やっぱり飲み会は嫌い
「疲れた」の一言に尽きる飲み会だった。
じゃあ行かなければいいじゃん、と過去のわたしは言うだろう。
何故いくのか?と言われると、社会性を身につけないとまずいと常に思っているからである。
だがやはり苦手は苦手。
何がこんなに飲み会を苦手にするのだろうか。
フラッシュバックしては消えたくなる今の状態で自己分析をしてみる。
①まず、酒が好きではない。
酔うと上機嫌になるから、とか言うけど気持ち悪くなるだけだし肌荒れするし、正直なんのメリットも感じない。
日頃から進んで飲む方でもない。
ジュースの方が好きだし、なんなら水の方が好きである。
酔わなくても場の雰囲気に合わせて酔ったフリはできるし、酒を飲んだら即就寝。
一日何もできなくなる。まあ、飲まなくても何もしないんだけどね
基本的に今はアルハラが、とか言われるから強制されないという点で気は楽なのかもしれないが…
②いろいろなことを説明するのが面倒くさい
例えば、「お酒飲まないの?なんで飲まないの?」と聞かれるとする。
ここで、”お酒好きじゃないんで。”と答えたら「なんで飲み会来るの?」と思われるかもしれない。
飲めない経緯をいろいろ捏ねくり回して説明するのも面倒だから、「明日予定があって…」と言うと「普段は飲むの?飲めそうだけどなぁ」といった具合で話が進んでいく。
「そういう時もあるよねー」くらいで流してほしいものだ。
”面倒くさい”と思うわたしが面倒臭いのだろうか。
③コミュ障であり、ADHDの苦悩
話を進めていく中で、上司のお子さんの話が出てきた。
「うちの子も変わってて…」
この話出し、わたしが変わった人ってのを伝えてるのね。
まあ、言われ慣れてるけどさ。なんでそんな棘のある言い方をされなければいけないんだろうか。
「独特」だと言われる。
言われすぎてこれがマイナスのイメージを込めたものだとは思わなかったけど、なんでわざわざ面と向かって”負のレッテル”を貼り付けるの?
(ちなみに海外では独特をuniqueと言い、その人のアイデンティティと捉える方法もある。
ので、別にこの言葉に対して個人的に肯定として受け入れることは可能である。
ADHDと関係するのかはわからないが、基本的に他者に「それは嫌味や貶しを含んでいる」と言われないと気づかない。指摘されて気づいて自己嫌悪が毎度のルーティーン)
治せるなら治すよ。他人に受け入れられない言動をしているのかもしれない。
本当に自分でも嫌で嫌で仕方がなくって、一日終えて虚無モードに入ると息をするように「死にたい」と口に出してしまうくらい。
「チッ、うっせーな。反省してまーす」
みたく堂々とできる、有無を言わせぬスペックを一つでも持ち合わせていればまだ楽だったのな。
天才の個性は受け入れてくれる人がいても、凡人の個性はただの変人。
こうやって自分が異常で成長できないということをちゃんと認知し直す機会を設けるべきなのかもしれない。
④気を遣うべきポイントがズレている
気の遣い方についても、これまで飲み会を回避してきた人間からするといまいちわからない。
例えばお酌。自分の飲みたいペースで飲むのが楽なのに、立って歩いて注いで回らなければならないのは何故?
取り分けに関してもそうだ。自分なら苦手なものを皿につがれると困る。自分のペースで食べたいから放っておいてほしい。
この感覚を持ち合わせている以上、相手が望んでいないことをせかせかとやって煙たがられるのではないかと不安で仕方がない。
側から見ると、「こいつは気もつかえない上に仕事でもつかえない。」となってしまうだろうし、「ただ動かないための理由をつくって甘えているだけだ。」と言われることもわかっている。
でも個人的には、おしゃれなレストランでガストンの酒場の如くガヤガヤしている方が気になったし、食べ残しを手渡す時の申し訳なさで悲しくなっていた。
多分大半のメンバーは後者を気にしないのだろうが、わたしはお酌や取り分けがどうしても上手くできなかった。
手が震えるし、つぎ分ける時もバランスや量に対していろいろ思われているんだろうなと。
おわりに
ー向いていない事から逃げてもいいのかー
努力でどうにかなる人とそうでない人はいる。
努力ができるのも才能のうち。
10を2,3でできる人たちと10を30キャパマックスでやってもできない奴は出来ないと思うんだ。
ここに関して、「自分だけ悲劇のヒロインぶるな」というやつに傷つけられてきた。
こちとら一人シンデレラやってんのに外野が知りもせずにごちゃごちゃ言うなよ。
さぞかし人生イージーモードなんだろうなーって感じで羨ましいですわ。はいはい。
まあ、こういう言葉のナイフを投げつけてくるやつは、反対に満たされていないんだと思うよ。
そう思うようになると、自信をなくすことはそんなになくなった。
よく不幸比べをするやつがいる。
「日本に生まれていることが幸せ。紛争の起こっているところでは生きたくても生きられない」
「本当にお金も能力もない人は、そんなないものねだりもできないんだ」
…いやいや。なんで違うフィールドで比べるん?
自分より不幸な人がたくさんいることがあんたらの言う幸せなんか?
好き勝手に”自分より下”を作って安心した気でいるのか?
俺ら自身は全くもって救われないし報われないぞ?
闘えるフィールドを外に、より多く作ることが成長だと言うのなら、もうわたしが満たされることは一生ないのだろうか。
向いていないことは多分永遠に不向きなままだと気づいてしまった以上、向上心のないばかとして諦めて生きていくしかないのだろう。