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1人の選手を好きになり、移籍を知るまでの話

2024年12月13日午後8時。
サガン鳥栖公式からリリースが出た。
私の推しである朴一圭選手が、横浜F・マリノスに完全移籍するお知らせだ。

発表された直後は、何だか実感が湧かなくて、ふわふわした気持ちだった。
今は心に痛みを伴いながらも少し気持ちの整理ができたので、noteに一筆したためたいと思う。

いわゆる「お気持ち表明」だ。

GKの概念を変えた

朴一圭選手(以下、パギさん)に出会うまで、GKは「あまり動かない」というイメージを持っていた。

そんな私のGKに対する概念を変えたのが、パギさんだった。

私は諸事情があって2020~2022年のサガン鳥栖を見ていない。
2023年のある日、カタールW杯の影響もあってか「久しぶりに鳥栖の試合でも見るか」とDAZNをつけると、そこには衝撃の光景が広がっていた。

「GKなのに、何でそんなに前に出てるの!?」

どの試合かは忘れてしまったが、私のパギさんに対する第一印象はこれだ。
あの「動かない」GKが、ガンガン前に飛び出してボールを止めたり、味方にパスを出したりしているのだ。

そして背番号をよく見ると「71」の文字が。
ライトサポの私でも分かる。
サガン鳥栖にとって「17」は特別な数字で、彼はあえてその反対である71を背負って戦っているんだと。

この瞬間から、私はパギさんを推し始めた。
そして、時間に余裕がある日はサガン鳥栖の試合を観るようになった。

初めてユニフォームを買った

恥ずかしながら、私は今年初めてユニフォームを買った。
サガン鳥栖を応援していた頃は、決まっておさがりの17番ユニか無料配布ユニを着ていた。

そんな私が初めて自分のお金で買ったのが、71番のGKユニだった。
自宅にユニが届いたときは「うわぁ、買っちゃったよ…」と、謎に感動したのを覚えている。

母からは「そのユニ黄色やん!水色じゃなかと?」と聞かれた。
そう言われた私は誇らしげに「これはキーパーユニ!私キーパーが一番好きやけんこれ着て応援に行くよ!」と答えた。

熱を入れて応援した

母に高らかに宣言したからには、現地で応援するしかない。
そう思った私は、今までとは比べ物にならないくらい現地に行き始めた。

パギさん推しとして、特に印象に残った試合は2試合ある。

一つはアルビレックス新潟戦のPKストップ。
これは次節の北海道コンサドーレ札幌戦とセットでよく語られる。

もう一つはルヴァンカップのFC東京戦。
延長戦終了ギリギリでヒアンがゴールを決め、PK戦に突入した。

私は3階席のCサイド自由に座っていた。
この席は比較的ライトなサポも多いが、私はそんなことも構わず、着ていたパーカーを脱ぎ捨て「パギー!!頑張れー!!!」と叫んでいた。

結果はご存じのとおり、敗北に終わった。
ただ、私はこの時初めて1人の選手を熱烈に応援したのである。

「移籍しても応援する」と決意した

2024年のサガン鳥栖は、控えめに言って苦しいシーズンだった。
すぐに失点するし、すぐPKになるし、点は取れない。

3-0で負けた浦和レッズ戦。
チームに暗い雰囲気が漂うなか、1人の選手が声を上げた。
パギさんだ。

有名になったロッカールームの動画だが、私は見た時にこう思った。

「この人だけは報われてほしい」

こんなことを言うと怒られるかもしれないが、本当にそう思った。

私はサガン鳥栖というチームが好きで、選手がチームを超えることはなかった。
しかし、この瞬間にパギさんの存在がチームを超えてしまったのである。

「移籍しても応援しよう」と本気で思ったのは、アビスパ福岡戦のInsideを見た時だ。

「どんなリーグの戦いでも決勝戦じゃない。ここが一番大事なんだよ彼らにとっては」
「俺はここに来て一度も勝てていないまだアビに。めちゃくちゃ腹立たしいし悔しいし、あいつらが笑顔でプレーしているのが腹立つ。」

この動画を見て、私は泣いた。

近年のサガン鳥栖は、ライバルチームへの流出が相次いでいたため「いずれ彼も向こうに行ってしまうのではないか」という、一抹の不安を抱えていた。

しかし、パギさんは向こうに行かないどころか「あいつらが笑顔でプレーしているのが腹立つ」とまで言い切ったのだ。

ユース出身でもなければ、監督とのつながりがあったわけでもない。
にもかかわらず、ここまでサガン鳥栖のことが好きで、サポーターの気持ちを代弁してくれた選手は今までいただろうか。

この動画を機に、私は「何があってもパギさんを応援する。移籍しても。」と誓った。

移籍の話を聞いた

サガン鳥栖は奮闘むなしく、13年間守ってきたJ1の座を手放すことになった。

降格した時点で、私は「来年はパギさんいないだろうな」と思った。
でも心のどこかで「残ってくれないかな」とも思った。

しかし現実は残酷だ。
12月の頭、Yahoo!ニュースにパギさんが横浜F・マリノスに復帰する話が載った。

移籍の話を聞いて真っ先に思ったのは「マリノスなら1番快く送り出せる」ということだ。
この気持ちに嘘偽りはないし、今も変わらない。

そもそも彼のような実力者をJ2に置くわけにはいかない。
債務超過だってあるし。

そう言い聞かせて過ごしてきた。

公式からのリリースを見た

そしてついに、公式から正式にリリースが出た。

冒頭でも述べたとおり、公式発表を見た時は現実感がなく、ふわふわしていた。

とりあえず気持ちを落ち着かせるために、来シーズンの横浜F・マリノスの日程を見て行けそうな試合をスクショしたり、XのDMで仲のいいフォロワーさんと話したりした。

「明日ファン感謝祭だし、早く寝よう」

そう思って早めにベッドに入ったが、寝るのに必死だった。
結局この日は夜中に2度目が覚めた。

現実が襲いかかってきた

迎えたファン感謝祭当日。
次の日ファンミーティングが控えているとはいえ、サガン鳥栖のパギさんのユニフォームを着れるのはこれで最後。

そう思いながらも、ファン感謝祭はできるだけ楽しく過ごした。

アクリル色紙にサインをくれるパギさん、まさかの綱引きに駆り出されるパギさん、障害物競争で顔面粉まみれになるパギさん、リレーで400m走らされるパギさん、どれを見ても面白かった。

楽しい時間があっという間に過ぎ、司会の永松文太さんがこう言った。
「昨日20時にリリースを出しました、朴一圭選手からご挨拶があります。」

「これだけGKのユニフォームを着て、応援してくれるチームは日本のどこのチームを探しても、いや世界のチームを探しても、多分サガン鳥栖が一番多いんじゃないかと、僕は思っています。」
「これだけたくさんの方々に愛されて、支えてもらって、とても幸せなサガン鳥栖の4年間でした。」

パギさんの挨拶が終わった瞬間、今まで遠ざけてきた現実が一気に襲いかかってきた。
来季は違うユニフォームを着て戦い、もう駅前不動産スタジアムにはいない。

そう思った瞬間、今まで溜め込んできた感情が限界を迎え、人目をはばからず涙を流してしまった。

次の日のファンミーティングで本人に気持ちを直接伝えるときも号泣するのだが、この話は別の記事で書く予定である。

【追記】ファンミーティングのレポできました。

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