることもあるのでプラットフォームだけの問題ではないし、
本当に素晴らしい発信者は最終的にはそこはシームレスに行き来して皆の心を掴んでいるので、これは単なるテストという感じだね。
お店でも1つのことを1年くらいコツコツやってみて、漠然とだけど背景にこういう理由があってこういう結果が出てるのかなと思った時に、
その逆張りのことをしてみないと「別にそれが理由でもなかったな」とかはわからない。なのでこれまでの4年は書いたら賞に出して、書いたら賞に出して、と、同じ池に向かってずっとアプローチしてきてそれらは惨敗だったので、次もそこに投げるかと言われたらそうじゃないかなという話でございます。「自身が今最も大切にしていること」が向こうにとってはそうではない(から下読みで落ちる/ もう何作も出版してるから技術の問題ではないので)としたらちょっとやそっと寄せたところで、それが向こうの求めているものにハマることってまずないだろうと思うんだよね。
作品でたとえると難解ですが、お店でいうとわたしは「常連や付き合い長い人を大切にしたい主義」なので「どんどん入れ替わってくれていい!新規、新規で回転していこう」っていう考えの店と絶対合わないし、おそらくこちらが面談受ける側になると落とされる。そういうことなのかなと。
まあそんな感じなので今後は自身の考えなんかを
——中庸でありつづけるというスタンスの発信なんで偏らないですが——
はっきり発言してゆこうと思うので、なんかわたしの雰囲気が変わったなと感じて距離を取りたい人も出てくるかもしれないけど、
それは仕方ない、このままぬるぬるいくよりは開拓すべきことを開拓したいと思っているので、ちょっとわたしのことが無理かなと思ったら離れてもらって大丈夫です。その選択を応援するのが中庸であり真の自由主義だと思うので。そんな感じでここから令和の中島桃果子の第3幕が開くわけなのです。皆様今後もお楽しみに。
今振り返ったら1年前も自分を幕で区切っていたので、
今回も最新版幕切りを掲載して終わろうと思います。
<月モカ!!vol.289「令和の林芙美子になりそびれ”令和に中島桃果子あり”でゆく」>
✴︎ ✴︎ ✴︎
☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。☆このページを通じて繋がってくださっているあなた! あなたの「いいね!」はわたしの励みになっています、いつもありがとう。