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間違えた夢や祈りを彫刻し自家撞着にもがき輝く(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記11/06~11/11)

好きな歌集から短歌を、毎日の日記のタイトルに頂いて、一週間分の日記を書いています。たまに自分で短歌を詠むこともあります。

11/06

にんじんが鼻であることよりも気になる溶けた雪だるまのゆくえ

姪に『ねむいねむいねずみ』という絵本を読み聞かせる。

簡単にあらすじを言うと、歩き疲れたねずみがクリスマスプレゼントの袋の中にまぎれて、翌朝見知らぬ家の中で起き、飼い猫に追いかけられて、えんとつから脱出して、お腹が空いたところに、雪だるまが自分の鼻のにんじんを食べるように言って、食べてまたどこかへ歩いていく、という話。

雪だるまはねずみに自分の鼻のにんじんをすすめるとき、「自分は昼には溶けていなくなるから」というようなことを言うが、さてここで困った。 姪がなんで雪だるまが溶けていなくなってしまうのか、と納得してくれない。

まじめに「雪はあったかくなると溶けてしまうから」と返答する。「なんで?」と返される。 雪だるまが溶ける理由をうまく説明できないために、なんとも不本意な形で「今度、雪が降ったら雪だるま作ろうか」と言ってごまかした。その後、気もそぞろに最後のページを読み、本を閉じる。

おそらく、今年の冬も暖冬だろうが、少しくらいは雪が降ってくれることを祈りたい。

11/07

心は彫刻。声は写真。影は音楽。ここは未完成クラブようこそ

『未完成クラブ』カニエ・ナハ/胎動短歌3

不思議な短歌だが、面白かったので、むりやり解釈してみる。

ヨーゼフ・ボイスの提唱した社会彫刻という概念がある。「あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない」という呼びかけのことで、特に詳しいわけでもないが、まぁそういうことなのだろう。

頭の中にある無数の思考を言葉として切り出しだ声には、ある種の写真的な一面がある。とも言える。
最後の「影は音楽」はどうだろうか。よくわからないが、実存を象徴的にしたり、あるいは拡大したり、色濃くしたりするところは、影にも音楽にも通ずるのかもしれない。
まぁ未完成クラブだから、いいんです。解釈も未完成で。

サムネに釣られて見たイチローの高校球児指導の動画がグッときた。若いころの、こういう宝のような時間が人間形成の重要なきっかけになるんだろうな。 「自分に厳しく」……あくまで、自分に、がミソなんだけど。

11/08

鳥は飛びながら焼かれて人間の祈りはどこへ消えたのだらう

『G』大口玲子/歌壇11月号

歴史や時事問題にまつわる短歌はこれまでさほど多く触れてこなかった。
短歌雑誌を買うと、自分が触れてきた短歌の偏りを感じる。

『新しい戦前』を読了した。内田樹先生も白井聡先生も個人的にかなり共感できるし、言葉にできないもやもやしていることを言葉にしてくれる。
さて、あとがきから内田先生による白井先生評の一節を引用して、信頼できる人について考えたい。

白井さんは、「人として」を優先する。口より先に手が出るタイプである。「なんだかわからないけれど、これは間違っている」ということが「わかる」人なのである。
(中略)それが「軽率」という誹りを得ることもたぶんあるだろう。でも、白井さんはそれくらいのリスクは覚悟していると思う。
「なぜ、こんな理不尽なことが許されるのだ」という怒りがしばしば彼の言動をドライブしている。感情の絶対量の多い人なのである。だから、対談しているときでも、談たまたま「許しがたいこと」に及ぶと、白井さんの顔面に朱がさす。

『新しい戦前』/P.284

女性蔑視には「男は理性的、女は感情的」というのが決まり文句だが、仮にキッパリ分けられるとしても、話の内容はその時々で変わるという当たり前のことを前提とすると、これはあくまで「理性的」風に話すか、「感情的」風に話すか、という副詞の話だ。さて、ここで問題だが、信頼できるのはどちらだろうか。

個人的には、答えは間違いなく後者だ。というより、後者に騙されるなら、自分の愚かさを恨むこともできるし、相手が怪しければ身構えられるが、前者に騙されるとなると為す術もない。

