【時雨こぼれ話③】 三上於菟吉という男<1>
おそらく男の人ってみんな「三上於菟吉」みたいな人に憧れるふしがあるとわたしは思う。俳優でいうと勝新太郎みたいな人。傍にいて当事者になるのは面倒でごめんだけど、そんな風に無茶苦茶に生きている男って憧れる、そんな感じ。今は作家でもまともな社会人でもあるような人が増えて、締切日に失踪して女と寝ているような作家って、おそらくあまりいないのではないか。笑。しかし文豪って言うと今でも太宰とかみたいに、酒やアブサンに溺れて人間失格な日々を送りながら名作を遺した、みたいなイメージがある。
わたしが連載中に、度々編集長に「それではあまりに三上さんがかわいそう」と言われたりしながらも、女性目線の筆を緩めなかった理由として、
男性が綴る長谷川時雨像が、あまりに男性の都合のいい視点で女神化されているということに関して「これはいかん」と思ったからであって、
わたし自身はとてつもなく三上さんのような男が好きなタイプであるし(今は違うかな、苦労するから。笑)
その魅力は言っていていただかなくても強く感じているのである。同時に男性には女性が本当はどう思っているかを「ドリイム」から抜けて見つめ直して欲しかったのだ。
現に第2回の改稿にあたり編集長とお会いして話し合った際、編集長が、
「時雨さんは作家三上於菟吉を世に出すことに尽力していたのだから、浮気の一つや二つをされてもそれでまた色っぽい作品を書いて売れてくれたら、逆に誇らしかったんではないか」
と言ったので思わずわたしは「は!?」と言ってしまった。笑。
「編集長、そんな女は世界のどこにもいません」わたしは言った。
(編集長はとても素直で素敵方なので反論するのではなく「ソウデスカ・・・これは失礼いたしました」とおっしゃっていた。笑)
役者や作家とか、破綻しているけど才能のある男の人に寄り添っている女の人をわたしも身近に知っている。でも誰も浮気されて喜んではいない。
結果、逆説的に「お前ここまでしといてしょーもない作品書いたら許さなんぞ」という意味で飲み込んでいるのであって、それが結果的な落とし所なのであって、浮気を名作が生まれるステップとして嬉しく思っている女は世界にどこにもいないのである。
「女人芸術」を始める際、最初に声をかけた女史の一人に、作家であり婦人運動家の神近市子という女性がいる。この女性にまつわる物語というのは一つの歴史なので「時雨美人伝」では割愛したのだが、大正時代に「自由恋愛」というのが流行ってことがあって、男1人に女3人とか、そういう恋愛を試みるという、意味のわからぬ時代があった。大杉栄という50代〜60代くらいの人なら誰でも知っているような関東大震災のどさくさに紛れて殺されてしまった有名なアナキストがいるのだが(歴史では「甘粕事件」として習う)、この男の人は自由恋愛論者で、妻みたいなのもいながらこの神近市子さんを愛人としていた。
神近さんも時雨さんが嫌う、野暮で執念深い雰囲気のタイプ、神近さんはずっと金銭的支援を大杉栄にしていたのだが、大杉栄が伊藤野枝にひどく心を奪われて新しい愛人として溺愛し、おそらく神近市子からしたら自分はただの金づるみたいに思う時があったのだろう(もしくはそれまで貢いできたことへの反動か)、とにかく大杉栄を刺して(激しい!)しまい、その後2年間服役していた過去がある。
「女人芸術」が創刊されたのはそういった事件から10年以上も経っていた頃で、当然そういう人にももちろん筆を握ってもらいたい時雨さんだったのであるが最初に時雨さんが神近さんに挨拶に来た時、神近さんはこう言った。
「お宅の三上さんは、年中、待合(まちあい)だそうですが、なんとかそんなことやめてしまえんもんですか」
待合とは仕出し付き簡易宿泊施設のようなもの。または宿泊可能な個室付き料亭といえばよいか。そこに芸妓や女給(ホステス)に呼ぶこともできるし、アフターみたいな形で女給を連れ込みそこで泊まることもできるし、言葉を恐れず言えば、賄い付きラブホテルみたいなもんである。
その時、時雨さんは顔つきを改めて答えた。
「三上氏はあのやり方でなくっては書けないのです。私は、あの人はあれでいいと思います」
この時の時雨さんの気持ち。わたしには手に取るようにわかる。
まず神近さんに対する苛立ち。あなたも恋愛で男を刺したくらいの女なんだからわたしがそれを喜んで許しているわけじゃないことくらいわかるでしょ、という気持ち。またそれをわざわざ口にする野暮さにもムカつく。
(また同時に神近市子さんだって貫いている彼女のライフスタイルというのがきっとあって、執筆を引き受けるにあたり、一言も言及せずスルーするのは主義に反したのだろう)
そして自分がこういうことを言われてしまう状況を作っている夫に対する、ふがいなさ。だからこそ時雨さんは、ああ言ったのである。
しかし男性陣は結構その言葉を真に受けて「妻の鑑だ」という風にこの台詞を絶賛している人が多かったので、やっぱり男性は、なかなか言葉の裏を理解はしてくれないんだなあ、と、愛らしい意味で単細胞というか、なるほど、と思ったというか、そういうところがあって、笑
わたしは、時雨さんチャキチャキの江戸っ子だけど、
この台詞は結構「京都風よ?」と思って、
男性と女性の受け取りの違いが面白いなあと思った。
もちろん嘘、じゃないんです。もはや諦めも兼ねて「それでいい」と思っているんです。それでいい、と決めたのは自分だから、いちいちそのことを咎める気もないのです。ただ「奨励はしていない」笑。
そんな男と女の視点の違いを、女性作家が書く以上拾っていきたい「時雨美人伝」だったので、連載中は時雨さん寄りの視点も多く入れた本編ですが、
この「こぼれ話」では、じゃあ実際三上於菟吉ってどんな男の人だったのか、どんな逸話があるのか、そんなところを踏まえて、綴っていきたいと思う。本編(時雨美人伝)で、夫婦としての圧倒的な絆をかみしめた読者には目を疑うような事実も出てくるかもしれないけれど、
わたしは男性に「ドリイム」から抜けてほしいと、三上さんに辛口連載をした以上は、女性にも「ドリイム」から抜けて、それでも男性を愛し、理解してほしいという意味で、鮮烈な事実を記していきたいと思う。
次回紹介するのは、三上さんの専属の編集者の手記からの抜粋なので、かなり男たちの物語となる。リアルで信ぴょう性が高く、あまり脚色もされていない手記である。お楽しみに!!
三上於菟吉という男<2>へ続く!!