雨音は皆が自由に淑やかに調べを奏で無為にして化す(なんでもない日のタイトルに短歌を拝借する日記11/4〜11/10)
毎日の日記のタイトル代わりに、好きな歌集から短歌を一首紹介したり、その日聞いたPodcastに触れたりしつつ、日記を書いています。
週のタイトルは自分で詠んだ短歌になります。
11月4日
夜中に不動産のYouTubeを見すぎたために、朝はつい寝過ぎてしまった。そして、この朝寝坊により3連休は最後の日も無為に過ごしてしまうことが決定した。日中は、先週の日記をまとめつつ、ドラマやネットフリックスを見てダラダラ過ごす。ネットフリックスは11月から久しぶりにサブスクを再開したこともあって夏頃から溜まっている課題図書ならぬ課題コンテンツを消化している。
ちなみに「無為に過ごす」と書くとやや自嘲的だが、「無為にして化す」とすると「支配者が人為を用いなければ、特別なことは何もしなくても、人民は自然に教化されて天下もよく治まる。」という老子の言葉になる。らしい。おそらくぼくの生活も自然と教化されることだろう。
夕方にジムで筋トレした後、Podcast『聞くCINRA』を聴きながら帰宅する。短歌は今日聴いたエピソードでゲストだった上坂あゆ美さんのもの。同Podcastでも取り上げられていた歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』から、著者自身の自己紹介のような一首を選んだつもり。57577の最初の5文字が「ぶっ」できれるところが好きです。
夕食後に、すこし前に話題になっていた『ボーイフレンド』を見ながら、この日記を書く。
今日聞いたPodcast
5日
昼食でパスタを食べながら聞いたPodcastは『OKOTOBADESUGA』。アメリカ企業の極端なロビイングと極端なアンチ牛乳ドキュメンタリー、極端な右派左派のコスプレ的な振る舞い、などなどについて。うる覚えだけど、とりあえず、「よりよいものを選んでいるから、問題ない、自分に罪はない、ということにはならない。知れば知るほど、悩みは増えていく」とのこと。どうすればいいんでしょうね。環境問題に関心を持ってしまったことが悪かったのか。なんかホントに悪いことでもしてるみたいだ。いや、ぼくはまだ周囲から覗いているくらいのレベルだけど。
ちなみに、カシューナッツはウルシ科でナッツを取り出すために、労働者は手荒れになること必至らしい。あんなにぼりぼり食べれて美味しいカシューナッツにそんなに大きな問題があったとは……。
植物がそれぞれ何科に属するかという情報はけっこう面白い。過去の日記を振り返ると、「オクラはハイビスカスの仲間で大きな花びらをつけるらしい。アオイ科トロロアオイ属。アオイ科にはハイビスカスのほかにムクゲ、フヨウ、タチアオイ、食用はオクラのほかにドリアン、カカオ、繊維として利用されるワタやケナフなども含まれる」などとWikipedia情報を淡々と書き連ねている日もある。
夜は日記を書きながら、今日から始まった『あいの里』を見ている。昨日から見始めた『ボーイフレンド』に続き、急に恋愛リアリティショー漬けになった。一般的な恋愛リアリティショーはキラキラし過ぎていてあまり見る気になれないが、その点この2つはかなり楽しめる。(とはいえ、『ボーイフレンド』に出演するゲイは皆ルックスが整っているし、『あいの里』に出演する普通のおじさんだと思っていた人はけっこうなキャリアだったりして、一定の壁は感じるが……。)
『地面師たち』とか『チ。-地球の運動について-』とか順番待ちのコンテンツがいっぱいあって、とりあえずせっせと消化せねばならない。
今日聞いたPodcast
6日
国民民主党の減税政策がしきりに騒がれているけれど、一方で消費増税の話もあったり、税収が過去最高額とか言っていたり、増え続ける国債は将来的には返済しなきゃいけなかったり、一体何が本当なんでしょうか。
日本の国政の問題が財務省だってのは、けっこう前からいろんなところで専門家が言っているのを聞いていたので、とくに新鮮な話ではないが、いざこうなるともう堰を切ったように諸悪の根源として扱われる始末。今回の選挙で知った人たちもいるだろうけど、以前からその主張を見聞きしていた人たちが今回の選挙に乗じて騒いでいると理解した方がいいのかな。
たしかに、過去の国の借金返済が今の国民の負担になるのは平たく言って意味不明だし、将来世代の負担になるのはもっと許容できない。その点、減税を主張することは当然の権利だし、わかりやすい悪の存在は脳内をクリアにしてくれる。けれど、選んだ短歌が「消費税より」ではなく、「財務省より」で終わったとしたら、あまりにも殺伐としていて味気ない。
帰宅途中に、トランプが大統領に再選確実のニュースを目にして項垂れる。いえ、項垂れるというかただ下を向いているだけで、下を向いているのはスマホの画面を見ているからなのですが、Podcast『ほんのれんラジオ』を聞きながら思い出したのは、國分功一郎さんの著書『目的への抵抗』のなかの言葉。
複数性が前提である以上、ひとりの人間の口を媒介にした時点で、一般意志も自由(liberty)も崩壊するのかもしれない。それがトランプのような圧倒的に自由(free)な個性なら、上からでっかい岩が落っこちて木っ端微塵になったようなものだ。そういう意味では、わかりやすいカリスマよりもきわめて没個性的な人間の方が為政者に向いているのかもしれないし、トランプが選ばれる現実を思えば、一般的に望まれる民主主義や自由は絵空事のようでもある。一昨日に意図せず日記に書いた「無為にして化す」という言葉ががやたらと響いてくるが、なにも知らないふりをすることもできない。