つまり、この問いにおいて、「理性的」風を信じ、かつ女性を「感情的」風と結びつける人は、おおかた色情に負けて女性に騙された愚かな男という仮説が立つ。

で、何が言いたいかというと、もちろん男女平等などをあらためて主張したいのではなく、真意はともかく感情が表に現れる人の方が信頼できるということであり、白井先生は感情が表に現れる人だという話だ。
橋下徹のような人間もいるわけだし、結局は話の内容が信じられるか否かは自分で吟味しなければならないのだけど。

この本は、タイトルに流行語をそのまま使っているあたり、釣り針がデカくて、そこは気になるが、内容は白黒はっきりつけづらい国内外の話について、「いったん、ここ」という落とし所を示してくれる。
もちろん、政治や外交の話は意見の分かれるところだろうし、それ以外も70代と40代の男性2人が話していて、30代のぼくが共感しているくらいだから、もしかしたらシスヘテロ男性寄りかもしれないけれど、今の世相よりはマシだろう。

とりあえず、「いったん、ここ」で目を瞑って先人の祈りに想いを馳せませんか、と言いたい。

11/09

こめかみに心がきてる風景にコンクリートを枯葉が鳴らす

『音楽』岡本大嗣

晩秋の風を感じる。

『歌われなかった海賊へ』を読み始める。まだ40ページほどだが、コンクリートを枯葉が鳴らす音が聞こえてきそうだ。

「こめかみに心がきてる」は何だろうか。こめかみに意識する感情はやっぱり怒りだろう。さみしさの入り混じる怒り。

ニュースを見てると、なんでそんな阿呆なことをやるんだろうか、と悲しくなる。「阿呆」と漢字で書きたくなるニュースが多い。

今週の『いちばんすきな花』は佐藤紅葉回。なるほどなー、自意識過剰ということか。これはこれで共感できてしまう。

11/10

ヒトとして生きる訓練ならばこの混み合う車内も愛するべきか

『uta 0001.txt』中澤系/『桜前線開花宣言』山田航・編

今朝は、普段4両編成の電車がなぜか2両だったから、普段から苦しい満員電車がさらに苦しかった。

誰かの考察を聞くと、自分も書きたくなってしまう。

ここまで5回を見るに、ゆくえはEQが高すぎて過剰に感情移入する。IQが高い人にはEQが高い人も多いし、数学が好きなのもおそらく感情を余計に揺さぶられないから、かえって純粋に心を動かされるのかな、と。

椿はAD/HD傾向があることで、他人に過剰に気を遣う。周りとのギャップを埋めるために場に馴染もうとする感覚はものすごく共感する。そのストレスの解消に喫煙所に行ったりはしないけど(笑)。

夜々は親子関係とルッキズム由来の期待や要求に過剰適応してきたタイプ。友人の結婚式で、友人の友人から連絡先聞かれて、いわゆる「結婚式でのいい出会い」みたいなのを何度か求められたことを思い出す。恋愛や性に関する話は、往々にして望んでないコミュニケーションに巻き込まれる。

紅葉は中身に自信がない故の自意識過剰なタイプ。自意識過剰なのは自分も変わらないけれど、クエスチョンマークが浮かぶところも多くて、その溝を『無限まやかし』の2人の考察が埋めてくれた。

プロになる人たちは好きだから表現して、勉強して研鑽を積んで、その結果の積み重ねによって自信を得る。対して、紅葉は自信を持つために手近にあったイラストを続ける。
趣味の延長線上で仕事ができる人もいっぱいいるだろうけど、そこに自意識過剰が結びつくとかなり厄介だし、そこはぼくもよく似ている。
ぼくがなんとなくnote書く理由も、文章を書くのが好きというよりは、いろんなアウトプットの方法の中で文章を書くことが自分にとって手近だからだ。

このドラマはHSP的な資質をうまく切り分けていて、たとえば夜々がゆくえの子ども相撲大会の話に共感したように重なり合う部分にも理由がしっかりあって、それぞれかなり精緻にキャラ設定しているように思う。
ちなみに、ぼくはだいたい、椿:6、紅葉:3、夜々:1、ゆくえ:0に加えて、人見知り:30、不器用:30、無愛想:30で構成されている。

11/11

心臓がもっとわたしに沈みたい目をつむるまっくらな鳩として

『琵琶湖』大森静佳/短歌研究11月号

何もしないで1日が終わった。
昼食で口内をやけどした。



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