晴天が急に翳るときみたいにひかりを喪うきれいごとたち(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記10/7〜10/13)
好きな歌集から短歌を一首紹介しつつ、毎日の日記を書いています。
週のタイトルは自分で詠んだ短歌になります。
とりあえず高市早苗が首相になることだけはやめてくれ、というだけで、石破茂に何かを期待していたわけではないとはいえ、改めてすでに絶望している今日この頃です。
今週は、残業ばかりで疲れたわりには、けっこうしっかり書いた。
10月7日
『0.5の男』を見ながら、いつもは日曜日に書いている日記を1日遅れで書く。
『0.5の男』は引きこもりの兄やパラサイトシングルの自分に重ねたくなる部分もあるけれど、とはいえドラマになるのは、かつて人並み以上に働いた人間だけだということを突き付けてくるようでもある。パッケージは寄り添ってくれているようで、中身はそうでもないドラマだ。
もちろん苦情を言うつもりはないし、ドラマにならない人間の現実を無理やりドラマにして、突き付けられても、それは最後まで見るに堪えない代物だろう。
むしろそれなりに面白かったからこの日記に書いているわけだが、強いて言うなら保育園の先生とのコミュニケーションは、西野七瀬のような救いの女神ではなく、回復途上の一見何でもないようなきっかけのひとつとして描いて欲しかった。
あるいは、ある種の特別な意味を孕んだコミュニケーションだとしても、途中で相手が既婚者だと分かったり、恋人といる時間を街で見かけたりして、その意味が具体的になる前に散ったエピソードにして欲しかった。
こんな感想はあるいは世界の素数なのかもしれないけれど、この短歌は、書くことがない日に選ぶ一首だったはずなので、なんとなくいいところにハマった気がする。
8日
例によって、とくに書くことがない日は、意味を掴みづらい短歌を選ぶ。
『0.5の男』に感化されて、僕にも西野七瀬のような女神が現れないかなぁ、とかってことを考えて、熱い愛の歌を選んだ訳では断じてない。
穂村弘さんは、エッセイが大好きで、多くの共通点を感じることも、何度か書いてきたが、短歌はなぜこんな一首を詠んだのか想像もつかないことが多い。たぶん、このことも以前にも書いたし、だからこそ歌人としても好きなのだけど。
いつか「唾と唾混ぜたい?」と聞いて、車をジャッキで上げるときのために、何もない1日の仕事終わりは、とりあえずジムで筋トレする。
9日
一年前のぼくはいいことを書いている。
曰く、「善悪の基準について考える。結果論に陥いることだけは避けたいが、結果もまた重要なファクターである。そして、結果の重要性を考えるとき、既に結果論を肯定する入口に片足を突っ込んでいる。」らしい。
突然、仕事で今まで携わっていたプロジェクトとは別に、新たなプロジェクトを並行して進めていくことになって、焦っている。
「突然」はウソで、正確に言うと、「本当は1ヶ月前にはすでに動き始めているはずだった話が雲散霧消していたはずなのに、今になって」というのが正しい。
焦ってはいるものの、漢字で「絶望」と書くより、ひらがなの「ぜつぼう」の方がまだちょうどいい今のうちに、一旦弱音を吐いておこうと思う。
昼休憩中に朝井リョウの新刊『生殖記』を買った。心底、余裕がない状態にならないようしたいので、三宅香帆さんに倣ってエンタメの力を借りて、「半身で」生きていく。こういうときは、良質なエンタメを享受しなければならない。
そう言えば、この日記に何度か登場した境界知能っぽい28歳が先週で辞めた。在職2ヶ月を過ぎたくらいで、原因は仕事中に彼が頻繁にお菓子を食べたり、他の先輩スタッフの仕事の指示に何かと物言いをつけたりしたことだった。仕事の指導とフォローはするつもりだったが、働き方まではどうしようもできないし、彼がいなくなったことで指導担当だったぼくの仕事は精神的にはラクになった。その代わりに仕事の物量が増えたってことか。