未来から歴史を振り返ったときにひとつの分水嶺だったと言える日々を、ぼくたちは生きている。過剰に悲観的になるのは悪い癖だけど、一方でその可能性は常に頭の片隅に置いておかなければならない。ひとりで脳内シーソーに勤しんで、ひとりで疲れた1日だった。
今日聞いたPodcast
7日
ちょうど1年前の11月1週目の木曜日に選んだ短歌。この短歌を紹介した日記のなかでは、1年前のぼくは晩秋の風を感じていて、ちょうど読み始めた『歌われなかった海賊へ』からはコンクリートを枯葉が鳴らす音が聞こえてくるらしい。「こめかみに心がきてる」と意識する感情はやはり怒りだろう。さみしさの入り混じる怒り。
1年前のぼくは漢字で「阿呆」と書きたくなるニュースばかりの悲しみを癒すために『いちばんすきな花』というやさしいドラマを見ている。何のニュースかはもうわからない。
他者にもっとやさしくありたいし、他者にもっとやさしくされたい。翻って今日のぼくはやや心が荒んでいる。
今年のぼくはまだ晩秋とは言い難い朝の気温を感じつつ、Podcast『となりの芝生はソーブルー』を聞いて通勤する。3ヶ月前くらいから聞き始めて、最近やっと最新回に追いついた。パーソナリティ2人の話はいつも人間関係を形成するための大きなヒントを与えてくれる。
さて、先週の日記の続編で、派遣先の職場の仕事爆速サイコパス系ナルシストの話だ。もう少しコミュニケーションをとらねばと思い、彼の仕事を称賛したり、彼の調子に合わせてほかのスタッフが作成した資料の出来について話したことで、別のスタッフにプレッシャーをかけてしまった。
社会人になって、賃労働に従事するようになって以来、ぼくの発達障害傾向のある脳みそが役に立ったことはほとんどないけれど、自分で言うのもなんだが、今の職場ではけっこう有能らしい。仕事ができるという評価を得た経験が皆無なので、もう少し侮られるくらいの方がやりやすい気もする。もちろん、向いてない仕事の方がいいということもないけれど。
そして、ウラで何を考えているかはわからないけれど、サイコパス系ナルシストにも慕われているように思う。が、それで周囲を傷つけてしまっては本末転倒。世界中、どこを切り取っても、絶妙な天秤のバランス感覚が求められているはずなのに、何も気にしてない人間の方が得していて、歯がゆいばかりです。
今日聞いたPodcast
8日
お昼の休憩中に聞いたPodcast『桃山商事』がよかった。たしかに、人が変わったような対応をされると怖い。でも一方で、よく知っていると思っている相手にも自分に見せる顔とは違う一面があるものだ。あるいは、そう振る舞うように決断するきっかけがあったり……。もちろん、褒められたものではないかも知れないけれど。
NETFLIXの『ボーイフレンド』の出演者が言っていた言葉が最高によかった。「悪かったと思ってるなら、相手が傷ついているだろうと思ってるなら、正論は後でいいから」。「いいから」の後を相手に継がせるのもいい。
今日聞いたPodcast
9日
今朝は起きてから、映画のチケットをオンラインで買い、部屋の掃除をしたりしつつ、12時からの上映に向けて11時前に外出。早く着いたので、この日記を編集して、上映開始時間を待つ。昨日から公開ということもあり、かなり混んでいるなか座席に座った。
『進撃の巨人 完結編』は、夢を語るこどもが犠牲になるところから始まる。
アルミンとアニの恋模様、ハンジからアルミンへの調査兵団団長の継承、ハンジの決意、すべて知っている流れなのに?知っている流れだから?感極まって涙が出てくる。来週もう1回見に行くのもいい。
今週からその日に聞いたPodcastを日記に取り入れるようにしたから、やや長くなっている。今日聞いたのは『文化系トークラジオ Life』。今回のトークテーマは「”好きなことで、生きていく”から10年〜趣味と労働を考える〜」。この日記はぼくの趣味のひとつで、もちろん趣味の延長線上に仕事があることはひとつの理想だけど、そこにクォリティを求められるようになってしまうと趣味がしんどくなる。日記の内容もホントはもっと物語や社会科学系の新書について触れたいけれど、批評みたいなことは難しいし、臆病さも相俟って筆が走らない。フラストレーションの溜まるニュースやうまくいかない仕事の話の愚痴くらいの方が書きやすい。
「好きなことで生きていく」にやたら感化されつつ、特になにもせずに夢想したり、羨望ばかりだった2010年代後半から比べると、毎週ただ日記を書いているだけの今の方が健全ではあるけれど、これってただ自分が年齢を重ねただけなのか、単なる時代の変化なのか。ネット文化がぼくとともに年齢を重ねているからなのか。とりあえず自分にとってはいい変化だと思う。
でも、だとしたら今の20代は野心の矛先をどこに向けるんだろうなぁ。
今日聞いたPodcast
10日
讃美歌の閾値って何?って感じですが、今日は昼過ぎから雨ばかりで、空には昼月はおろか日の光すら見えないけれど、優しい雨音はある種の讃美歌っぽくはある。のかもしれない。ぎりぎり。
Podcast『夜ふかしの読みあかし』の宇多田ヒカル歌詞考察が面白かった。
ぼくにとっての宇多田ヒカルは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』とNetflixドラマの『First Love』の印象が強い。デビュー当時も聴いていたけれど、初期の楽曲は好きというより、世間で流行っているという理由で聞いていたので、あまり思い入れがない。しかし、改めて聴くと、まだ高校生のはずなのに歌詞の内容はずいぶんませていて、それを不釣り合いに思わせない宇多田ヒカルの持つ雰囲気に今さら驚いてしまう。で、暇だし雨だし、宇多田ヒカルを聴きながら、ダラダラしていたら1日が終わった。
今日聞いたPodcast