真夏の夜の散歩 厩橋②
✅厩橋(うまやばし)の歴史
橋全体に馬を連想させるレリーフなどが施されている。橋名は西岸にあった「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」にちなむ。
もともと元禄年間ごろから続いていた「御厩の渡し」のあった場所である。
✅御厩(おうまや)の渡し
「御厩河岸の渡し」とも称され、現在の厩橋付近にあった。川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に付随施設の厩があったのでこの名がついた。元禄3年(1690年)に渡しとして定められ、渡し船8艘、船頭14人、番人が4人がいたという記録が残る。渡賃は1人2文で武士は無料。1874年(明治7年)の厩橋架橋に伴い廃された。歌川広重の錦絵「浅草川首尾の松御厩河岸」にも描かれている。
1872年(明治5年)に花見客の人出でこの渡し舟が転覆する事故があった。以前から転覆事故が多く「三途の渡し」と揶揄されていたこともあり、民間の手により架橋されることとなる。 1874年(明治7年)10月6日完成。長さ511尺(約150 m)、幅20尺(約6 m)の木橋が架けられたと伝えられる。現在よりも約100 m ほど下流の位置にあった。
この橋は老朽化のために東京府によってプラットトラス形式で長さ86間(約154 m)鉄橋に架け替えられた。1893年(明治26年)5月6日に完成した。
鉄橋の建設に伴って1890年(明治23年)には現在の春日通りの建設計画が持ち上がった。当時の厩橋近辺は湿地帯で沼地が多く広い道がなかったため、本所方面から上野広小路へ、東西に直接接続しようと図ったものである。しかしながら土地買収が難航し、開通は1895年(明治28年)になってからである。後に関東大震災で被災し、その復興計画により架橋されたのが現在の橋である。
付近地下に都営地下鉄大江戸線が通っているが、厩橋の橋脚・橋台を迂回するよう、2本のシールドトンネルが凸レンズ状の曲線(曲率半径200 m)を描く線形となっており、建設時には重要構造物に対する計測を行いつつ慎重な掘削管理が行われた。
✅現在の厩橋の概要
・構造形式 3径間下路式タイドアーチ橋
橋長 151.4m
幅員 22.0m
着工 大正15年9月
竣工 昭和4年9月 (1929年)
施工主体 東京市復興局
設計 東京市土木局
橋桁制作 浅野造船所