「半身で」と言いつつ、今の仕事は楽しいから、2時間残業して、今日も今日とて資さんうどんでそばを食べる。残業の善し悪しに関わらず、何かしらの結果に辿り着かなければならない以上、やむを得ない。
10日
夏の間に、選ぶはずだった短歌。
疲れたし、こういう日に書くことはもうなにもない。
朝井リョウの『生殖記』、まだ読み始めたばかりだが、変な物語だ。
11日
境界知能っぽい彼とともに何度かこの日記に登場した、仕事爆速サイコパス系ナルシストは彼の退職を機により一層爆速で回転している。
一般的な能力の人間は集中すると静かになるはずだが、彼の場合は口数が増える。
今日は残業中に、なぜか神戸県知事を庇っていた。曰く、「やると決めたことはやり抜く」らしい。サイコパス同士は気が合うのだろうか。
経営者の論理で言えばそれでいいかもしれないが、政治家は違う。いや、政治家とか経営者とか関係なく、かなりヤバい人間であることは明らかだが。
3日連続の2時間残業を3日連続の資さんうどんで凌いだ。資さんうどんと言いつつ、まる天月見そばばかりを食べているわけだけど、そばだけではパワーが足りんと思い、今日はミニカツ丼をセットでつける。
途中、スマホゲームでゆっくり休憩を挟みつつ、時間をかけて完食する。30代も半ばにして、胃の衰えが甚だしい。
ぼくのまる天月見そばとミニカツ丼のセットが運ばれてきたタイミングで隣の席についた、白髪のタクシードライバーのようなおじさんは麺とミニではない丼のセットをたいらげて、ぼくの滞在時間の半分ほどの時間でさっそうと店を去っていく。情けない気持ちになったが、週末を前に抜け殻のようなぼくと違って白髪のおじさんの仕事は、きっとこの時間から忙しくなるのだろう。
自分の情けなさは忘れて、全タクシードライバーにエールを送りたい。
12日
10月20日から始まる日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』が楽しみなので、野木亜紀子脚本の過去のドラマが見たくなって、『獣になれない私たち』をイッキ見する。主人公たちには公私ともに悩みが尽きないが、なぜかこういう30代でありたい、という憧れが詰まったドラマだ。
当然だが、悩みの多い人間になりたいわけではないわけで、不思議なことだ。
リアルタイムで視聴していたころのぼくは、もっと個人主義というか、新自由主義的な思想にどっぷり浸かっていたから、このドラマも主人公の2人はもっと個人主義的に生きていいという話だと思っていた。でも、改めて見返すと、そうではないことが分かる。2人ともそんなことは分かったうえで、それでも優しい人間だから悩んでいるし、ほとんどその一点においてのみ通じ合ったのだ。当時は受け取れなかったドラマのメッセージが肌に馴染むようになって、そういう意味では多少は憧れに近づいているのかもしれない。
このドラマを観ているとやたらとビールが飲みたくなる。クラフトビールが好き、みたいなそれっぽい趣味はないが、タクラマカン斉藤がいる小洒落たお店でも探そうかしら。そもそも今年まだ2回しかアルコールを飲んでないくらい、酒を飲まないタイプの人間なので、ただなんかかっこいいというだけの理由では、なかなか楽しめなさそうだが。
13日
先週買った歌集『すべてのものは優しさをもつ』からはじめての選歌。
同ページの「髪の毛が顔にかかってかゆいので鏡を見たらなにもなかった」という短歌の方が先に気になったが、そのとなりにあった短歌の「丹下左膳」という単語がなぜか気になった。
『丹下左膳』(たんげさぜん)は、林不忘という作家の昭和初期の小説のタイトルで、その小説の主人公の剣士らしい。枕の跡がどう関係するのかは不明だ。
日中、親が自宅の庭で近所のじいさんたちとともにBBQをして酒を飲み始めたので、騒がしくて、家を出た。2日連続のジムで筋トレをしたあと、映画『Cloud クラウド』を鑑賞する。
菅田将暉の主人公らしからぬ情けない雰囲気もよかったが、そのとなりにいた奥平大兼という21歳の俳優がひときわ異彩を放っていたように思う。
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