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「私は素敵な人だ」という視点を持って罪悪感をなくす。
真面目ないい子、そんな人が自分の幸せのために、自分の意志で行動すると出てくるもの、それは罪悪感です。
罪悪感をもっと具体的な例を持って話すと、
「本当は実家から離れたいなという気持ちがある。だけど親は何だか私がいないと寂しそうだし、1人にしたらかわいそう。だから私が側にいてあげなきゃいけないよね。それに実家を出るとお金のやりくりができるか心配だし…。」
「周りの友だちに惚気話をするなんて、何だか自分だけ抜け駆けしているような気がして嫌だ。だから不幸話や自虐話をして周りに合わせている…。」
つまり、ここでいう罪悪感は、周りに合わせないといけないのではないか?自分だけ抜け駆けして幸せになってはいけないのではないか?という感覚です。
この感覚が強すぎると、ちょっと危険な状態です。なぜかというと、罪悪感があると自分が本当は追求したい未来をを追求できなくなってしまうから。叶えたい幸せなパートナーシップ、やりがいがあって楽しい仕事、行きたい場所、自分磨きをして美しく綺麗になること、あらゆるものから遠ざかっていくのです。
なぜ私たちは、この罪悪感を持ってしまうのでしょうか?原因は1つではないと思いますが、最大の原因は育ちと昔いた環境によるものだと考えています。
例えば両親が何だかしんどそう、苦しそうな感じがすると、私だけ幸せになるのは罪な気がします。
私も実際に母親から「あんただけずるい」「わがまま言うな」「楽しいのは今だけ」などと言われて育ちました。
だから、ただ幸せになるための行動をしているだけなのに、
「こんなこと言うのわがままだよね…」
「(本当は苦しいのに)私は恵まれてる、些細な幸せがあればいいや…」
「仕事なんてしんどいもの。楽しく好きな仕事をするなんて一握りの人だけ」
という思い込みをずっと抱えていました。
また、それに加えて小中学生時代の同調圧力もありました。
元々自分の意見なんてなくて、あっても言うのが苦手で、でも友だちがいないのは嫌だからまるで金魚の糞みたいな存在になって。いてもいなくてもどっちでもいいみたいな。
かわいくもない私が目立ったらみんなに「キモい」「ブスだ」って言われるかもしれないし、言われるのが怖いから大人しくしておこう。
だからそんな私がとびきりの幸せを掴もうだなんて、無理だとかそういう次元ではなく、思ったことすらありませんでした。
私の人生なんて、平凡でしょうもないものだ。
そんな風に幼い頃からそれが当たり前だと思っていました。
しかし、高校大学と自分の人生を選択していったり、大人になってから自己受容を深めていく中で気づいたのです。
平凡でしょうもない人生も、ただ自分で選んでただけなんだな、と。
かわいくなることも選べる。自分の言いたいことも言えばいい。だけどそれは怖いから無難な方を選び続けていた、ただそれだけだったんだなと気づきました。
こんな環境だから、こんな親から生まれたから、これはただの言い訳だなと気づき、自分の愚かさに絶望しました。
そして、他人だって生き方は自分で決めている。
不幸そうだったり苦労しているように見える周りの人たちも、実は自分でその不幸や苦労を選び取っています。
だから私たちがその人たちと足並みをそろえる必要も、幸せにしてあげようと意気込む必要もないのです。
私たちにできることはただ1つ。
「私はもう素敵な人だったとしたら?」
「綺麗な人だったとしたら?」
というような、もう既に自分の理想を叶えている、なりたい人の視点に立って行動することです。
そんなのわかりっこないと思うかもしれませんが、立ち止まって、少し想像してみるだけでも、自分の今の選択肢と同じではないということはわかりますよね。
そしてあなたが理想の状態になるためには、同調圧力で繋がる仲間なんて要りません。
その人たちは私たちの人生に責任を取ってはくれません。
残念ながら嫌われてしまう可能性もありますが、あなたはそんな人たちに嫌われない方を取りますか?それとも、自分の理想を追求しますか?
…答えは明確ですよね。
とはいえ、そんな強気になれるわけないし、怖い。
そもそも自分の理想の状態すらわからない。でも人生にモヤモヤするからこのまま生きるのは何となく避けたい。何から始めたら良いかわからない。
…そんな方はまず、私の著書「自己受容×見える化の魔法」がおすすめ。
自分の理想のために行動できるようになるためには、自己受容ができていないと、望みを言っていいのかすらわからないままですし、望みがわかったとしても罪悪感で行動できません。
物事は何事も基本が大事。そんなことを書かせていただいているので、ぜひご覧くださいね。