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脳内をそのままキーボードにつないでアウトプットした感じ

(2024/4/16火)
ゆる言語学ラジオの
「絵で物事を考える「視覚思考者」にはどんな世界が見えるのか?」の回
コメント欄が面白すぎて読み込んでしまった。

動画の概要は以下の通り

世の中には、言語ではなく視覚で思考する人がいる。バリバリの言語思考者ふたりが、自分の常識を破壊する視覚思考者の世界について語ります。
【目次】
00:00 自分はマジョリティ? マイノリティ?
01:34 みんなは何を考えて生きているのか
10:20 言語化できないのは努力不足?
17:13 最近の言語化ブームに思うこと
26:43 言語化ハラスメントしてない?
37:53 どう考えるのか

YouTube概要欄より引用

本編ももちろんいつもながら興味深く聞いたのだけど
というか、こういう系は散歩中に聞くために聞かずにとっておくのに、なぜか深夜に手が滑って聴き始めてしまい、結局止められず全部聞いてしまうくらいに面白いないようだったのだけど
本編よりもコメント欄に夢中になったのは初めてのこと。

コメント欄が、めっちゃ盛り上がっている!!

「視覚思考」の人の世界の当たり前と
「言語思考」の人の世界の当たり前が
顕になっていて
お互いがお互いにびっくり仰天し合っている!!

わたしも「言語思考」の人として「視覚思考」の人のものの捉え方に
ひたすらびっくり仰天してコメントを読んでいる。

一部コメント欄から引用させていただきます。

絵を想像しながら本を読む人に対しては、イチイチ文章を絵にするの大変やろ!と思っていた
漫画のモノローグでさえ違和感があるのか!?わたしは常に脳内は独り言でいっぱい


動画の中でパーソナリティの水野さんが何度も何度も強調していたのは
「言語思考の人は賢い人と認知されがちだけど、それはたまたま言語で表現することを賢いとする世界に生まれ落ちただけ」みたいなことで、それは完全に同意するが、ただ、わたしが言語思考とはいえ別にものすごく言語化が得意というわけではない。
言葉で考えることと、それが上手にできることはまた別の話。
別にわたしは賢くはない。
大学院で謎にわざわざ論文を書いたのも、賢いとはむしろ真逆で、しっかり何かを言葉として書かないと物事を考えることができないので、ある意味しょうがなく、ともいえる。
しょうがなくめんどくせーな……と思いながらも言葉にしないと考えることができないのだ……

言語思考の人が苦手なことは
曖昧なものを曖昧なままおいておくことなんじゃないかと思う。
主語がでかいかな。
わたしは、言葉にできないものを曖昧なまま抱えれておくことがとても下手くそだ。
うまく言葉にできないものが気持ち悪いから
芯をくってない安易な言語化や借り物の言葉でその場をしのぐしかないのだ。
そうすると本来本当に考えていることとはどんどんずれていってしまって
違和感が大きくなる。

わたしが、人生の目標とかパーパスとかキャリアプランとかにしばられて苦しくなっていたのは、そういうものかと借り物の言葉を当てはめていわかんを理解しようとしていたからなのだろうと今は思う。

論文を書くことはそれが許されないことだったから、(適当に一般論を書いたり深く考えず概念的な言葉を使ったら「ここはどういう意味で書いたのですか?」と先生にめっちゃ詰められる)めっちゃくちゃめんどうくさかったけど、書き終わった後は非常にすっきりした。
論文執筆後のさわやかな感覚は以前の日記にも書いた通りだ。

いや、言語思考の人は曖昧を曖昧のまま受け入れるのが苦手なこと、と書いたけれど、もとい。
視覚思考の人も、「言語で考えねば」と思いビジュアルで考えるという選択肢がなければきっとわたしのように借り物の言葉でしのぐだろうな(その感覚はわからないので想像)。
着地は同じでもプロセスが違うのか。
それに、なんとなくビジュアルに憧れのある身としては、ビジュアルで考えることができれば言語化できないもやもやを受け入れることができるのではないかと思ったけれど、それすらも言語化前提の「言語思考」的な発想なのかもしれない。
ビジュアルで考える人も、うまくビジュアル化されないものを抱えておくのは苦手なのだろうか。

この文章だって、毎日、着地点が見つからないまま書いている。
書きながら考えている。
だから「もとい」が発生する。
脳みそに直接キーポードをつないでタイピングをしている感覚である。
言語を使うと言ってもしゃべるのは得意ではなく、チャットはやたらとはやい。
スマホでもできなくはないけどいちばん考えがはかどるのはPCのキーボードに向かう時だ。

そうはいっても、いつもは、ぎりぎり着地点に向かって書いているけど
今日はもう、ただの思考の垂れ流しをそのままおいておくことにする。
そっくりわたしの脳みそそのままを出力している感じのまま。

このビジュアル思考のはなしを友人にしたら、それって認知特性の話?と言われ
視覚優位、聴覚優位みたいなはなしをされたけど
(こういう類のやつ↓)

それとはまた違う話ではないだろうか。
認知特性は、インプットの処理の話で
今回の言語思考とビジュアル思考の話はアウトプットに向けた処理の話なのでは?どうなのだろう、ビジュアルシンカーのはなしも、認知特性のはなしも又聞き状態のまま考えているから違うのかもしれない。

と考えているうちに、なんだか友人との議論は別の方向へと言ってしまった。
残念。
(こんなふうに、話したいことがお互いに、かちっとかみわないときも、アウトプット特性の違いによるものなのか? 延々に脳内独り言が続いていく)


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